先々週末に同僚の先生に誘われて外に飲みに出かけた。他学科の学生と留学生を含め10名程度で曇天(時々雨)の下。
そのことをこのブログに書き始めて、一度はアップしたものの、いやまだ早いかと思い直して下書き状態にしたまま今に至った。
なぜそんなに時間がかかったのかというと、このブログはおおむね酒を飲みながら書くことが多いので、つまりここ最近酒を飲んでいなかったからだ。飲む機会がなかった、というよりは、今週半ばに健康診断を控えているので少し前から禁酒している。そんなことで健康に意味があるのかと言われればそれまでだけれど、しかし中高生の定期試験のようなもので、一年に一回の健康診断でも「節制せねば」という気持ちにさせてくれるのだから大事なのだろうと思う。そういうわけで、書き直している今もシラフのままだ。
ついさっき二日にいっぺんの縄跳びをしに外へ出た。二日にいっぺんのはずが、気がつけば縄跳びは少し久しぶりのような気がして、数えてみれば、昨日は三島まで行って現地で結構歩いたので運動はもういいかとなり、一昨日は野球をし、その前は気まぐれでプールに行って、その前は犬の散歩という具合だったので、一週間ぶりぐらいなのかもしれない。久しぶりにイヤホンをせず夜風に紛れてパチンパチン鳴るアスファルトにだけ耳を傾けて飛んだ。
縄跳びとはやはりいい運動になるもので、あっという間に汗をかき始めて、汗をかくとなんだか自分が凄く努力をしているような気になって、自分が跳んでいる道に車でも通ろうものならアスリート気取りに(アスリートに悪い言い方だけれど)ちっと舌打ちして邪魔すんなよと心のなかで思ったりする。ただ目の前を通り過ぎただけなのに、見知らぬ他人が文明の利器に頼って楽をしているように錯覚したりする。人間、夢中になると他人に冷たくなるものだな、などと思う。
そんなことを考えると、やはり去年までの自分は他人に冷たかったなとも思うことがある。自分が一生懸命論文を書いている時期だったから、ゼミ生の卒論の進捗にいちいち不満を覚えたり、授業でどうしてこんなことも出来ないのかと不思議に思ったり。がんばらないことと、がんばれないことは違うのだということは度々自分に言い聞かせて、学生にも学生のペースや段階があるのだと言い聞かせても、どうしてもつい自分のスピードや価値観で測ってしまったりする。自分だってデキる人間置いていかれて焦った経験を持ってはいるものの、どうしてもそういう経験は現状の必死さに埋もれさせてしまったりする。要するに、未熟なのだ。
今年度はそういう状態から解き放たれたわけだけれど、解放された自分が今後どこに向かって行くのか、不安と期待と半々の気持ちでいた。ほとんど全力を注いでいた学位論文が提出され、ではその全力は自分のなかに押しとどめておけるのか。もちろん仕事やさらなる研究に注げばいいのだけれど、そういうわけにいかないのはなんとなく察しがついた。思えば昔から、自分のなかにあるギラギラしたものを抑えきれない衝動があったし、そういうものを上手く努力や結果に結びつけられたような時期もあれば、大半は何かをぶち壊す方に向けたことの方が多い気がする。あるいはそういう記憶の方が残りやすいだけかもしれないけれど。
先輩のC教授は「学位がとれたら一年ぐらいは力入りませんよ。私はそうで、研究を再開できたと感じたのはその後でした」と言っていた。この間も「私はそんな感じでしたけど、先生は変わらないですね」と言われたけれど、自分のなかではそんなことはない。ただ僕の場合は、仕事も研究も、遊びも酒も、すべてにおいて勢いがついた。そして勢いに任せながらすべてにおいて雑になった。これがこの数年の反動か、という気もすれば、本来の自分がパワーアップして戻ってきただけというような気もする。ある日突然、あらゆるものを捨ててどっか適当な知らない土地に行ってしまうのではないかとすら思うほどだ。
