とあるお仕事(ボランティアなので、本業じゃないけど)をしていて思った。
考えさせられた、というのが正しいかな。

シアワセって、なんだろう??

私自身、今、間違いなく幸せだと思う。
両親や兄弟は健康。
仕事がある。
食べるものや寝る場所には困らない。
素敵な友人がたくさんいる。

特にこの、素晴らしい友人たちがたくさんいることが素敵。
会えば新しい見方を与えてくれる。
泥沼にいた気がしたのに、彼らに会った後に周りを見渡せば、そこは素敵な森の湖に見えたりする。
常に刺激と、考えろ!という指令をくれる。
数年に一度しか会えなくても、あるいは10年ぶりだとしても、いつも助けてくれる、素敵な友人たち。
私はやっぱり、幸せだ。

でも、じゃあ、一般的にいうシアワセって、なんだろう?

シアワセってのは、やっぱり主観的なものなのだろうね。
だから、ある人から見たらシアワセな環境にいると思われる人も、本人がシアワセじゃないと感じていれば、シアワセではないんだよね。

逆に、ある人から見たらシアワセとは思えない環境にいる人も、本人がシアワセだと思っていれば、シアワセなのだよね。

日本人は幸せだ。途上国の人はかわいそうだ。
よく聞くけど、果たしてそうなのかしら?
結局、当人がどう思っているか、なのだとしたら、日本人は幸せとは限らないし、途上国の人たちは幸せでないなんてわからない。
主観的な問題なら、食料があるから、勉強できる環境があるから、だから幸せだ、とは言えないよね。

「そこに選択肢があるか」ってことは、考えるひとつのポイントだと思うのだけど、でもそのポイントについても考えがまとまらない。

大学や就職までの道筋が自分以外の誰かによって決められている人がいたとして、それがその人自身が望んで疑わない道ならば良いけれど、そうでなければ、他に選んでも良い選択肢がないのは辛いことだよね。
今、裕福ではないけれど家族みんなで支え合って暮らしている人がいたとして、それを幸せだと感じていたらとても素敵なことだけれど、家族が生きていくという選択肢しかなくて、例えば教育を受けること、自ら考えることを選べることすら知らないのであれば、それは「幸せなんだからいいじゃない」と済ませて良い問題なんだろうか。

「あの人はこれで幸せなんだからいいんだよ」というのも、「あの人は他に選択肢を知らないから不幸せだ。選択肢があることを教えてあげなきゃ」というのも、なんとなく、どっちも傲慢な気がする。
でも、周りが教えなければ、他の選択肢に気づくこともないのかなぁ、と思うと、伝えないのもよくない気がする。

結局は、知るタイミングなのかなぁ。
テレビやラジオは、今や世界のどんなところにも存在していて(日常的に観ているかは別だけど)、なんとなく、世界の情報は入ってくる。
日本にいれば、テレビでもラジオでも、インターネットでも、世界中の情報を集めることができる。知ろうと思えば、ね。

あとはそうか、幸せって主観的な判断かと思って書き始めたけど、主観的=絶対的ってわけでもないか。
相対的な考え方もあるよね。で、相対的なシアワセが、客観的なシアワセと同義かと言われると、なんだかちょっとモヤモヤする。

難しい。
最近難しいこと考えてなかったから、余計難しい。
やはり頭は使っていかなきゃだめだにゃあ。


みんなが、

「わたしは幸せです」

と言えるときが来るといいな。
帰国して早一年が経とうとしています。

月日が流れるのは本当に早いものですね。

さて、やっと北海道での生活が落ち着いてきたので、新しいブログを開設しました。

こんなことがありまして。

日々思ったこと、感じたことを書いていこうと思います。

たぶん大した内容にはならないと思いますが(笑)、お時間のあるときにお付き合いいただければ幸いです♪♪

えっと。。。


すみません!!!!


前回更新してからなんと早3ヶ月が経ってしまっております。。。


元から筆不精な私ですが、ここにきて、最後のここにきて!!筆不精っぷりを発揮してしまいました。


書くといったのに書かないのもアレなので、今更どなたが見てくださっているかわかりませんが、簡単に書いてみようと思います。


多分本当に簡単になるわ。。。ごめん。。。




ということで、3月22日朝8時ころ、飛行機は成田空港に降り立ったわけです!!


