「中山美穂」が繋ぐ遠い記憶
こんにちは
今日も東京は良い天気です。
Ryoのプロデュースを始めてから1年が過ぎましたが、
最初に取り組んだのがPV制作でした。
その最初の作品「会いたいよ」をYouTubeにアップしたのが昨年の1月27日…。
約1年前です。
昨日、再生回数が1万回を超えました。
たいした数ではないと思われるかも知れませんが
私もRyoも非常に喜んでいます。
観て、聴いてくださった皆さんありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。
先日、久しぶりに中山美穂がTVに出演して、映画の宣伝をしていました。
私はTVに映る彼女をみて、2人のSingerを思い起こしました。
1人は角松敏生です。
中山美穂の代表的なナンバーのひとつ
「You're my only shinin' star」
の楽曲提供者です。
当時、私は大学生だったと記憶していますが、角松敏生は私の大好きなSingerの1人でした。
個人的には
「Still I`m in Love with You」 や
「I Need You」のほうが好きです。
いずれもラブバラードで、私はRyoの楽曲に通じるものを感じます。
もう1人は
大学卒業後に就職した(私がよく遠景を撮影する)新宿の不動産会社に同期入社し、2年後退職したのち、プロのSingerとして活躍した女性です。
当時の中山美穂ほど派手なイメージではありませんでしたが、どことなく似ているなと感じていたことを今でも覚えています。
その不動産会社はバブル絶頂時に名を馳せた企業で、ドラフト「空白の1日」で有名な元巨人軍のエースやプロゴルファーを嘱託で雇用しており、とにかく派手な企業でした。
パーティー等も頻繁に行われており、政治家や各界の著名人も出席し、年一回、グループ挙げての納涼大会という名目のカラオケ大会も行われ、当然の如く彼女も出場し、3位入賞でした。
3位というと意外かもしれませんが、出場者には現役や元Singerも含まれており、その年の2位も現役のSingerでしたので完全な素人の大会とは少々異なっていたのではないかと思われます。
その後彼女は東映カラオケクイーンコンテストに優勝し、レースクイーン等を経てSingerとしてミリオンヒットを連発し、一世を風靡することになります。
彼女が退社の挨拶に私のもとを訪れたとき、「何故あなたは歌手にならないの?」と真剣とも冗談ともとれる表情で言ってきたことが思い起こされます。
私はその会社を5年で退職し、その後紆余曲折ありましたが、2008年にRyoに出会うまで音楽関係の仕事は一切してきませんでした。
彼女は2007年に入院先の病院で不幸な事故により40才の若さで亡くなってしまいました。
私はTVのニュースで彼女の死を知りました。
もし彼女が生きていたら、Ryoのプロデュースをしている私に向かって
「なーんだ、やっぱりこの(音楽の)世界にいるんじゃないの」
と言ったでしょうか…。
「カマちゃん、俺は歌手にはならなかったけど、俺よりもっと才能溢れるRyoっていうSingerを育てることにしたよ!
カマちゃんほど売れないかも知れないけど可能性を信じて一緒に頑張ってみるよ!」
誰もが可能性を秘めています。
簡単に夢を諦めることはありません。
チャンスは必ず来ると私は信じます。
何より身近な実例を知っていますから…。
Ryo PV 会いたいよ http://www.youtube.com/watch?v=vsvTXfKJtzc