---------リップクリーム---------

 

「なんか英語でしゃべってみてよ」

 

またこれか。相手もいないのに何をしゃべればいいの。

休み時間、机の周りに集まってきた今度のクラスの仲間に、お決まりの質問をぶつけられた。仲間?この子たちは、わたしを仲間にするかどうか、試してるんだ。

 

「アイ・ハブ・ア・ペン」

 

思いっきりジャパングリッシュで応える。こっちの気持ちを察してくれたのか、何人かは笑ってくれたけど、リーダーっぽい雰囲気の目つきのキツい子が、

 

「ちょっと、マジメにやってよ」

 

なんの権利があって言うのか、睨んできた。

ワッツ?何のために?

 

「I've no reason to be told that.」

(そんなこと言われる筋合いはないんだけど)

 

早口で言ったら、「おお~っ」とどよめきが起こった。喋っても喋らなくても、どっちでもあんまりいい結果にはならない。珍しい生き物を見るような目。哺乳類ヒト科メス。同じ生き物なのに。

 

「ね、今なんて言ったの?カッコいい」

 

明るい笑顔で肩を抱いてくれた多英(タエ)と仲良くなり、彼女のコミュニティに入れてもらった。ハワイから8歳で日本に戻ってから3回目の転校で、各拠点を回っていた父の技術指導も終わり、神奈川県に落ち着くことになった。私は中学生になっていた。

 

水が合う。

そこに馴染めるかどうかは、空気感、人々の佇まい、流れてくる日本語の響き、街中の歩くスピード、ショップスタッフの対応、色々なファクターから何となく感じるものだけど、ここは、神奈川県は、なんか好き。

何より、海がある。

 

初日こそ例の洗礼があったけど、ここ川崎市の皆はフレンドリーで、まるでずっと前からここにいたみたいにすぐ「タメグチ」で話してくれたのが、嬉しかった。

 

「カオリン、トイレ付き合って」

 

「いいよ、ユウコリン」

 

「やだ!ユウコでいいってば!笑」

 

友だちと認識した人には誰でもリンをつければいいというシステムではないらしい。カナガワ独特なんだろうか。「リ」で終わる名前限定?待てよ、ミホ → ミポリンもいる。二文字もリン付け?でも、タエはタエだし‥。

 

「大丈夫?何か貸そうか?」

 

何か要るもの忘れたのかな。

 

「ううん、ただ行くだけだしー」

 

実際行ってみて、ホントに行くだけだったのに驚いた。トイレに行っても必ずしも用を足すわけではなく、主に鏡を見て前髪を直したり梳かしたり、油取り紙で頬やオデコをケアしたり、リップを塗ったり。誰かに会うとしばらく喋って情報交換。出番待ちの楽屋のような使い方なんだな、とわかった。

 

「カオリン、どこのリップクリーム使ってるの?いい色」

 

「どこのって、えっと‥」

ホームの売店で買った白とグリーンの。

 

「やだ!うちのお父さんとおんなじ笑」

 

見せたら、ちょっと引いてたけど面白がってくれた。笑うけど、めっちゃ優秀よ、コレ。ユウコのダディはセンスいい。日本製、大好き。メンソールの香るリップクリームを、そっとポケットに仕舞った。