でも、私はな~んかしっくりこない。


カンボジアで送りだされても、タイで飛行機乗り換えても、「帰るんだ」って感じが全くしなくて、ちょっとお出かけするくらいにしか感じなくて。


最初に「あ、帰ってきたのかも」って思ったのは、飛行機から空港に続くあの・・・何て言うの??あの廊下みたいなやつ!あそこに降り立った時。


空気が冷たくて、常夏の国カンボジアじゃなかった。


その冷たい空気が、私の記憶を呼び覚ましたというか、「あ!寒い(って感覚)!!」と思ったのだ。


「帰ってきたのかも~!日本かも~!」と一緒に帰ってきた同期に話しかける私。


でもなんかピントずれてる(笑)



結局、帰国して3カ月が過ぎた今でも、「日本に帰ってきた」という気持ちは不思議と持てません。


多分、もう「帰る」っていう感覚がないんだろうね、カンボジアから。


既にどちらもホームになってしまったのでしょう。


私は昔から、あんまり土地に執着がないのか、千葉から函館に帰郷しても、また函館から千葉の家に戻っても、「帰ってきたー!」という気持ちがわかないんですよね。


「私がいる場所が私のホーム」みたいな、変な信条を無意識に持っているような気がします、近年の自己分析によると(笑)


だから多分、私はどこでも生きていけるんだろうなーと思います。


カンボジアで辛かった時期も、「日本に帰りたい」と思ったことは一度もなかった。


ただ、「会いたい友達」はたくさんいました。


その友達に会うには日本に帰らなくてはいけない、みたいな。


結局、2年間帰ってこなかったけどね。




東京では帰国後の研修が3日間あったのでしばらく都内滞在。


一緒に帰国した同期と新宿で服を買いあさりました!


だって、まともな服持ってないんだもん(苦笑)


でも服も値段がよくわからなくて、セールで購入したのはいいんだけど、結局安かったのか高かったのかわかんなかった!!


研修が終わっても、千葉時代の友達にあいさつ回りしたかったので、結局10日間くらいは関東にいたな。


懐かしい友達に会って、わいわい騒いで、2年なんてなかったかのように笑いあえて、とっても嬉しかった。


だけど私は確かに2年分変わってしまっていて、それが良かったのか悪かったのかは今でもわからなくて、だけどそれを「良かった」と言えるようにこれから生きていくことが正しいんだと思う。


2年前に比べて私はかなりズボラな性格になったし、男勝り度が増したし、服とか化粧とかの身だしなみも以前に増して適当になってしまった。


だけどその分、ぐちぐち悩むことは減ったし、楽しい時に楽しいって叫べるようになった。楽しい時間を楽しめるようになった。


日本人からしたら、多分昔の私の方が社会では扱いやすかったと思う。


だけど、きっと今の私を必要としている場所もあるはず。


この2年の経験を活かすも殺すも私次第だ。


気合い入れていこう!!





・・・と言いつつ、実家に帰ったらとーちゃんかーちゃんにそそのかされて(?)日本社会のシステムに難なく組み込まれてしまった私(笑)


しかしとーちゃんを無下にも払いのけ、6月は3週間ほど東京に滞在してまたあいさつ回り。


その後7月頭には山形に免許合宿に行った。


超自由な生活(笑)


そして今は、さすがに働かねばと就活中!!


早く働きたいよ~お金ないよ~(苦笑)


いやでもほんと、働きたい!


働くって大切だよ。自分に付加価値をつけたいのだ。




・・・ということで、簡単にカンボジアでの2年とその前後の生活をまとめてきたこのブログですが、この記事を最後にしようと思います。


またブログは新設しようかと思っています。


ただ、更新はかなりゆっくりになるかと思いますが( ̄Д ̄;;


ブログ新設したら、ここにURLのっけますね!(まだこのブログ見てくれてる人がいればだけど!)




ではでは、この2年とちょっと、このブログにお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました!!


私は今日も、元気です!!!!!


ばいばーい☆

間が空いてしまいましたが・・・


とりあえず私は元気に生活していますが、両親のもとで休みなく働き、両親のもとで強制ダイエットをさせられています・°・(ノД`)・°・


実家に帰ってきたというのに、こんな歳にもなって両親に食事制限されるとは・・・どゆことorz


ま、兎にも角にも、今日はカンボジア生活の最後、プノンペンでの様子です。




3月12日にシハヌークビルからプノンペンに移動して、最後のカンボジア生活をスタート。


13日は何も予定がなかったので、ぐーたらしてました(笑)


スマッテリアっていう鞄屋さんがあるんだけど、そこで鞄を大人買い!


