キッシンジャーと、【広域情報】欧米でのテロ等に対する注意喚起メール | 毒舌おばさん やんみ!のブログ

    創価学会・公明党のボスがあの世へ逝った時に

    この世の中をヘドロまみれにした老害どもがあの世へ逝きつつあって、

    なかなか逝かないやつがまだいると、キッシンジャーのことを書いたように思うのですが、

    その老害の1人がやっと逝った。 

    この世は掃除されて一新するべく動いているのかもしれない。 

     

    支那は創価学会・公明党のボスが死んだ時も大ショックで、

    さらにキッシンジャーも逝った!! 

    支那のスパイと共に働き、アメリカでも反日活動も行っていたファインステタインオババもあの世へ逝った!! 

    マイクヒュンデーもそろそろかも!! 

    地獄は悪行を行った人で溢れていることでしょう。

     

    キッシンジャー元米国務長官が死去、100歳 米外交に大きな影響

    2023年11月30日

     

    冷戦期のアメリカで国務長官として外交政策を担ったヘンリー・キッシンジャー氏が

    29日、死去した。100歳だった。

    キッシンジャー氏が設立した政治コンサルティング会社

    「キッシンジャー・アソシエーツ」が発表した。

    米コネチカット州の自宅で亡くなったという。死因は公表されていない。

    1970年代半ばに公職から退いたが、その後何十年にもわたって、

    さまざまな世代の指導者たちから意見を求められ続けた。

     

    ジョージ・W・ブッシュ元大統領は、アメリカは「外交問題に関して最も信頼でき、特徴的な声のひとつを失った」と、追悼した。

     

    リチャード・ニクソン大統領の娘のトリシャ・ニクソン・コックス氏と

    ジュリー・ニクソン・アイゼンハワー氏は、キッシンジャー氏の人生は「とてもユニークで、徹底してアメリカ人だった」と述べた。

     

    「ヘンリー・キッシンジャー氏は、平和の大義を推進した数々の功績により、長く記憶されるだろう。しかし私たちが決して忘れることができないのは、その人柄だ」

     

    米外交政策に大きな影響

    1923年にドイツで生まれたキッシンジャー氏は、家族と共にナチスから逃れ、

    1938年にアメリカにわたった。故郷バイエルンのなまりは生涯続いた。

    1943年にアメリカの市民権を得て、米陸軍に入隊。対諜報部隊に3年間所属した。

    その後入学した米ハーヴァード大学では、学士、修士、博士学位を取得。

    その後、同大学で国際関係を教えた。

    1969年、当時のリチャード・ニクソン大統領はキッシンジャー氏を

    国家安全保障担当の大統領補佐官に任命。アメリカの外交政策に大きな影響力を持つようになった。1973年に国務長官も兼任した。

    1977年までの8年間で、ヴェトナム戦争へのアメリカの関与を終わらせ、

    中国との国交を正常化し、1973年の第4次中東戦争ではエジプトとシリア、イスラエル間の敵対行為を停止させた。シャトル外交という考え方はこのときに生み出された。

     

    キッシンジャー氏は中国で不滅の人気を誇り

    訃報はすぐにソーシャルメディアの「微博(ウェイボー)」でトレンド入りした。

     

    中国中央電視台の英語放送「CGTN」は、キッシンジャー氏を「中国国民の古い友人」と

    呼び、死去を伝えた。

    中国中央電視台の放送では、米中関係で重要な役割を果たした同氏を、

    「伝説の外交官」「生きた化石」と説明した。

    一方で

    キッシンジャー氏は長年にわたり、人権よりもソ連との対立を優先させたり、

    チリのアウグスト・ピノチェト政権をはじめとする世界中の抑圧的な政権を支援したりしてきたとして、痛烈な批判にさらされた。

     

    しかしキッシンジャー氏自身は、こうした批判を相手にしなかった。

    100歳の誕生日直前の米CBSの取材では、「批判する人々の無知を反映している」と

    語っていた。

     

    キッシンジャー氏は1973年、北ベトナムのレ・ドゥク・ト氏と共に

    ノーベル平和賞を受賞した。レ・ドゥク・ト氏は賞を辞退している

    この授与は議論を呼び、ノーベル委員2人が

    辞任している。

     

    キッシンジャー氏は1977年に政府の職から退いたが、

    その後も公共問題に関するコメンテーターとして活躍し続けた。

    ジョン・F・ケネディ氏から現職のジョー・バイデン氏までの12人の歴代大統領や議員らも、しばしば同氏に助言を求めた

    また、

    さまざまな企業の役員を務め、外交政策や安全保障のフォーラムにも顔を出した。

    著書は21作に上る。

     

