81年前の今日、1945年8月6日午前8時15分。
広島市の上空約600メートルで原子爆弾が炸裂しました。
一瞬にして街は破壊され、熱線や爆風、放射線により約14万人もの尊い命が失われました。


そして、その3日後。
1945年8月9日午前11時2分。
長崎市の上空約503メートルで原子爆弾が爆発し、当時の推定人口約24万人のうち約7万4千人が亡くなり、街の大部分が破壊されました。



広島、そして長崎。
二度と繰り返してはならない歴史です。




私は高校3年生の修学旅行で長崎を訪れました。


現地では、原爆でお母様や兄姉を亡くされ、ご自身も被爆し、その後、妹さんも苦悩の中で命を絶たれたという語り部の方のお話を伺いました。
静かに語られる言葉でしたが、その一言一言に込められた悲しみと重みは、今でも忘れることができません。



平和公園では、平和祈念像を前に手を合わせました。
ガイドの方から教えていただいた像の意味も、とても印象に残っています。


右手は原爆の脅威を示し、左手は世界平和への願いを表すこと。
閉じたまぶたは犠牲者への祈りを、曲げた右足は静かな瞑想を、立てた左足は命を守る力強さを表しているそうです。
テレビで何度も見ていた像でしたが、その意味を知ることで、より深く心に刻まれました。



その後に訪れた長崎原爆資料館。
館内はとても静かで、クラスメイトも私も言葉を失いました。



原爆で大やけどを負った方の写真。


焼け焦げ、中のご飯まで黒く変わってしまった女子学生のお弁当箱。

学徒動員中だった14歳の少女が祖父母とともに命を落としたこと。


爆風によって変形し、11時2分を示したまま止まった柱時計。


どの展示も、「戦争」という一言では語れない現実を伝えていました。



中学生の頃、学校で『水をください』という歌とともに広島の原爆について学びました。
当時も悲惨さは理解しているつもりでした。
でも長崎原爆資料館で見た現実は、その認識がどれほど浅かったのかを教えてくれました。
資料館を出た後は、仲の良い友達とも言葉が見つからず、ただ静かに歩いたことを今でも覚えています。



今、私には小さな姪がいます。
2歳くらいの頃からニュースを見て、「ミサイル怖い」「戦争怖い」と私に抱きつくことが何度もありました。


戦争の悲惨さを知ることは、とても大切です。
一方で、小さな子どもや、発達障害・感覚過敏などで強い刺激を受けやすい人にとっては、あまりにもつらい映像や展示が心に大きな負担となることもあります。
だから私は、「知ること」は大切でも、「いつ、どのような形で学ぶか」を選べることも同じくらい大切なのではないかと感じています。



何が正しいのか。
何が間違っているのか。
私には、まだ答えは分かりません。


それでも、過去の戦争を忘れず、平和を願い続ける気持ちは持ち続けたいと思います。


広島、長崎で犠牲となられたすべての方々へ、心より哀悼の意を表します。
そして、子どもたちが戦争を知らずに笑顔で暮らせる未来が続くことを、静かに祈ります。



広島平和記念日。


長崎平和の日。


この二つの日を、私自身もこれから先、忘れずに心に刻み続けたいと思います。