私の人生の大半は
過食&過食嘔吐に費やされている。




それはどういうことかって言うと
・時間 も
・お金 も
・仕事 も
・人間関係 も
過食する/しない=過食できる/できない
を判断材料として選択してきたってこと。



前は、こんな苦しい現実を私が選んでるはずがないーーーームキームキームキー
って怒って拗ねていたけれど
今は真逆。



よくぞ、よくぞここまで私に寄り添って
見守って、守って、助けてくれていた。
過食様、拒食様、過食嘔吐様様様ーーラブ
と思う。




とは言っても【お金】はかかる!!!!!
【お金】に焦点を当てると怖くなるし
罪悪感が出てくるが、
『私にとっての過食費は、必要経費』
と思えるようになってから
とってもとっても楽になり
むしろ、過食費と真正面から向き合えた。



日々の食費とは別に
私の過食費を家計簿につける。
そこにあるのは数字だけ。
多い日もあれば、0の日もある。



はじめはやっぱり、
「あー、、、こんなに使ったか!」
「おーー!今日は0やなぁ」
って落ち込んだり喜んだりもあったけど
ここ最近
0が多くなっている。




あれれ??
0が多くなっている!!!
過食にお金使ってない
=過食に時間を使ってない
=過食に支配されていないおねがい




なぜたが涙がこぼれそう
涙の訳は
嬉しいって感じるし
寂しいって感じるし
切ないってギュッと胸が締め付けられる
ありがとうとも思うし
また助けてねとも思う



過食は
お金も時間も仕事も人間関係も
全てを取り巻く私の人生に
寄り添ってくれているから
くれていた(過去形にあえてしてみる)から




あってもいいし
なくてもいい



そんなことを思った日。