    キッシンジャー氏は今年5月に100歳を迎えたが、

    7月には中国の習近平国家主席と会うために北京を電撃訪問する

    など、晩年になっても精力的な活動を続けた。

    同氏は、毛沢東氏から習近平氏までのすべての中国の指導者と直接やりとりした唯一の

    アメリカ人でもある。

    この訪問はホワイトハウスを憤慨させ、国家安全保障会議(NSC)の

    ジョン・カービー報道官は、「民間人が中国指導者に接触できるのに、アメリカ政府は接触できないのは残念だ」と遺憾の意を示した。

     

    キッシンジャー氏は2022年7月、99歳の時の米ABCのインタビューで、

    自分のこれまでの決断で撤回したいものはあるかと質問され、

    「私はずっとこれらの問題について考えてきました。私の趣味であり、職業でもある」と

    述べ、こう続けた。

    「そして、私が行った提言は、その時の私にできる最善のものだった」

    キッシンジャー氏には、50年近く連れ添った妻のナンシー・マギネス氏がいる。

    前妻との間に2人の子供がおり、孫も5人いるという。

     

    (英語記事 Ex-US Secretary of State Henry Kissinger dies, 100

     

     

    ウキペディアから気になるところを抜粋転記しました

    両親は、ユダヤ系ドイツ人だった。

    一家は多くのドイツ人が支持した反ユダヤ人政策を嫌って1938年に米国へ移住し、

    第二次世界大戦中の1943年に同国に帰化した。 

    外交問題評議会に関連して、ビルダーバーグ会議にも毎年出席していた。

     

    1971年の極秘訪中の際も、キッシンジャーはロジャース国務長官と国務省に一切知らせずに、フランス、ルーマニア、パキスタンなどに勤務している

    駐在武官やCIA支局長を利用して

    秘密裏に北京に到着した。

     

    ニクソン訪中の仲介国でもあったパキスタンを、アメリカの利益になると見れば、

    侵攻を支援することもためらわず中国とともに支援した

    特に対中国交正常化に向け仲介役を果たしていたパキスタンがおこなっていた、

    東パキスタンにおける大規模なレイプや虐殺を外交面から援護

     

    キッシンジャーの下でアメリカ国家安全保障会議が「国家安全保障課題覚書200 (National Security Study Memorandum 200)」、

    いわゆる「キッシンジャー・レポート」を作成した。

    この報告書は

    開発途上国または世界の人口爆発は現地政権の基盤を不安定なものとし、引いては米国の安全保障の懸念材料となりうるため、

    米国政府に対し、発展途上国に対して人口抑制に関する医学的及び政治的な

    開発援助を実施するよう提言していた。

    この文書はホワイトハウスによって1989年に機密が解除されている。

     

    キッシンジャーは国務長官在任中(1973-1977)に、

    シオニスト指導者たちを多くの政府機関の役職に就け

    ADL(名誉棄損防止同盟)支持者を新教系協会団体のなかに導入し、

    内国歳入庁(IRS)長官シェルダン・コーエンに説いて、

    ADLや何百というシオニスト機関が永遠に免税措置を受けられるよう、IRSの規則を書き換えさせた

     

    ジョージ・W・ブッシュ政権において指南役として活躍。

    ブッシュはキッシンジャーとは定期的に会談の機会を設けており、

    政権外で最も信頼する外交アドバイザーであった。

    キッシンジャーはブッシュ政権下で行われているイラク戦争も基本的に支持していた。

     

     

    日本については

    経済大国である以上政治・安全保障両面でも大国として台頭しようとする欲求を持つだろうとの見方を一貫して示している

    特に、1971年の周恩来との会談で日米安全保障条約に基づく

    在日米軍の駐留が日本の「軍国主義」回帰を抑えており、同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始めると警戒感を示した「瓶の蓋」論は有名である。

     

    キッシンジャーが1969年11月19日から21日にかけての日米首脳会談のために

    ニクソンに宛て作成した、核密約締結手順を記載したメモが発見されている。

     