蚊帳を使ってる鞄なんだけど、色もたくさんあって可愛いのです。


大きめのバッグと、ポーチ大小1個ずつと、ショルダーバックと、PCケースを購入。


あとは残りのお土産買いに行ったり。



あ!そうそう、事件がありました。


シハヌークビルの郵便局から実家に荷物を送ったんだけど、プノンペンの郵便局から電話がかかってきて、「シハヌークビルからプノンペンへの移送中に荷物の中で魚醤の瓶が割れたみたいなので詰め直しに来てほしい」と言われてたので、この日に郵便局に行ったんですよ。


で、案の定魚醤の瓶が割れて大惨事になっていて、郵便局で詰め直したんですね。


郵便局のおじちゃんが、ガムテープとか梱包材とかくれて、「困ったことがあったら俺に言いな!」とか優しくしてくれて、いいおっちゃんだな~って思ってたんですよ。


そしたら、最後の最後に「荷物が重いから5ドル払って」と言われ。


魚醤の瓶を抜いてるから、重くなったはずはないんですけどね。


まぁ、秤の誤差ってことも考えられるんですけど。


でも、私は知ってたんです、送料(料金表)で「差額5ドル」ってことはない。


「何キロだったの?」と聞くと、「18キロちょっと」との答え。


「あのね、私18.5キロで既に料金払ってるのね」と言うと、隣にいたおばちゃんがささっと確認して小声で「この子、18.5キロで支払ってるわ!」と。


そしたらおっちゃん、「えっとね、18.6キロだったんだよ」と。


「そっか、じゃあ19キロの送料になるよね。19キロの送料っていくらなの?」と私。


誰も答えなーい!


おーい。。。


そしてひたすら、「思いから5ドル払ってほしいんだ」と。


「うん、だからね、19キロとの差額は払うよ、19キロはいくらなの?」と何度も聞くが、「5ドルくれ」の1点張り。


「テープぐるぐる巻きにしたから、その分増えたんだよ」とかいらない説明までしてくる始末。


やがておっちゃんも疲れたのか、「やっぱり18.5キロちょうどだったから、帰っていいよ」と。


そしたらそれを隣で聞いていた(別の客の対応をしていた)おばちゃんが「え!?何キロなの!?」と割り込み。


おっちゃん「18.5キロちょうどだったから、差額はないんだよ」と弱弱しく説明。


するとおばちゃん、私の方を見降ろして、「10 dollars!!!(英語)」。


おばちゃん、今まで5ドルだったのに10ドルになった時点で嘘確定だよ。。。


しかも何故突然英語。。。


さっきまでクメール語でやり取りしてたんですけど。。。


外国人ならお金取れると思ってるんじゃないよ!!!


全く。。。


おっちゃんが私に「もういいから帰れ!」と小声で指示(苦笑)


「テープ・梱包代」って言われたら、それが例え規定外だったとしても払ったのにな。


どうして微妙な嘘をつくんだろうね~。


最初からちゃんと19キロの値段言われたら、それはそれで差額払ったのにね。


たぶん10ドルか15ドルくらい差額あるはず。


それは金額が大きくて気が引けたのかなあ?


全く、人がいいんだか悪いんだかわからない国です^^;


とにかく、プノンペンの郵便局はぼったくられることで有名なので、気をつけて!


ちなみにシハヌークビルの郵便局はとってもいい人たちばかりです。



14日は、大使館に表敬訪問。


今回は帰国者がSV8名、JOCV9名の合計17名もいたので、大使館側も大変そうでした(^o^;)



15日はJOCVの帰国前の活動報告会とJICAカンボジア事務所長面談。


報告会はほんと「乗り切った」感満載で、聞きに来てくれた皆様に申し訳なかったです。


だって、なんか今回からテーマ決められて、「直面した困難について、それをどう乗り越えたか、そしてその後どうなったか」って言われてもさ~!!!


直面した困難は多数あったけど、乗り越えられずに終わりました。


このテーマは一番不向きだったよ、私。


お昼は同期のSV・JOCVと一緒に事務所近くのお店でランチ。


久々の同期写真も撮りました♪♪


SVが2人来れなかったのが残念だけど。



今、ちょっと遠くにいます。



16日はSVの報告会。


この日も同期とランチ♪♪


そしてこの日の夜はJICAカンボジア日本人会のパーティー。


私も参加させていただきました。


2年の間にお世話になった事務所の方、専門家の方、SV・JOCVの方々にご挨拶をもでき、とっても楽しい夜でした。


日本人会の中にジャズグループがあったのにびっくり。


JOCVのMさんのキーボード演奏もとっても素敵でした♪♪




17日は、千葉大学に留学していたカンボジア人のKalyanさんに会いに、プノンペン大学へ。


プノンペン大学は、日本でいえば東大ですね。


Kalyanさんは理学部で助手と言うか、研究員というか・・・先生のお手伝いをしているそうです。


会ってびっくり、なんとKalyanさん、妊娠していました!!!


