前回、3月15日に初めてブログをアメーバで書いてみたのですが、あの時は本当にたったの4日間しか経っていないのに、なんだかものすごく時間が長く感じられました。あのころは、本当に
「なんでこんな目に遭わなくてはならないの??」という怒りの気持ちが心の中でかなりの範囲を占めていましたし、まだ今回の災害の全貌もわかっていない部分もかなり多かったので、少し恥ずかしい文章になってしまっていたかもしれません・・。少々反省いたしております。
あれから、もう1か月以上経ちましたけれども、今も余震があって、今まで経験してきた余震というのは、せいぜい大きくても震度1か2くらいだったのに、本震が巨大だったため余震も大きいんですよね・・・。

本当に先日、4月7日は本震の時より大きかったのではないかと思うほどでした。
揺れ方が、よくテレビでその部屋だけ震度7位の揺れを起こしてその時、家具や、人がいたらどうなるかというようなシュミレーションする部屋がありますよね?7日の揺れはそんな感じでした。
まるで、フラフープをしている人のお腹にいるのではないかというような床が回るんですよ。
怖かったです。

次の日は折角、4月に入ってからは本当に色々なことが落ち着いてきたなと感じていたのに、またスーパーに行列は出来るし、ガソリンスタンドもしかり・・・でも無理はないですよね・・・。
我が家では私が一番あれから非常用のものや、備えることについてストイックになったかもしれません。
7日は夜の11:32に起きたのですが、一番最初にやったことは水がまだ水道から出ていたので、非常用の水をためておく20ℓ入るボトルと、2ℓ入れのペットボトル5本に水を溜め、次にバスタブの中にもしっかり水を張りました。
この時は電気は停電していましたので、充電式のラジオ付き懐中電灯は移動用に使い、電灯変わりになったのは、クリスマスの時の雪だるまの形をしたイルミネーショングッズでした。それを点けながらやっていました。あと、100円ショップの足元灯。これらもとても役に立ちました。
今回は(4月7日は)停電はしましたが、ガスが何故か止まらなかったんですね。なので、ガスが止まる前にお湯を沸かして魔法瓶に入れました。1.5ℓ入れのもの2つ。これで、カップラーメンなどが食べられます。
7日の時は、前回、電池が足りなかったので、毎日お店に行って1人何個というのを繰り返し買っていたので、安心でした。

