はじめまして。

現在アメリカのASUに交換留学生として留学中のKanonです。

 

アメリカの大学での生活を通して気がついたこと、考えたこと、疑問に思ったことなどを記録していくために、新しくブログを開設してみました〜。

 

今回は「宗教」がテーマです。

 

日本人の多くは自分のことを無宗教だと感じていると言います。

でもクリスマスを祝い、初詣に行き、お葬式はお寺でするというなんとも変わった文化を持つ日本。

 

私自身大学がキリスト教の聖公会ではあるけれど、日曜日のミサに行ったこともなければ讃美歌を歌ったこともありません。

 

でもそれは私に限った話ではなく、多くの学生が同様で、でも困ったときは「神様助けて」と神に祈ります。

この「神」は特定のイエス様やブッタを指すわけではなく、ただただ導いてくれる抽象的な神を指していると思います。

 

私はASUでBCMという団体に出会いました。

BCMはBaptist Collegiate Ministriesの略称で、キリスト教を信仰している人たちの集まりです。

 

このBaptistとは、日本語ではバプテストと呼ばれるキリスト教の中でも、プロテスタントに属するさらに細かい宗派の一つだそうです。

聖書や洗礼を特に重視しているそうで、全世界に5000万人以上の信仰者を抱えるプロテスタント最大の教会でもあります。

 

ウェルカムウィークで彼らと知り合ってからいくつかBCMのイベントに参加し、その中で感じたことを今回は書いていこうかなと思います。

 

①伝統的なイメージ

 

私の中の礼拝のイメージは、まさにあの『天使にラブソングを』のような木造の教会にシスターと牧師さんがいて、みんなで厳かに讃美歌を歌い神を敬うというイメージでした。

 

しかしBCMのservingに参加してみるとそのイメージとは大きく異なった様子でした。

 

まず讃美歌?に値する歌はポップスのような感じで、ゴスペルともまた違った雰囲気でした。

ピアノやオルガンを使う訳ではなく、楽器もギターにドラムとバンドに近い演奏でした。

 

また、みんなで聖書を熟読する時間も、牧師さんが聖書に関するお話をするのではなく、Tシャツにジーパンのおじさんがお話をしてくれました。あれ?この人はどんな立場の人なのかな?と思うほど普通の人です。

 

そして教会も木造で木の椅子が並んでいて、真ん中にイエス様の像やパネルがあるということはなく、

まるでコンサート会場のような先進的なホールで、十字架の像はあるもののそれに向かって信仰をすることはなかったです。

 

つまり、私の想像していたあの「教会」ではなく、あまりにも現代的な教会の形がそこにはありました。

 

②信仰心

 

そこで行われていたservingの内容は私には衝撃的なものもありました。

 

まず讃美歌(讃美歌という表現が正しいのかわかりませんが、ここではservingにおいて歌われていた歌を讃美歌と称します)の歌詞は、どれもgesus christを讃えるもので、私たちはLoadの元に生まれあなたに従います、というような歌詞がほとんどです。

 

歌う時はみんな真剣で、Loadという単語が出てくると手を上に上げて歌っている人もいました。

 

今までに5曲聞きましたが、すべてgesus christに感謝する内容でした。

 

 

次に聖書熟読の時間です。

 

牧師さん(これも多分違うけど呼び方がわからないので牧師さんと呼びます)が出てきて、ある一部の章について、より深く理解するためにお話をしてくれます。

 

それぞれが自分の聖書を持参し、そのお話を聖書に書き込んでいました。

書き込みをせず聞いているだけの人もいましたが、基本的に熱心にお話をまとめてペンでラインを引いたりメモを取ったりしていました。

 

私も友達にメモをとりたかったらペンを貸すから言ってね、と言われて、ただ聞くだけが当たり前ではないんだなとびっくりしました。

 

牧師さん的立ち位置の人もひたすら喋っていて、この知識はどこからくるのだろう?毎回自分でネタを考えているのかな?と気になりました。

 

 

そして最大の衝撃が洗礼?罪の告白?です。

 

1回目のservingでは、棺桶のようなものに水が張られていて、1人の男の子が服を着たままその中に入りました。

付き添いらしき人が彼は〜〜で、と罪の告白的なもの(私にはうまく聞き取れませんでした…)をはじめ、急に男の子の頭を水の中に押し付けました。

 

これが3人分行われました。

 

2回目のservingでは、女子生徒がみんなの前で自分がいつgesusに出会い、自分の世界がどのように変わったのかを話してくれました。

汚れた世界にいたけど、gesusに出会ったことで、世界が大きく変わったのです、的なことを言っていました。

 

その話の最中に彼女は泣き出してしまいました。

 

この2つの行為は私にとって衝撃的なもので、恐ろしささえ感じてしまいました。

 

彼らの信仰心が偽りではなく、心からその存在を信じて全てを委ねているのだと再認識した日でした。

 

 

③宗教とは

 

数日間彼らと関わり過ごしていく中で、私の中の「宗教」に対する考え方は大きく変わりました。

 

私は日本でさえもこのような宗教的会合?に参加したことがなかったし、むしろそれを気味が悪いと思って馬鹿にしているようなタイプでした。

なぜなら、私は信仰というものを身近には感じておらず、宗教団体というとどこか怪しくて表面的なものというイメージを持っていたからです。

 

 

駅で見かける宗教団体やたびたびSNSで話題になる謎の宗教、ミステリー作品に出てくる教徒たちなど、日本で宗教というとあまり良い描かれ方がされていないのが現状だと思います。

 

 

しかし実際に彼らと接して話して参加してみると、決して悪い人たちではなく、むしろ隣人愛や困っている人に手を差し伸べるといった考え方を持っているからなのか、すごくすごくいい人たちでした。

異国に来て困っていた私たちのことを、見て見ぬふりをしたり、軽くあしらったりすることもなく、本当に優しくて素晴らしい人たちでした。

 

彼らがここまで優しいのは、やはりキリスト教の考えに基づいている部分もあると思います。

 

初めて目にした彼らの信仰心の深さは一見怖いものでもありましたが、想像していたよりもずっと純粋で素直なものであることがわかりました。

 

 

 

日本には特定の宗教を崇拝している人は少なく、キリスト教信者も総人口の1%ほどだと言います。

 

私はこの経験を通してクリスチャンになりたいとまでは思いませんでしたが、自分の揺らがない核の部分として宗教が存在するのはとても素敵で羨ましいことだなと感じました。

 

これを機にさまざまな宗教について調べてみようかなと思いました。

日本に帰ったらミサにも参加してみようかな。

 

 

ではまた今度。