終戦記念日から1日経ってしまいましたが、、、

 

ご縁あって今年鹿児島県の知覧に行き『特攻』ついて

学ぶ機会をいただきました。

 

実は知覧に行くのは今回で2回目。

前回は高校2年生の春、修学旅行で行きました。

 

まだ16歳だった私。

自分とそれほど変わらない年齢の方々がお国のためにと旅立って行ったお話を聞き、

当時の自分では全く想像ができなく、その時の自分の甘えを認識するとともに、

長崎の原爆資料館の見学やお話も聞き、

只々平和な世の中であってよかったと平和な日本に感謝したのを覚えています。

 

時は巡って、、再び知覧に行く機会をいただきました。

 

特攻隊員たちが最期の夜を過ごした薄暗い林の中ある三角兵舎の跡地

特攻平和会館の近くにも三角兵舎のレプリカ(右)がありましたが、

実際の跡地はもっと狭く、かなり湿った場所にありました。

今は木が伐採され陽が当たっていますが、昔は敵に見つからないよう、

鬱蒼と茂る木々の中にありました。陽が当たらない地面には苔が生えていて

とても湿気った薄暗い土地で最期の夜を過ごしたことがわかります。

 

特攻隊員たちが最期に見た本土の陸地

この高さで一緒に発つ戦闘機が揃うのを待っていたそうです。

その後、遠くに見える高い山、開門岳を目指して飛んでいき、

開門岳の右横を抜けて海へ出て、沖縄へ向かっていきました。

 

特攻隊員たちが最期に食べた玉子丼

これは特攻隊員に母として慕われた鳥濱トメさんが私財を投じて

当時高級食材だった卵と砂糖を入手して明日飛立つ特攻隊員のために作ったもの。

先日「Youは何しに日本へ?」でもウクライナの方が召し上がっていましたね。

 

「日本一美味しい」とうたっている親子丼屋さんに何軒か行ったことがありますが、

鶏肉は入っていないものの、それら以上に美味しかったです。

これが戦時中に食べられただなんて、、トメさんの愛情が伝わってきます。

 

ちなみにこれは知覧茶屋に行っても普段は食べられず、

東京九段下の靖国神社で割下と卵を知覧から空輸したものが食べられますので、

お近くの方は是非行ってみてください。

 

 

今回は平和でよかったなんてのほほんとした感想ではなく、

これから日本で生きていく覚悟をいただいた気がします。

 

ご一緒させていただいた方に感想をお聞きすると、

その方には高校生と大学生のお子さんがいらして、

特攻平和会館の遺書をみた時に遺書を残された親の気持ちになって

泣いてしまったと仰っていました。

 

私は自分が特攻隊員側としてで考えているなと認識したと同時に

あと20年後自分が親やトメさんの世代になった時に

また知覧に赴きたいと思いました。