ホント、ライフライン、どれも欠けるとすごく不便ですね。
今回は私が生まれたころ買ったと言われる古いラジカセが活躍してくれました。FMとNHKの音が取れたので、一応NHKの音声だけ取っていました。
あと、便利だったのはお風呂テレビです。これは普段は充電して、お風呂の時とかにみていたのですが、この間も3時間くらい見ることが出来ました。ラジオで「えええ~~」というときだけテレビをつけてみてました。(笑)。
3月11日は昼間だったので、そんなに気にならなかったのですが、4月7日は夜だったので、本当に真っ暗で、それもこれからも余震があると思うとすごく怖かったです。
外では、宮城野区というところが大変な被害が出ているということで、こちらの消防や警察が動いていたのでしょう、そういう車のサイレンが良く聞こえました。
そうしているうちに、なんとなくこの間の3月の時よりも水も電気もガスもとりあえずは確保できたかなという安心感があったのでしょう。もう、寝ようということになって、午前1時に寝ました。
その後は大きな揺れも私はあまり感じられず、すぐに寝つけたのでそのまま気が付いたら、翌朝の5時になっていました。6時頃、お風呂テレビをつけてみましたが、テレビでは昨日の地震のことはほとんど何も言っていませんでした。唯一、やっていたのはNHKだけ。他は特にZIPという日本テレビの番組は何にもやっていないどころか関根真理さんが笑っているし、昨日の地震はいったい???という感じでした。
しかし、8時に近づいてから、東京の友人からメールが来たり、電話が来たりして、
「こっちの方では宮城の地震のことばっかりやっているよ」ということだったので、何故に宮城では何にもやっていなかったのかな?? 私が寝ている間に色々もう、やっちゃったのかな??などと考えて、まあ、こちらでは本当に怖い思いをした人が多いからあまりやらなかったのかもしれないなと思うことにしました。
しかし、ようやく3月の地震のごたごたが落ち着いてきて、「これから」というところでまた・・・という思いはすごくありました。
この間まで、私は職場の同じ方向の方の車に一緒に乗せてもらって出勤しています。
それは、いつもなら近くのバス停から「泉中央」という駅までバスで15~20分くらいで行って、市営の南北線という地下鉄に乗って仙台に出て、そこからJRで職場の近くの駅まで行っていたのですが、地下鉄もその「泉中央~台原」という駅まで壊れてしまって、無料はいいのですが、30分も間隔が空いたギュウギュウ詰めの東京で言えば朝の「山手線」のようなバスに乗って「台原」でその地下鉄に乗って「仙台」まで行かなくてはならなかったのですが、本当に近くに同じ職場の人がいてよかったな~と思っています。ガソリンがなかなか入手できない時は本当に大変でした。
何時間も待っても20ℓまでなどという制限があって、これも毎日のように一緒に並びました。
私の家にも車があるので、昼間、比較的空いている(と思われる)時間には母にガソリンを入れておいてもらって、車を交換しながらしのいでいましたね・・・。
あ~・・・今考えただけでも疲れてきます。
一番困ったのは、ガソリンスタンドにガソリンが納入されない日が何日か続いたことです。
これは本当に困りました。3月の終わりごろになって、4月に入ってからはもう、並ばなくても買えるようになったので本当に有難かったです。
と、まあ・・渦中の頃はこんな感じだったので、買占めに走ったりしたくなる気持ちは本当に良くわかります。
みんな考えることは同じですものね。
今回は電気は午前中のうちに復旧し、家に帰ったらもう、普通にテレビも、灯りもついていたので
ホッとしました。
が、7日の新聞には次の日から始まる近くのスーパーのチラシが入っていたのです・・・。
実は6日に何故か買い物に行っていたので、次の日の8日は行かなかったのですが、8日に買い物に行った人はは大丈夫だったのかなと思うとちょっとぞ~っとします。
段々、気温は上がっては来ているのですが、まだ外は寒いんですよね。
なので、例えば10:00開店と書かれていても、7日のようにまた大きな地震があると棚の商品がおそらく倒れて落ちて開店時間も遅くなったのではないかと思います。
私も一度、まだ東北道や、仙台空港の一部も再開していない頃、近くのスーパーが7時から開店するという情報をテレビで聞いて、母と買いに行ったのですが、7時だった開店時間はそれから3時間後でした。この日は朝の気温が2℃で、並んだことが初めてだったし、すぐに店内に入れるものと思って、それほど防備していなかったんですね。
あまかったです…。その日、熱が出てしまい、次の日はもっと高くなってしまってダウンでした。
・・・それ以来は使い捨てカイロを貼るものと貼らないものと2種類使いで防寒しました。
そんなこんなで、本当にこの1か月は情報収集、余震に対する備え、いつ何が起こるのかという緊張感、などで本当に疲れました。私はまだ20代前半なのですが、最近まるで「50肩」のように腕が上がらなくなってしまいました。今までは背中で手をつなぐことが出来たのにとても痛いのです。
しかし、大変だったのは私だけではないし、まだまだこれからの将来も見えないと思ってしまっている方々が沢山いらっしゃるので、負けてはいられません。
これからも頑張っていこうと思っています。
また今回の東日本大震災のことについては書いていきたいと思っています。
特に、次は今回の災害で役に立ったものについて書こうと思います。
このブログを読んで下さった方々の参考になれば幸いです。
では、また。

なんだかとても長くなってしまいました。ここまで読んでいただいてありがとうございました。