Errare humanum est.
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僕がつらいのは、一番大切な人を一番苦しめて傷つけてしまったことです。




 




 


「自己の自立」と「相手との一体感」。





僕は自立しなくてはいけない。




 







ロックみたいに叫んで生きていくことは、僕にはできない。





フランク・シナトラのように、かっこよく愛を歌うことも、僕にはできない。





平凡な人生の中で、平凡なように、素敵に生きていくことは、僕にはできない。





だから。









あの時聴いていた音楽はタイムカプセルのように、僕たちに当時の気持ちを思い出させてくれます。





中学3年生のときは、QueenのKiller queen。


高校1年生のときは、文化祭で歌った明日への扉。夏の校舎で、仲間たちと一緒に練習したのが懐かしいです。


そして、受験生のちょうどこの時期にはGalileo Galileiの曲をよく聴いていました。


いまでも、「管制塔」を聴くとあの時感じていた想い、匂いがよみがえってきます。


不確かな光に向かって歩んでいた受験のおわり。


僕は今、光の先にいるわけです。








たしかにいまの自分は過去の自分とは、まったく同じではありません。





しかし、時には音楽の力をかりて、いままで歩いてきた道のりを確認することが大切なのではないでしょうか。









3年ほど前、フェーズという言葉が世間をにぎわしたことを憶えているでしょうか。


フェーズ、つまり段階という意味です。疫病の危機状況を表すのに使われたりしています。


新型インフルエンザが流行ったのはもうそんなに前なんですね。





さて、最近は道端を行く人々がどのような「フェーズ」なのかを想像するのが楽しいです。


それは、人の人生という大きな枠であったり、はたまた人間関係の段階であったりと、いろいろ区分することができます。





電車の中で、クロスワードをするおじさん。彼は「お疲れお父さんフェーズ」?


改札で別れて、さようならをしているカップル。女の子がエスカレーターを下りながら、姿が見えなくなるまで手を振っていました。きっと「アツアツフェーズ」なのでしょう。





ともかく、人はいつでも何らかの段階にいるわけです。


自分が、どの段階にいるのか知ることができれば、もっと上手に生きられるかもしれません。





あなたは、何フェーズですか?