『依存』

ふと言葉がでてくるので記事にします

『依存』って聞くとあまりいいイメージは浮かばないかも

でも、依存ってこの世に生を受けた大切な学びだと思うのです。(*^^*)

友人に『依存とはどんなものか』ときかれ
頭に浮かんだのが

『一緒にいたい。離れたくない。側にいたい。』

私は依存とはこの想いがすべてだと思う。

それが度を越してしまい
病的になり、歪んでいったものは
『執着』ではないだろうか

相手に依存してしまい
力で相手の心まで手に入れようとしてしまったり
すべて相手に委ね自己がなくなってしまうような歪んだものは
もう依存ではなく『執着』

力といっても暴力とは限らない
メンタルへの働きかけだって十分
歪んだ力

現世に生を受けた以上
一人で生きていくことなんて不可能

それが当たり前
だってその為の『生』だもん。(*^^*)

だから、子供時代は親に依存し
友人に依存し
成人し異性に依存し
家族をつくり子に依存していくんじゃないかな

適度な『依存』がなければ
『生』は成り立たないと思うのだけど

「生と死を迎える時はひとり」
との言葉通り
最初と最後はひとりに戻る

なら なおさら生きてる時しかできない学びではないだろうか(*´ω`*)

適度な依存を学ぶのも『生きること』ではないかしら。(*^^*)

いじょう 私のつぶやきでした( ̄∇ ̄*)ゞ

意味がわからなかったら
ごめんなさいね♪(≧▽≦)☆