エイジアやエイェスのギターリストとして今も活躍しているスティーブ ハウ、僕が最初にあったのは、フラワーオブライフの立ち上げ時期、平野<ベータランド>に紹介されて、驚きました。あの有名なイエスのメンバーがそこにいたのです。僕はすぐさまサインをねだろうともせず、こんなところで何してるの?と聞くと、「イエスもそんなに活動していないのでここ大阪にフラワーオブライフのパーティがあるときいて招かれたんだ」やって来た風に話していました。ギターが上手で、皆に注目されていたのはゆうまでもなく、爽やかな人柄からある種の信頼も受けていました。毎回僕はフラワーオブライフををとずれるたび、平野やスティーブ、ボアダムズのよしみなんかと、話をして、自然に盛り上がっていたが、実はスティーブは1967ねんごろからタイエスムマシーンにのって来ていたのだ。
それに気づいたのは、2008年頃エイジアがさいけっせいされ、タムズスクエアーにあのフェニックスが飾られその後しゅうっぱんされた、ドラゴンズドリーム書籍の内容を読み、更にミラとの対話や、TOSHIBAノ映画ナンカカラ確信を得ています。この事実は後に明らかになるであろう、1900年代のアメリカが世界に先が下駄技術をもち、音楽ノ普及に全力を注いでいたこと、ソシテ私達の創造力の波動に影響力をあらわしていた事実。そしてまた沢山の人々にこの感謝を示していたことに相違ありません。最近はこんな風に考えています、この一連の世界のテロや災害も終息し、あるひとつのプログラムが終わりを迎え、新たなる文化や人間性の架け橋が渡されたのだと。どこまでも続く無限の世界、そして人間の叡知。
ゆうじ書く <成功しても有頂天になるな>
それに気づいたのは、2008年頃エイジアがさいけっせいされ、タムズスクエアーにあのフェニックスが飾られその後しゅうっぱんされた、ドラゴンズドリーム書籍の内容を読み、更にミラとの対話や、TOSHIBAノ映画ナンカカラ確信を得ています。この事実は後に明らかになるであろう、1900年代のアメリカが世界に先が下駄技術をもち、音楽ノ普及に全力を注いでいたこと、ソシテ私達の創造力の波動に影響力をあらわしていた事実。そしてまた沢山の人々にこの感謝を示していたことに相違ありません。最近はこんな風に考えています、この一連の世界のテロや災害も終息し、あるひとつのプログラムが終わりを迎え、新たなる文化や人間性の架け橋が渡されたのだと。どこまでも続く無限の世界、そして人間の叡知。
ゆうじ書く <成功しても有頂天になるな>


の馬のふん