カンボジアの妊婦は「極力身体を動かす」ように指導されます。


日本では「えええ!座って座って!!」って思う場面でも、「動かなきゃいけないから」って言います。


こっちは冷や冷やモノです。


臨月なのに座らないとかね。


Kalyanさんは日本に6年も住んでいたので、「日本とカンボジアのお医者さんは言ってることが違うから、どっちを信じたらいいのかと迷ってしまうこともある」と医療事情の違いに困惑しているようでした。


他に、カンボジアではまだまだ民間療法の考え方が多く残っていて、ちょうど過渡期なんでしょうね。


カンボジア人自体が困惑している場面もたまに見ます。


こちらはKalyanさんと。



今、ちょっと遠くにいます。


そんでもってこの日の夜は送別会。


盛大なパーティーで大盛り上がり。


っていうか、超感動。


泣きまくりでした。゚(T^T)゚。



そして何故か、私も踊ることに・・・。


結局、私が出し物で何もしなかった送別会は2年の間に1度もありませんでした。。。


しかも今回は、カンボジアで大流行中のアングリーバード(iPhoneのゲームアプリのキャラらしい)のTシャツを着せられるという辱めまで受け・・・。



今、ちょっと遠くにいます。

「メガネ時代」というグループ名で少女時代の「Gee」を踊りました。


忙しい中、よく頑張った、私!!!!!


自分で自分を褒めたいです。。。



もうこの夜はとにかく騒ぎました。


カラオケも騒ぎまくって、喉ガラガラ。


飲んだし、騒いだし、あんまり記憶ないです(笑)




18日はとにかく寝てました。。。


夜は何人かの後輩隊員とロシア料理のお店へ。


イリーナっていうお店なんだけど、いつも空いてるんですよね(;^_^A


でもとっても美味しいんです。


ロシア料理ってそこ以外で食べたことないけど。。。



19日は22-1と22-2次隊の現職教員の6人が帰国。


赴任は私たちより後なんだけど、4月からすぐに教員として働く特別参加制度なんですね。


訓練を入れて2年間っていう。


みんなで空港にお見送りに行きました。



20日はまたしても暇な日。


プノンペンの郵便局から日本の実家に荷物を送りに行ったりしたんだけど、郵便局の段ボール箱じゃないとだめだから詰め直せって言われたので、「面倒だから今詰めてある段ボールごと郵便局の段ボールに突っ込んでよ」と言うと、なんと郵便局の段ボールを分解して(開いて)私が詰めた段ボールに巻きつけてテープでぐるぐる巻きに。


「それでいいんかい!!」と突っ込みたかったけど、「ああやっぱりカンボジアなんだなあ」と思いました。


強度の問題とかじゃなくて、単純に「段ボールを売って収益を上げたい」ってことなのね、きっと。。。




そして21日は、ついに帰国の日。


でも、全然帰る気がしませんでした。


帰る想像が出来ないんですよね。


っていうか、帰国って何??って感じ。


自分でも不思議でした。


でも結局、「帰国したんだ、私!!」っていう実感は1度もなかったんですよね。


ま、その話はおいおい。


で、なんだか分からないうちに帰国したわけです。


当日、わざわざ空港まで見送りに来てくださった方、本当にありがとうございました。


最後にみんなで歌った歌、帰国の実感がない私にはなんだか不思議な感じに聞こえました。


でも、「帰るんだな~」と思いながら聞いたのは後にも先にもこれ1回だけ。

そして泣きそうにならなかったのも後にも先にもこの1回だけ(笑)


毎回泣いてたんだけどな~。


それくらい、頭では理解しているのに帰国の実感がない、変な感じでした。


そんな中、シハヌークビルの後輩隊員と撮った写真がこちら。



今、ちょっと遠くにいます。



ということで、私は無事に帰国いたしました。


カンボジアの2年間の生活でお世話になった皆様、本当にありがとうございました!!!


