こんにちは、のんびりです。
前回書いた
マルの宿題ですが
無事になんとか間に合ったようです。
夜の12時に
おわったーと言ってたはずなのに
深夜まで電気がついているな〜と思ったら
もうひとつ残っていたようで2時半までかかったのだとか
翌朝にその話を聞き
またまた呆れ果てて言葉を失う私を気遣い
まぁでもさ、ピヨが同じ状況だったら
精神状態おかしくなってたし…
それに比べたらまだいい方なんじゃね?とピヨ
⁉️
ピヨがそんな気遣いをするなんて
たしかに
ピヨの時は地獄だったなぁ
マヂで 気力 体力 共に疲れ果てて
本当に言葉にならないって状態でさ
徹夜してやったこともあったねぇ
あったっけ?
ずっとママが一緒に計画の立て方教えてくれて
なんとか終わってなかったっけ?
教えられた通り素直に聞き入れられないのが君じゃないの
だから計画通りに進まなくて最後の方で精神状態おかしくなって
まったく
母の寿命はあの頃にだいぶ縮んだよ
ママ 大変だったねぇ
と他人事の様に楽しげなピヨ
試しにひとつ訊いてみた
ママが宿題(勉強)の答えを教えないのが気に入らないってひっくり返って4時間ギャン泣きしたの覚えてる?たしか小2の頃
あー なんか覚えてる
たしか割り算だかでてきて難しくなって
それまで足し算とかかけ算だったから
秒で解けてたのが秒で解けなくて…
そんなわけないって思って
でさ ママが
難しくなったから仕方ないとか
最初は時間がかかるもんだとか
何回も解いてくと早くなるとか
いろいろ説明? なんかいろいろいってたけど
そんなわけない‼️ できないわけない‼️
秒で解けるはずだ おかしい‼️って
ムカついてたのは覚えてる
今考えると
マヂでヤバいやつだね
そんな理由で4時間ギャン泣きってコエー
君だよ
ママ大変だったねー
大変だったよ
しかも
当時の療育の先生達はその本性知らなくて
穏やかで優しい子ってイメージで大変さが伝わらないしさ
でもその日 療育の日でさ
休む連絡をしてる後ろでその騒ぎで
ついにバレたんだよ
「お母さん、もしかしてその声ピヨ君ですか?」って先生がかなりびっくりしてて
その日から
先生達のママに対する態度がかわったよ
ナニソレ
なんかピヨの騒ぎっぷりで
ママがスゲーって思われたみたい
マヂで?ヤバいね (爆)
だから君だよ
しかもそんな風に思われるレベルの
騒ぎだったってことだよ
その後も
「いつもあんな感じですか?」とか
「あの様な時はどうされてるんですか?」とか
事細かにいろいろ聞かれたもん
そして
「こんなことがありました。ってお話をきいてましたが、お母さんがいつも明るく話されてたので、全く想像がつきませんでした。いつもの話もあんな感じだったんですか?」って言われたよ。
マヂでヤッベー
つーか 本性を知らないって当たり前でしょ
外でそんな姿見せるわけないじゃん(爆)
あとさ あとさ
音読カードのこと覚えてるよ
あと バスでだれか泣かして
ママが謝りの電話したよね
あれもさー
マルと私への気遣いからはじまったピヨの思いで話
なんだかスイッチが入ったようで
当時のことを楽しげにあれこれ教えてくれました
とても興味深い話が多かったので
記録のためにあらためて書こうと思います。
4時間ギャン泣きの話も
ピヨの話でうろ覚えだった記憶も思い出しました。
ピヨのいう通り
簡単に解けないことにグズリがはじまり
解き方を教えても『秒で』解くことに拘っているのでなにをしても納得せず
ついに大癇癪がはじまったのでした。
答えを教えたところで
当然ながら次の問題でまた『秒で』解けないことにぐずり出すという負のループ
結局
自力で『秒で?』解けるようにならないと終わらないと悟り
覚悟を決めて根気比べに突入だったのでした。
さすがに4時間ギャン泣きされたのは
聴覚過敏の私には地獄の時間でした。
それと療育の先生達との関係も
ピヨの本性を知らない方達に大変さを切々と語っても
神経質、心配性と誤解をされてしまうので
努めて明るく淡々と話してたんです。
もちろんそれが出来たのは
本当の大変さをわかってくれる方が別にいて
話を聞いてくれていたからです。
理解してくれる相手に愚痴を聞いてもらい
サポートしてくれる相手には必要な情報のみを伝えると分けていたんですね。
ピヨのおかげでいろいろ気づけました。
ありがたいです
最近頼りになるお兄さんに成長したんですよ。