「魂の抜けた肉体を鳥にお布施する。鳥は魂を天へと導く」
中国四川省の成都から悪路を車で三十時間ほどで青海省との境界近くに位置する唐克にたどり着く。
ここではチベット遊牧民族が彼ら特有の風習をかたくなに守りながら生活しており、中国政府の外国人立ち入り禁止地区に指定され撮影も禁止されているため、成都大学人類学助教授と身分を偽っての取材となった。
チベット自治区での生活は予想をはるかに越える厳しいものである。
高地での生活に慣れない私は「高山病」という未知の病気に容赦なく襲われた。
薬や鍛錬で克服できる病気ではないだけに、頭痛と吐き気に襲われ数日間は酸素ボンベの世話になりながら徐々に薄い空気に体を慣らしていかなければならなかった。なにしろ自治区全体が富士山頂の標高を凌ぐ高さに位置しているのだ。
さらに「一日の中に四季がある」といわれ。二十五度を越える激しい寒暖さ。夏でも早朝は零度以下まで冷え込み昼間は二十八度まで気温が上がる。
私はチベット人家族のテントに居候し毎日、大麦の粉で作ったパンとバター茶での生活が始まった。
ヤクの糞を乾燥させて作った燃料をテントの中で燃やし暖を取り料理を作る。
風呂はナシ。聞けばチベット人は一年に一度、川で水浴びをするだけなので垢まみれで体臭はすざましい。
そして、そんな生活をしながら葬儀用の遺体を待った。
チベット民族の風習でもっとも神秘のベールに包まれているのが葬儀であろう。
伝染病、罪人に行われる土葬。物乞い、未亡人、幼児、貧しい人々を対象とした水葬。高貴な人や僧侶は火葬にされその灰は風に撒くか川に流される。
ダライ・ラマやそれに次ぐ法王はミイラにして塔にまつられる塔葬。そして、有名な鳥葬である。
ラマ教の僧侶が読経中に鳥葬と判断したときにだけ行われるこの方法は「魂は鳥によって天に運ばれる。そして、ただの肉の塊となった人体を鳥に布施して自然に帰す」との考え方から生まれている。
遺体は鳥葬前日の葬儀で白い布で包み、部屋の一角に安置し僧侶の読経によって肉体から魂を解き放つ。翌日、魂の抜け殻である肉体を夜明けとともに東側に面した小高い丘の中腹の鳥葬場へ運ぶ。周辺では、お経がびっしりと書かれた白い布が幾重にも風にたなびくなか香をたき死体処理人が空に向って「ピュアー、ピュアー」と叫びハゲタカを呼び寄せ遺体を解体する。
肉と骨を分け、初めに骨を小さく砕き大麦の粉をまぶしハゲタカに与え、次に同じように肉を処理する。
集まった鳥たちは待ちきれず解体している間も物凄い勢いで肉をついばみ、凄まじい遺体処理劇が展開される。
チベットでは多夫多妻、一妻多夫の結婚形態が生きており一人の女性を兄弟で所有していることも珍しいことではない。女は毎朝、遊牧に行った夫の無事を祈り、男は遠くの遊牧地でこれから転生の役を担うはずのわが子を思う。
生命や家族をぎりぎりのところで守る人々がここには存在する。文明社会の衣を着せられた私達はチベットという一つの「極」に生きる者の姿をどうとらえるべきなのだろうか。