どうもみなさまこんにちは!


tailstoneでございます。


なんと私、今やもう日本の住民になりまして。


つまり、帰国したんですけども。


ものすごい充実っぷりで、ブログなんて書いている暇がなかったのです。


ということで、「帰国までシハヌークビル編」「帰国までプノンペン編」「帰国してから」の3回に分けて、さらさらっと振り返ってみたいと思います。


今日は「帰国までのアレコレ。~シハヌークビル編~」ということで。




えーと、Oさんとの旅行から帰ると、もう見る見るうちに時間が迫ってきまして。


そして予定の立てられないカンボジア人が、次々に声を掛けてきてくれて。


「もう空いている日ないの~、ごめん!!」と断ることになったり。


っていうか、それまで送別会とかそういうの開いてくれそうな素振り全く見せなかったのに、直前になって何故!?


前からわかってたことだったでしょーーー!!!


とは言っても、怒るなんてそんなことありませんよ。


だってさ~、送別会開いてくれるなんて思わなかったんだもん!


単純に嬉しいよ。



まず最初は、1年生が「今度海に行くんだけど、一緒に行かない?」と声をかけてくれました。


生徒とどっか行ったことなかったので、とっても嬉しかったです。


しかし、「ネアックルー(女の先生の総称)、日本の料理作ってきてよ!!」と・・・


おいおいおいキミタチ!!!


日本の料理は手間も時間もかかるんだよ!!!!


…と心の中では思ったけど、これも最後だしと思って引き受けることに。


ただ困ったのが、「カンボジア人が受け入れられる料理」であること。


おそらく(タイやベトナムは別として)外国の料理を食べたことなんてないだろう彼女たちに、何を食べさせるべきか・・・。


悩んだ結果、豚の生姜焼きと海老フライにしました。


豚の生姜焼きは似たような料理がカンボジアにあるし、コロッケはカンボジア人ウケがいいのできっと海老フライもウケるんじゃないか、ということで。


しかし、「多くて15人」分の料理は買い出しから半端ない。


人生であんなに多くの豚肉を頑張ってスライスしたのも、あんなにたくさんの海老の殻を剥いたのも、初めてでした。


とりあえず、評判は良くてよかった!!


こちらが集合写真。


陽気な欧米人が声を掛けてきてくれて撮ってくれました。感謝!



今、ちょっと遠くにいます。-1年生と海



そしてこの後、韓国のJICAのような組織KOICAのボランティアが送別会を開いてくれました。


手作りの韓国料理、激うま!!!


短い付き合いだったけど、本当に楽しかった。


どうもありがとう。


一番連絡を取っていたひとが写ってないのが残念だけど。



今、ちょっと遠くにいます。



それから、後輩隊員のFくんとクバールチャイの滝に行きました。


クバールチャイの滝は、シハヌークビルではレアム国立公園と並ぶ観光名所です。


でもこの時期は水が少なすぎて全然威力がなくてびっくり!


こんなに変るもんか~!と、それはそれでいい経験になりました。


そうそう、滝はもう広く広く流れてるんだけど、ある場所にはお花のついた可愛い椅子があって、写真とか撮れるようになってるのね。


そんで、最後だから行ってきたら?と言われて水の中に足を踏み入れた瞬間…



ばしゃん!!



水に入って30センチくらいしか進んでないのに、ですよ。


さすがの私もショックで、しばし仰向けのまま放心。


隣でF氏大爆笑。


くっそーーー!!!


気を取り直して再チャレンジ!と思ったら、優しいカンボジア人のお兄さんが手を取って誘導してくれました。


マジ優しい♪♪


その情けない後ろ姿がこちら。



今、ちょっと遠くにいます。-クバールチャイ


いろいろ透けてますが、Gパンなので大丈夫。


…っていうかお見苦しくてごめんなさい・°・(ノД`)・°・




お次はプノンペンに引っ越してしまった後輩隊員のSちゃんがわざわざ遊びに来てくれて、F氏と3人で過ごしました。


えっと・・・本当はいろんなイベントを考えてくれていたらしいのですが、私が朝に「おでん」を作り始め、しかも待ち合わせの時間に間に合わないという大惨事を引き起こしてしまったため、急きょSちゃんとF氏にも手伝ってもらうことに。


