前回は、被害者であるビヨルン・アンドレセンを中心に書いたが、今回は、ヴィスコンティについて書きたいと思う。私は、正直に言うと、ヨーロッパの古典映画が苦手で、ヴィスコンティの作品は、フェリーニ作品に比べれば、まだ眠りに落ちることなく最後まで観ることができる程度にしか好きではない
。ヨーロッパ映画で表現される機微を読み取れる情緒を持っていないからだろう
。だから、特にヴィスコンティに興味を持ったことはない。 “世界一美しい少年”というドキュメンタリーの中で、ヴィスコンティは、自分の精神の未熟さ故に歪んだ自我を、自分以外のもので充足しようとする貪欲さ、そして、世界中に監督として認められていることを自覚した上での傲慢さから、まだ自分を守ることを知らない子供を利用した人間として描かれている。もちろん、この映画は、“被害者”側であるビヨルン側から描かれたものだし、ヴィスコンティは、50年も前に鬼籍に入っているので、悪く言えば、死人に口なし、だ。でも、それを踏まえて、もう一度、今度はヴィスコンティ側に光を当てて見てみたい、と思う。
でも、ヴィスコンティを調べている間に、本題とは関係ないけれど、ちょっと気になった事があったので、紹介したい。ヴィスコンティの作品のタイトルである。
1960:Rocco e i suoi fratelli(伊原題)、Rocco and his brothers(英題)、若者のすべて(和題)
これは、原題がロッコと彼の兄弟たち、英題もそのまま。でも、日本語は、全部ひっくるめて、“若者のすべて”。若者のすべてを代表してしまった、と知ったら、ロッコと彼の兄弟たちも、荷が重すぎる!と思ったのではないだろうか
?
1963:Il Gattopardo(原題)、The Leopard(英題)、山猫(和題)
イタリア語の Gattopardoは山猫なのに、なぜ英語のタイトルは The Leopard=豹?確かに、”Wild Cat(山猫)“より”Leopard“の方が、文学的な響きだとは思うけど...
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1969:Götterdämmerung(原題)、La caduta degli dei(伊題)The Damned(英題)地獄に落ちた勇者ども(和題)
原語のドイツ語、Götterdämmerungの意味は、”Twilight of the gods (=神々の黄昏)“。イタリア語題のLa caduta degli deiは、”The Fall of the Gods(=神々の没落)“。英語題のThe Damnedは、”呪われた者“もしくは”地獄に落ちた者“(神様に見捨てられた感じ、だろうか?)。ドイツ語、イタリア語は、問題は神の方なのに、英語では神に見放された人間。でも、日本語では、地獄に落ちた...までは合ってるのだが、なぜ”勇者ども“と続けたのだろうか
。私は、映画を観てないので、なんとも言えないけれど、Wikiさんによると、この映画は同性愛、小児愛、レイプ、近親相姦が描かれているそうで、同性愛以外の事をした人たちは、勇者、とは呼べないのではないか、と思うんですが...
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1973 Ludwig II(ドイツ語原題)、Ludwig The Mad King of Bavaria(英題)、 ルードウィッヒ神々の黄昏(和題)
原題は、そのままルードウィッヒ2世。英題は、ルードウィッヒ、バーヴァリアの狂った王。日本語に含まれた、“神々の黄昏”は、この映画の原題にも英題にも含まれていない。“神々の黄昏”は、1969年の地獄に落ちた勇者どもの原題である。なんで、日本では、二つの別の映画の題を取り換えて付けたのだろうか?
