先の見えぬ病や、愛する人との別れ、生きる意味の喪失などの逆境に置かれた人は、しばしば心の目線が下がってしまうという。亡霊のように低い暗い地平を彷徨い、この世には何の光もなく、全てのものはやがては失われていくのみで、自分もその一部にすぎないことを思い知る。


精神活動の停止は、すなわち死に等しい。少なくとも、私にとっては。


けれど、逆境においても、様々な文学、美しい絵画、静かな音楽、そして自然に触れることで、心が動かされることがある。風が心地よい。木漏れ日が眩しい。食卓の匂いに空腹を感じる。そんな柔らかな刺激を心が受け止めるとき、あー、まだ生きているのだ、と感じる。自分が、この世にまだ存在していることがわかる。心と身体は一体なのであり、不自由な心と身体を持って生きる私たちは、無秩序な世界において、決して独りではなく、他者と共に喜びや悲しみを分かち合い、意味を求めてやまない存在として生きる定めなのである。意味を求める限りにおいては、人の心は自由なのだと言えると思う。


『眼が存在するのは光のおかげである。眼は光にもとづいて光のために形成される。それは内なる光が外なる光に向かって現れ出るためである』   ゲーテ