昨日↑の記事を書いたけど
母からのLINEきっかけでもう一つ気付くことがあった。


産まれてきた事への罪悪感

(注)生きてる事への罪悪感ではない。
産まれてきた事。



前は、生きてる事への罪悪感もあったとは思う。
こんな私が生きててごめんなさい。
でも、自分から死ねないの。
あの時、生き残ってしまったから
私は生きねばならぬと思ってる。使命感。




そう、
「生」「生きてる事」へは使命感なのだ。



そこは、15歳からブレてないはず。




けど、ずっとずっと罪悪感があって。
〇〇したから罪悪感、〇〇しなかったから罪悪感
って思ってたけど
今回の事でわかった。



産まれてきた事への罪悪感が根っこにあったんだポーンゲッソリ真顔



これ、気づいた昨日、前世とか過去世とか
見てもらおっかな、、
わたし、何をやらかしたんかな??

って思うくらいびっくり。

そして、そりゃーこんな前提を握り締めてたら
「産まれてきてくれてありがとう」を
受け取れないわチーンチーンチーン

と、ガックリきたと同時にほっとした。




もう、罪悪感を全て手放す必要もなく
(わたしは罪悪感強めな人はわかってたけど)
罪悪感の大元がわかったんやから
多少の(日々の)罪悪感なんて
可愛いもんやな!
うんうん、それはそれでオッケーやなニヤリ




それより、今、そして未来をどうしていこうかって、そっちにシフトしよ。


って思えた。


って事で、これからも生きてくけど、よろしく!!!照れ