親父の一歩前進 | Indigo Walts

Indigo Walts

カウンセラーNorikoのアレコレ。

お母さんは、子供がお腹で育って、産まれて、その過程で徐々にお母さんになっていくけど

お父さんは、産まれた瞬間「お父さん」。でも、瞬間的に「お父さん」になれるわけがない。

だから、お母さんは 「 旦那さんの仕事の邪魔になる 」 とか考えず我慢しないで、

旦那さんに頼って甘えて気持ちを伝えて 「 旦那さんをお父さんにしてあげなさい 」 という話がありました。


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母に 「 育児って大変だよね(きっと) 」 と言ってみた。

注)当方、未婚であり子供もいないので、あくまで想像・妄想


きっと、あなたも大変だったんでしょうね。



「んー。育児?楽しかったよー。

お父さんは忙しかったから、産まれるまでは実家だったし。

産んで実家から戻って、お父さんは仕事でいないときが多かったけど

時々おばあちゃんが手伝いに来てくれたし、

今日はこの服着せよう、とか(一日に何度も着替えさせられてたらしい)

あなたが寝てる間も編み物とかやったりして

無理して辛い、ってことはなかったと思うなー。」


あれ、意外。

辛かったことは忘れちゃったのかもしれないですけど。


いずれにせよ、楽しんでいただけたようで光栄です。



「でもね、お父さんは辛かったみたい。

『 ある程度の歳まで一緒に生活すべきだった 』 って悔やんでたもん。」


ああ、そうですね。

何度か泣かれましたね。



父は、私への距離感が分からないまま他界したような気がする。


私は父を好きだったし、尊敬していたが

起きたときには既に出社していて、寝た後に帰ってくるような感じで

正直子供の頃の記憶にほとんど父がいない。

しかし、家にいないことが当たり前で

いないのが当たり前だから特にどうこういう気持ちもなかったのだが


何か問題が発覚したときなど、叱りながら

『 子供の頃、一緒にいてやれなかったからこんな風になったんだ。』 と泣いてしまうのだった。


いや、泣かれても・・・ねぇ・・・とこっちもホトホト困るのである。

いや問題の原因は私のポテンシャルっつうか、超個人的なものだと思うし

育て方でどうこうじゃないと思うんですけど・・・とかフォローしてみたり。


部下を叱る、とか、そういうことは上手だったのにな。

元々体育会系で土木建設業、空手で全国大会に行った猛者である親父。

物理的に力加減も分からなかったんだろう。

怒った勢いで車や壁を凹ませることはあった(笑)

息子だったらもうちょっと叱り方も分かりやすかったのかもしれない。

しかしながら、私は娘であり、一人っ子だ。


一緒に過ごす時間が短かったので

きっとあれよあれよという間に私は育ってしまって

親父も 『 お父さん 』 になるステップがうまく進めなかった人だったのかもしれない。


そもそも叱られたことなんて片手にも余る程で

多くは 「 自分の怒りをどこにぶつけたらいいか考えてる親父 」 の記憶。


理想の 『 お父さん像 』 と異なる現実の自分に苛立ちを感じていたんだろうか。




ここで、ふと思い出す。



父は、子供が大好きだった。

祖父も、子供が大好きだった。



祖父は貧乏で、小さい長屋で小さい店を営んでいたが

子供が大好きで

近所の子まで狭い家に招きいれ、養子も取り、

一緒に夕飯を食べたり、とにかく可愛がっていて

自分の夕飯がよその子に食べられているとかが日常茶飯事だったそうだ。


実際、私が幼いころも、

道端で子供達の登下校を見守り、

おやつをあげたり、叱ったり。

店にはいつも子供達がいた。


父も子供が大好きで

よく子供のイベントのボランティアをしていた。

私は知らない遠い親戚の子供や、

近所の子供達も、父になついていて

お線香をあげにきてくれる子や

成人して子供が生まれたと、仏壇に報告に来てくれる人もいる。


子供好きという点では微笑ましく共通なのだが

祖父は親父より、よその子を可愛がった(と親父は思っている)

そして、実の子供の居場所がなかったから、と

親父が高校生の頃、家を出ている。


とりあえず家を出たくて、

住み込みで新聞配達をしたそうだ。


親父は祖父をあまりよく思ってはいなかった。

実の子よりよその子を可愛がってれば、当然といえば当然だ。


親父にとっての祖父は 「 父 」 という存在ではなかったように思う。

『 お父さん 』 というのはこういうものではない、と。



祖母が他界し、祖父と同居になってしばらく経ち、

父が家に帰るのを嫌がるようになった。


母は甲斐甲斐しく祖父の介護をしていた。

やんちゃすぎて病院から見放される祖父の介護が、

どうしようもなく辛いことも分かっていた。


でも、家に帰るのが辛い。


私は、介護が必要になった親(祖父)を見るのが辛かったのだと思っていた。


しかし、そうではなかった。

ある日、ポツリと母に言ったそうだ。


「 じいちゃんが 『 お父さん 』 になってくのが辛い 」


初めて母から聞いた。


祖父は、どんどん純粋になっていた。

言葉は悪かったし、辛い話もいっぱいあるが

最終的には 純粋な子供 にに近づいていったように思う。


介護をする手を跳ね除けたりすることが少なくなり、

金品を隠したと疑うことが少なくなり、

辛く苦しい妄想・幻覚が少なくなり、

徐々に穏やかになった。

きっと、純粋な子供になるとともに、

私達の気がつかないところで 『 親父のお父さん 』 になっていたのだと思う。


祖父は7年の歳月をかけて、母を信頼し頼るようになった。

晩年には、「お母さん(母のこと)、ありがとう」と言った。


祖父の「ありがとう」を聞いたのは、これが最初で最後のような気がする。

そんな人だった。



たぶん、親父も祖父も心のどこかで 

自分の考える 『 お父さん 』 になり損ねたことを悔やんでいたのではないだろうか。


親父は 『 お父さん 』 であるべき祖父を否定して家を出た。

自分は祖父と違う、自分こそはちゃんと 『 お父さんになる 』 と思っていたはずだ。

だからこそ、私の前で泣いたのだ。


それなのに、痴呆の祖父が奇跡の追い上げ。


自分は 祖父とは違う、『 ちゃんとしたお父さん 』 になると思っていたのに

でも、なれてないのに

いまさら祖父が 『 お父さん 』 になってしまうなんて。


動揺、焦り、認めたくない想い・・・。


そういう気持ちが感じられる。



これは辛いね。

辛かったね。


そりゃ大好きな家にも帰りたくなくなるよね。

だって、今更・・・だもんね。

まして俺は・・・とか思っちゃうもんね、あの人のことだから。



でも、じいちゃんが自分の 「 お父さん 」 になっていくのが分かったんだね。

すごいなあ。

辛いけど、よかったね。



母と二人で涙流しながら、そんな話をした。




ほんのちょっとした話から、親父への理解が深まる。


面白いな。



私が親父に近づいた、というより

親父が 『 お父さん 』 として 私のほうに一歩前進(笑)な感じ。



ふふ。