ヴィスコンティに限らず、若く綺麗な子をもてはやすのは、昨今には冗長して見られる一般的な傾向だが、私は、それは未熟な自我の作り出す悪循環ではないかと思う。簡単に言えば、大人が若さと身体的に魅力的な事ばかりに価値を置き、内面の美しさや歳を重ねる事の意味を子供に教えないから、若さと美しさを失くした、と感じ始めた時に、若さをなんとかして取り繕おうとして、若いかわいこちゃんを手中にしようとする。若くてきれいな子供たちが、自分を好いてくれれば、自分もまだ若いのではないか、魅力的なのではないか、と思い込むことができるからだ。そして、その若くて綺麗な子たちも、また歳を取り、若さや身体的美しさを失うと自分の価値が分からなくなって、また自分よりも若くて綺麗なものを追いかける。若い魅力以外にアイデンティティの構築をしなかったからである。
アイデンティティというものは、個人個人で成立されるべきものである、と私は思う。配偶者や恋人によって与えられるべきものではない。 それは、虎の威を借る、または、他人の褌で相撲を取る、ようなものだ。仮に、若くてきれいな女の子、三高の夫、プレイ・ボーイ・マガジンのプレイメイト、モナコの王子と付き合っている・結婚していることが自分のアイデンティティになったとして、それが一生続けば良いけれど、離婚や別離という結果になったら、そのアイデンティティも同時に消えてしまう。 そして、配偶者や恋人が若くて綺麗だから、といって、自分も若く魅力的になるわけではないし、若くて綺麗な配偶者や恋人だって、いつまでも若くて綺麗でいるわけではないのだ。恋人が年を取ってきたら、もっと若い恋人と取り換えるのか、ヴィスコンティがそうしたように?
ヴィスコンティはカソリックの洗練を受け、カソリックである事を自認していた。が、カソリックの原理と相反する自分の性志向の狭間で苦しんでいたヴィスコンティは、芸術の中に、やっと呼吸のできる場所を見つけたのだと思う。そして、芸術界も彼を両手を広げて迎い入れた。そして徐々に、映画やオペラの芸術に関わっている限り、自分は無敵である、とヴィスコンティは信じるようになった。芸術が彼の宗教になったのである。芸術という宗教において、彼は神自身であった。人々は彼を崇め、彼が望むものは全て自分のものになった。富、名声、地位、若い恋人、全て。そのために、逆に彼は、自分の内面にある、いつまでも満たされない渇望ー同性愛である自分を受け止め、カソリック原理ではなく本当の意味での神と融和する事ーを見極める機会を失って、その癒しきれない渇望を、数年で散ってしまうロマンスを繰り返す事で満たそうとしたのではないか。そう考えると、ヴィスコンティもまた、負のスパイラルに巻き込まれた犠牲者なのかもしれない。
芸術界のヴィスコンティの成功に比べると、ビヨルンは、その後ぱっとしない人生を歩んだように見える。それでも、満身創痍になりながらも、ヴィスコンティの負のスパイラルに取り込まれなかったビヨルン・アンドレセンの勇気を私は讃えたい。彼は、自分のトラウマを別の人間、特に子供でもみ消しにする事を選ばなかった。彼は、負のスパイラルの一部になることを拒否したのだ。その代償として、彼は、鬱病を患い、ニコチンやアルコールに依存した。そして、乳幼児突然死症候群で息子が亡くなった時、その原因は、父親(自分)の愛の欠如だと言って自分を責めた。が、それは逆に、彼が自分の内面と向き合った勇気のある人間である証ではないだろうか。芸術の世界で神になったヴィスコンティが、人間の成熟度としては、ビヨルンの足元にも及ばなかったのだ、と私は思う。
ヴィスコンティは1976年に69歳で死去したが、ビヨルンは、ヴィスコンティより一年生き延びただけで、2025年に70歳で亡くなった。もし、70年間の人生をヴィスコンティのように生きたいか、ビヨルンのように生きたいか、という選択があったら、私はヘタレであるからして、ビヨルンのような苦悩の人生を選ぶ!と断言はできないが、それでも、絶対に、ヴィスコンティのようにはなりたくない、とは強く思うのである。
“Drive Out to the Desert” by David Crosby
“If you start to feel very small,
that’s a very good sign
It means that your perception
your radio reception is working”
(もし、自分がちっぽけに思えてきたら、
それはとてもいい兆候だ
それは君の見方が、
君の感じ方が上手く働いてるという事だから)









