序. なぜ今、「アジア・ファースト」なのか?


米中対立が激化し、ウクライナ戦争や中東情勢が不安定さを増す中で、米国は何を最優先し、どこに戦略資源を集中すべきなのか――。この問いに真正面から答えたのが、エルブリッジ・コルビーによる戦略論の話題作『アジア・ファースト』である。

本書は、トランプ政権で国防戦略の立案に関与した著者が、米国の対中戦略を「拒否戦略(Denial Strategy)」として再定義し、同盟国である日本にどのような戦略的責務が求められるのかについても描き出している。単なる米国の内向きな転換ではなく、世界秩序の重心がアジアに移る時代の構造転換を映し出す一冊として、日本の政策関係者・実務者にとっても示唆に富む内容となっている。


1. 「拒否戦略」の中核:アジアこそ主戦場

本書は、米国の世界戦略を再構築するうえで、いかなる優先順位を立てるべきかという根本命題に対して、驚くほど明快な回答を与える一冊である。中心的主張は、米国がリソースを最も注ぐべき第一のフロントを「アジア」に置き、そこで中国の地域覇権を断固拒否することが世界戦略における一丁目一番地であるという点にある。

この構造は、逆算的に米国の行動原理を導き出すという意味で非常に論理的だ。中国を地域覇権国として台頭させないためには、戦争を抑止するだけの信頼に足る戦力配置と経済基盤の強化が必要であるとし、コルビーはその前提として「購買力平価ベースの経済規模」と「ハードの戦力」を重視する。つまり、名目GDPではなく、実質的な生産力と物量戦に耐える持久力を重視するリアリズムに基づいた戦略である。

2. 欧州とロシアは「分担」、主戦力はアジアに

この観点からすれば、経済力が西欧諸国連合に遠く及ばないロシアは、あくまで中国に次ぐ「第二のライバル」に過ぎない。ゆえに欧州におけるロシア対応は欧州自身に委ね、米国は対中戦略に資源を集中すべきだと説く。実際、現在のトランプ政権が中東やウクライナに対して停戦圧力を強め、欧州との摩擦をいとわない姿勢を見せているのも、この「アジア集中戦略」の文脈で理解すれば、一貫した行動といえる。

3. 工業力の再建と日本・韓国の役割

さらに注目すべきは、米国の工業力が中国に後れを取っているという冷厳な現実を踏まえ、米国内の再工業化と同盟国の産業力の戦略的活用をセットで提案している点である。特に日本と韓国の造船業の戦略的な動員、そして日本の防衛費をGDP比3%まで引き上げるべきという主張は、日本の今後の国家戦略を考えるうえで極めて重要な示唆を含んでいる。

4. トランプ2.0の通商戦略は「構造的」

この文脈で見ると、トランプ2.0が展開する通商政策は、単なる衝動や偶発ではなく、「拒否戦略」の一環として整合的に理解できる。中国に対してはすでに関税を145%まで引き上げており(2025年4月10日時点)、いわゆる「米中ディール」の可能性は極めて低いと見てよい。自由貿易体制のもとで進んだ産業空洞化の是正と、国防と直結する基幹産業の国内回帰こそが主眼なのである。
※その後、5月12日に米中両政府が12日、相互に課した追加関税の引き下げで合意。
改めて、米国が中国に製造能力を依存し、関税による中国製品の値上げがむしろ米国経済により大きなダメージを与える状況が浮き彫りになったといえる。

とりわけ、自動車・鉄鋼・アルミ・半導体といった産業は、安全保障と直結するゆえに、関税引き下げなどの交渉余地は限定的だ。一方で、日本企業によるUSスチール買収のような動きには、「同盟国によるサプライチェーン強化」として納得を得られる可能性が見えてきている。これは、「米国の象徴的企業が外資に買収される」という心理的ハードルを乗り越えられるかにかかっている。

5. 「米国の変容」としての拒否戦略

結局のところ、トランプの通商政策や対中強硬路線は、「トランプというマッドマンの暴走」ではなく、中国台頭という歴史の転換点において米国が取りうる合理的な拒否戦略である。いわば、米国の「変容」であり、この構造的流れは、今後どの政権がホワイトハウスを握ろうとも継続性を持つ可能性が高い。

6. 日本が求められる三つの対応

こうした構造転換の中で、日米関係もまた再定義を迫られている。米国が現在の文脈で日本に求めるものは、おおよそ以下の三点に集約される:
 ①防衛費の抜本的増額(国内防衛産業の強化、米国製兵器の調達、在日米軍駐留費負担など)
 ②日本の製造業による米国内投資の拡大(米国内サプライチェーン強化)
 ③過度なドル高の是正への配慮(米国製品の価格競争力維持)

加えて、防衛とは距離のある交渉材料として、農産物関税の引き下げ、米国産LNGの追加購入(アラスカ投資参画を含む)、その他非関税障壁の見直しといった選択肢もありうる。これらは対日貿易赤字縮小という米側の思惑に応えるものであり、日本側としても何を譲り、何を守り、何を飲ませるのかを慎重に精査しなければならない。

7. 本書を通じて問われる、日本の準備力

自動車など基幹産業の関税交渉余地を確保するには、上記の各項目について、日本がどこまで戦略的に準備できているかが問われる。本書は、単なる米国の安全保障論ではない。むしろ、日本の政策立案者・実務者にとって、目前の通商・安全保障交渉をデザインするための実務的な手引きとして、一読の価値がある。