できたおでんがこれ。



今、ちょっと遠くにいます。-大鍋

例の大鍋で作ったのですが、具が多すぎてなんだか分かりませんね・・・。


では、あふれた分を入れた小鍋をご紹介しましょう。


こちらです。



今、ちょっと遠くにいます。-小鍋

うちのおでんはニンジンが入るのです。


内容は、


・大根

・人参

・こんにゃく

・たまご

・手作りちくわ

・手作りさつま揚げ

・手作りきんちゃく

・手作りつくね


でした。


竹輪とさつま揚げは帰国前に一度は作ってみたかったんだよね~。


味も結構美味しかったし、何より「作った!」という達成感で大満足。


ちなみにこれらは、お世話になったカンボジア人、韓国人、日本人に(ほぼおしつけ状態で)配りました。


前に日本に行ったことがあるカンボジア人が「おでんが美味しかった」って言ってたのよね。


あと、韓国人が、「韓国では刺身と日本酒とおでんは有名で、お店もたくさんある」と言っていたのよね。


ということで、おでんを配ることにしたのでございます。



で、私の迷惑なおでん大会が終わり、ギリギリ夕日に間に合うぞ!ってことで3人でオートレスビーチへ。


ここはシハヌークビルの端っこのビーチで、とっても綺麗と聞いてはいたのですが、私は実は一度も行ったことがなくて。


残念ながらやっぱり雲が・・・と思っていたら、なんとすごい景色が!!!


これはやばいよーーーー!!!!!!大興奮間違いなし!!!!




今、ちょっと遠くにいます。-オートレスビーチ


やばいっしょ??


シハヌークビルで見た素敵な夕日の中でもひと際すごい景色だった。


ほんと大興奮でした。


連れてきてくれた2人に感謝です。





そしてそして、学校での感謝状授与式。


式っていうほどじゃないんだけど、それでも学生はもちろん先生も集まってくれて、感謝状と花束とプレゼントをもらいました。


プレゼントがこれまたすごいの!!


カンボジアの結婚式に出席するときに着る衣装用の布をひと揃えいただきました。


高価なのに・・・!!!!


学生たちもカンパしてくれたらしく、本当に感謝感謝です!


布をもらったので、プノンペンに引っ越した後に超特急で作ってもらいました。


形は好きに指定できます。


首はこうして~、袖はこんな感じで~、とか。


で、できたので着てみました。



今、ちょっと遠くにいます。

いかがでしょうか?


ギラギラしてるでしょ(笑)


それがいいんですよ!


ちなみにこのときの私は寝不足のため顔が疲れています。


気にしないで。


で、感謝状授与式の時の写真がこんなかんじ。



今、ちょっと遠くにいます。



その後、先生たちがみんな集まって(普段来ない先生たちも!!!)ビーチでパーティーしてくれました!!


これにも超感動!!


今まで、私って必要ないのかな、とか、あんまり仲良くなれてないかも、とか思っていたのが嘘のよう!


豪華な食事をごちそうしてくれて、その気持ちに本当に涙が出ました。


ありがとう。


ここに来れてよかった、と本当に心の底から思いました。



今、ちょっと遠くにいます。



あと、2年間一緒に働いてきたカウンターパートのラモー先生も、プレゼントをくれました。



でもなぜか、パンツ(下着)2枚とTシャツとGパン。



しかもGパンは嫌がらせのように小さい。(爆)



でも、気持が嬉しいよね、本当に。




そして最後は、とってもお世話になった先生夫妻のお宅へ。


私が働いていた学校の先生ではないのだけど、クメール語を教えてくれたり、カンボジアについて教えてくれたり、時には友達のように、時には親のように接してくれたガエット先生とヴィチェカ先生。


最後も、子供が生まれて忙しいのに、絶対に一緒にご飯食べようって言ってくれた。


そして、またプレゼント。


学校と同じく、結婚式に出席するときに着る衣装用のレースの布。


2枚もくれました。


なので、同じくプノンペンで仕立ててみました。


ちょっとお見苦しいですが、我慢して!



今、ちょっと遠くにいます。

今、ちょっと遠くにいます。


なんだか一気に衣装持ちに(笑)


最後にガエット先生とヴィチェカ先生と一緒に撮ったのがこちら。



今、ちょっと遠くにいます。

今、ちょっと遠くにいます。

私の顔が疲れていることは気にしないで、ほんとに。



こうして私のシハヌークビル最後の夜は更けてゆきました。。。



最後の日、見送りに来てくれたF氏、ありがとう。


本当に色んな人に出会って、色んな事を考えて、色んな失敗をして、色んなことを学んだ場所でした。


大好きな場所です。


一生忘れることはないでしょう。


そう思える素敵な経験をできたこと、させてくれた周りの人たちすべてに、感謝です。