不安に思うのは、前にも書いたように自分がこの後どこに向かうのかまるで見当がつかないことだ。思えば20代の大学院生の頃から、通訳をしたり、あるいは大学に勤めたり、もし大学に勤めたら博士号を目指すのだろうとか、このあたりのことまでは人生の可能性として予想の範疇ではあった。それが、いまになると15年ほどもあったイメージの行き着くところまで来てしまった気がして、このあと向かう先がなくなってしまったような気がしている。もちろん、積み重ねてきたものを突き進めばいいのだろうけれども、それは従前の自分が敷いたレールを歩むことであって、レールを敷く作業ではない。どうやら自分は何もない場所にレールを思い描くこと自体が楽しみな人生らしいと、最近になって思うようになった。要するに今は思い描くレールもなければ敷くレールの材料もないのだ。あれをやろうか、これをやろうかと色々思いつきはするものの、どれもあまりに新しすぎて現実感がない。40代を手前にして、一つ人生の限界を迎えたのかとすら思ってしまうことが不安なのかもしれない。
前から思っていたのは、学生が卒業していく姿をみると何か嫉妬に似た羨ましさを感じることだ。
就職活動をおえ「〜〜に内定をもらいました」と報告を受けたりすると、よかったなぁと思うと同時に、この人にはまだ見えてない未来が待っているのかと、妬ましい気持ちになる。学生にすれば、就職活動という一つのおわりとはじまり、自分が社会人として通用するかという不安と、通用してみせるという意気込み、色々なものがないまぜになっているのだろうけれど、そういう不安定さは逆説的にいえば無限の可能性と信じることもできる。「未だ来ず(未来)」「未だ知らず(未知)」というのは無知でありながらどれだけ幸せなことかと、まだ30代とはいえ、相対的に老いは来るのだということも含めて。
冒頭に書いた、曇天での飲み会の最中、僕は自分が勧めて買ってきてもらったウイスキーでペラペラに酔っぱらいほとんど覚えていないのだけれど、なんとなく何人かの学生に中年らしい説教を垂れた記憶だけ残っている。しかし何を話したかは一つも覚えていない。ただ一つ、風景として印象的だったのは、卒業を来年に控えた真面目な学生と一対一で喋っているなか、相手がずっと真面目に何か頷きながらこちらの話を聞いていたことだ。僕はあまり真面目に話をする方ではないので、適当に茶化していたようにも記憶しているのだけれど、そういう茶化しがあまり通用していないのを感じた。ああそうか、この人にとっては自分は一応先生なのかと、酔っぱらい相手にめんどくさかったであろうに、そういう気持ちで聞いてくれていたのだろうかと、なんとも言い難い気持ちになった。
というのは、自分は入職して以来自分が先生だなどと思ったことは(本当に)微塵もないし、先生らしく振る舞ってみたこともあるけれど、その度に「やっぱちげえな」と思ってきたので、最近のような「なんだあいつはただの酔っぱらいか」という具合に扱われる方がよっぽど自然に思えたりする。教員になる前は一サラリーマンであったけれども、毎晩飲み歩いては泥酔し、二日酔いで出勤し、また飲み歩くというような体たらくで、あれでよく通訳なぞやっていたと思うぐらいに酷かった。いま思えば仕事の辛さをそういうもので分解していたのかもしれない。ちょうど学位をとった後の今の状態のように。
そんな自分がベースであって、教員というのはただの看板に過ぎないと誰よりも思っていたので、目の前で先生の話はちゃんと聞こうという態度の学生をほとんど初めて目の当たりにした時、つくづく(なんかすいません自分みたいのが偉そうに)という気持ちになった。最近は、学生をみて自分の学生時代と重ね合わせることが多いけれど、自分もまた決して勉学に真面目な部類ではなかったし、ひたむきに頑張るというタイプでもなかったから、要するに優等生というのはつくづく自分とは別世界の人間なのだとも思った。
帰りしな、余った焼酎のボトルを胸に抱えながら、同僚の先生が「吉祥寺駅まで一緒に行きますか」という誘いを無碍にして、学生に連なって大学の方に歩いて行った。その間も何か色々話をした記憶はあるが内容は何一つ覚えていない。
後日、誘ってくれた先生に「終電おわってタクシーで帰りましたよ」と言ったら、先生は盛大に笑っていた。懲りずに「次はサイゼリヤでパーティー」しませんか、と言ったら意外にも「いいですねぇ」と言ってくれた。また外でもいいけれど、少しは飲み過ぎないようにしなければ。せめて学生の前では、この人一応先生、と思われているうちは。