森永製菓と森永乳業が来春経営統合され、明治と同じ道を歩むことに。
森永の創業者は森永太一郎。安倍晋三首相の妻・昭恵は曾孫にあたるという。
生家は陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里で一番の陶磁問屋。伊万里湾の漁業権を握る網元でもあったが、父の代には家勢も衰え、6歳の時に父が病死すると財産は人手に渡り、母は再婚。親類の家を転々とする幼少時代を過ごした。
やがて伯父の山崎文左衛門に引き取られ、商人の心構えを教え込まれた。横浜の陶器問屋で数年を過ごしたのち焼き物の販売を目論み、24歳の時に渡米した。
焼き物の販売を試みたが、失敗に終わった。そこで日本では誰も手掛けていなかった西洋菓子の製造に目を付け、貸工場の仕事を探したが、人種差別の強い時代のためもあってなかなか望む仕事は見つからなかった。
そんな時にスクールボーイとして住み込んだ白人老夫婦の愛に触れ、熱狂的なキリスト教徒に。 一度は日本に帰国し、故郷の伊万里で福音伝道を試みたが、全く相手にされなかった。 3か月後今度こそ西洋菓子製法の習得を目指して再び渡米し、ジョンソン・ホームベーカリーを経て、31歳の時にキャンディー工場&キャンディーストア「ブルーニング社」に入社した。
ここでも多くの人種差別の苦難に会いながらも様々な西洋菓子の製法を身に付け、5年が過ぎ、日本に西洋菓子を普及させる時期になったと判断した太一郎は帰国の決心をした。
帰国後1899年現在の森永製菓の前身となる森永西洋菓子製造所を東京赤坂に設立。主にマシュマロを製造していたが、後にキャラメルを主力製品とする。晩年はキリスト教の教えを説きながら全国をめぐる日々を過ごした。
何となく山崎製パンを彷彿とさせるような。複数の工場を持つ東大和市に。明治は明治乳業の関東工場のある埼玉県戸田市を。
つづく
