「しかしそれは、そのような勇気がそもそもいかにして可能となるか、という問いに対しては、答えることはできない。この問いに対する答えは、その前提条件として、その無意味性の状態を受け容れていなければならないのである。もしその答えがこの状態の除去を要求するならば、それは答えではなくなる。というのはこの状態が除去されることは全然ありえないことだからである。懐疑と無意味にとらえられている人は、そのとらわれから自己を解放することができないのである。こういう人間が求めている解決とは、彼の絶望状態の外で妥当するようなものではなく、その絶望状態の内部で妥当するようなものなのである。彼は、われわれがさきに『絶望する勇気』と名づけたところのものを基礎づける究極的根拠を求めているのである。もしわれわれが問題を回避しようとしないならば、その問題に対してはただの一つしか答えがありえないであろう。つまり、絶望を受け容れるということそれ自体が<信仰>であり、それと同時に生きる勇気がそのぎりぎりの限界においてあらわれ出る、ということである。」                ティリッヒ