    田原総一朗に日本への原子爆弾投下についてインタビューされたことがあり、「あなた方は広島と長崎に原爆を落とした。そしてまったく何の罪もない一般市民を大量に殺した。この責任をアメリカはどうとるつもりなのか」と聞いたら、キッシンジャーは「広島と長崎に原爆を落とさなければ日本は本土決戦をやるつもりだった。本土決戦で何百万人、あるいは一千万人以上の日本人が亡くなるはずだった。原爆を落とすことでその人数をかなり減らしたんだから、むしろ日本はアメリカに感謝すべきだ」と答えたという。

    オリバー・ストーンは「キッシンジャーの見方は私たちの見方とはまったく違います。私たちは広島・長崎への原爆投下は必要なかったと思っていますし、キッシンジャーは何もわかっていない人だと思います。彼はノーベル平和賞を受賞しましたが、同時に南米各地でのアメリカの残虐行為に関わったということで、戦争犯罪人として入国できない国もたくさんあるようです」と述べた。

     

    1972年の田中角栄首相の日中国交正常化交渉について"Jap"の語を用いて批難した。

     

    二次大戦の戦勝国ではない中国共産党による中国、つまり

    中華人民共和国」を国連の安全保障理事会の常任理事国に推挙し、それまで「第二次大戦の戦勝国で常任理事国のメンバーだった台湾、つまり中華民国」を国連から追い出した張本人とも

    言われてる。

     

     

    冷徹なリアリストとして軍事介入や秘密工作も辞さなかったことから、

    ベトナム戦争時のカンボジア侵攻チリ・クーデターの画策、

    インドネシアによる東ティモール占領への協力を指揮したキッシンジャーに対して、

    クリストファー・ヒッチンスシーモア・ハーシュらは「人道に対する罪」「戦争犯罪人」として糾弾した。

     

     

     

    どうしてコネチカット州に自宅があるのだろう。。。 

    うちの悪魔夫はコネチカット州出身。 

    コネチカット州は、悪魔が好んで住み着く州なのだろうかドクロ十字架

     

    さて、老害の話は置いておいて、というかまあこの人も大きく関わってもいたことですが。。。

     

    海外安全ホームページ 最新情報のメールを転記〜〜〜〜〜〜〜

     

    【広域情報】欧米でのテロ等に対する注意喚起

     

    ○欧米では、近年、警備や監視が手薄で一般市民が多く集まる場所(ソフトターゲット)を標的としたテロが頻発しています。これらは組織性が低い単独犯によるテロが多く、事前の取締りが難しいため、今後も継続することが懸念されます。
    〇特に、観光施設周辺、イベント会場、レストラン、ホテル、ショッピングモール、公共交通機関、宗教関連施設等は、警備や監視が手薄で不特定多数の人が多く集まるため、テロの標的となりやすく、常に注意が必要です。
    ○また、クリスマスや年末年始といった祝祭日・イベントシーズンは、人の集まりや移動が増えるため、テロの可能性が高まることが懸念されます。 

    詳細は以下のリンク先をご確認ください。
    (PC)==> https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcwideareaspecificinfo_2023C058.html

    出発前には海外安全ホームページをチェック!
    https://www.anzen.mofa.go.jp/

    このメールは在留届を提出した方と「たびレジ」に登録した方に、配信しています。

    ※「たびレジ」に簡易登録した方でメールの受け取りを希望しない方は、以下のURLから変更・停止の手続きをしてください。
    (変更)https://www.ezairyu.mofa.go.jp/tabireg/simple/auth
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    ※「在留届」を提出した方で帰国、移転した方は、以下のURLで帰国又は転出届を提出してください。
    https://www.ezairyu.mofa.go.jp/RRnet/residencereport/login

    このメールは送信専用メールアドレスから配信されています。このままご返信いただいてもお答えできませんのでご了承ください

    〔お問合わせ先〕
    外務省領事サービスセンター
    〒100 - 8919
    東京都千代田区霞が関2-2-1
    電話:03-3580-3311 内線 2902

     

    転記終了〜〜〜〜〜〜〜

     

    これは、海外に住んでいる人は日頃から気をつけていることだとは思いますが、

    さらに肝に銘じて行動するように!! なにかあっても、だから言っただろ〜 自分でなんとかしてね! 助けないから! 助けられないから!! ということだと思った方が良いと思います。 

    最初からあてにしていない邦人、多いですけどね。

    まずは自分の身は自分で守らないといけないですね! 

    でも、慣れているアメリカ人でさえ、銃撃されて死傷するのに、

    慣れていない、さらに感覚が違う日本人には、それはとても難しいことでもあります。

    運もありますよね。 まあ、なるべくそういう場所には行かないように気をつけます。