2015年生まれ(小2)で中度知的障害(IQ37→2023.3月診断)を伴う自閉スペクトラム症の娘・ひまり(仮名)支援学級(情緒学級)在籍の日常、学習、療育の様子。あとは母の愚痴など色々書いています。
基本的に毎日複数更新しますので、興味を持ってくださった方は何個か読んでいただけたら嬉しいです
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更新内容はあまりアメブロと変わりません
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おはよう御座います(4:59)
昨日はめちゃくちゃ早く寝てしまいました。
書きたいことはあったのですが、また新しくブログを始めたりもしています
「障害を持ったかたに〇〇された」
という情報の真偽は定かではないし、何もされてきていない人はわざわざ「されていません」とは書き込まない。
「障害を持っている兄弟がいるから結婚できなかった」
という情報の真偽は定かではないし、「障害を持った家族がいたけど結婚できました」なんて書き込む人はいません。
障害者にとってネガティブな情報が流れるとただでさえ生きづらい場面もある障害者家族はさらに生きづらいと感じることもあるけど
情報に振り回されず、前向きに頑張っていきましょう
と言いたかったです。
綺麗事では済まない現実がたしかにあるよな、とは思うんですけどね。
追記
障害者から加害を受けたとかきょうだい児が結婚できなかったという情報は「嘘」と言いたいわけではありません。
ただ「知り合いが」とか、障害者=悪にしたいんだろうなという情報を信じて振り回される必要はないという話
娘は昨日は学校では結構泣くことが多かったらしいです。
家で調子が良いと学校では調子が悪かったりその逆もよく見られますね。
こんな時は
「娘はこの学校では難しいのか」
と未だにすぐに思ってしまったりします。
批判を受けるときによく言われたのは
差別と区別は違うという話
だったら区別を明確にしておいてくれよといつも思う。
「その子に適切な支援を」
なんてのはまさに綺麗事でそういうことを言う人は
「他の子の支援を奪うから地域の小学校にいるべき子じゃない」
と言うばかり。
娘は支援学校に行くことで何を学べるのか、今は何を学ぶべきなのか
それらを教えてくれる人が「適切な支援を」と言うなら聞くけども。
バスで1時間かかる学校であれば娘を安心して預けることができるということだけが現実。
娘が小学校に通うのが辛いとかなら話は別だけど
支援学校に行けば成長するとか就職できるとかそんな単純な話ではないと思う。
もちろん素晴らしい支援学校は全国にたくさんあるだろうけど
私は何かあればすぐ迎えに行けて先生と連携がしやすく、クラスメイトとの関係も見られる今の学校が娘にはふさわしいと思っています。先生方がしっかり特別支援教育を学んでくださっている上で生徒に対し誠実に向き合ってくださっているのも大きい。
ただ学校の正常な運営に差し支えるとか、娘が学校に行くのが苦痛となるなら話は別だろうけど。
…と書くと地域の小学校以外には絶対に行かせたくないんだろうな
とまた思われてしまうかもしれないけど
中学校の支援学級のレベルの高さとか、B型作業所には元普通級だったけど高校からは支援学校に通った人が何人もいたりするのを目の当たりにしたとかで
少なくとも娘は中学校からは支援学校に行くのが望ましいだろうなと今は思っています。
本当に書きたかったのはそんな話ではなくて
娘が昨日
今度は月から日までの漢字を何も見ずに書けていました
あとはなぜか赤、青、黄、白、黒を読めていました
なぜかというか学校でやったからだろうけど驚き。
お勉強普通にできるようになっちゃうんじゃないか?
とかまた淡い期待をしてしまう笑
昨日のお昼はまたびっくりドンキーでした