目覚めたら昼も過ぎて13時だった。クーラーをかけているのになんだか今朝は暑いなと思った記憶がうっすらあるのだけれど、その時にはおそらく日も高くのぼっていたのだろう。昨夜は遅くまでサブスクで昔のドラマを観て寝たのは15時ごろだったと思うから、10時間も寝ていたことになる。テレビのオンタイマーも、スマホのアラームも、毎朝恒例のワンちゃんの大運動会も華麗にスルーして眠り続けたのだから、どうやら疲れていたのか、知らず知らずに昨夜飲み過ぎていたのか、なんにしてもこんなに寝たのはかなり久しぶりで、体調がいい反面、なんだか学生みたいだと不思議な感じがした。
断片的に色々な夢をみた。僕の場合、かなり夢は覚えている方で、若い頃から見た夢を文字に起こしてしまうことがよくあって、それもディテールをかなり細かく書き込まないと気が済まなかったりする。気が済まないというよりは、所詮は夢なのですぐ忘れてしまうし、書き起こしながらも記憶が薄れてしまう(夢の場合は薄れてしまうというより、一瞬前まで覚えていたものが一瞬後には消え去っているといった方が正しい)前に、記憶を脳裏で反芻しながら集中してなんとか書き出すという感じだ。なんだか夢とはいえ一度みた記憶が簡単に失われるのが怖いような、そんな風にも思う。僕はほんの少し前のことをすっと忘れてしまうことがよくあって、今この瞬間にも書きながら思い描いていた次の一行を思い出せずに、歯がゆい思いをしている。記憶力が悪いというよりも、いつも同時に色々なことを考えているうちに、やりたかったことを忘れてしまうという感じ。最近よく会うある人にどうも自分に似たような特徴がある気がして、スマホのブラウザがタブで一杯になっていないかと聞いてみたら、やはりそうだという。それはつまり、消すと忘れてしまうからで、メモ機能もカメラロールも、やたらと記憶との追いかけっこの結果でそうなっているというから、僕はそれに大いに共感した。
今日は流石に長く寝過ぎたのか、断片的な特徴ばかりしか思い出せない。一つは京劇の隈取りで、かなり入り組んだ模様をしていた。いや、入り組んだというと語弊がある。というのは、その模様は言葉で説明するのはそう難しくなくて、中国の青花瓷にほかならなかった。それも描かれた茎が割合密で、白地に釣り上がった目の隈取りの顔面全体に広がっていた。もう一つはある女性通訳者で、その人は業界では有名な、僕の姉弟子にあたる人だった。あの人が通訳しているな、というのを僕は彼女の斜め左ぐらいの角度からみているのだけれど、彼女の顔は本来の顔ではなくて、髪は短く、少し頬が細くて、目が細く釣り上がっていた。メガネはしていなかった。それからもう一つ、大学時代の一つ下の後輩が出てきた。出てきたといっても夢のなかで会ったわけではなくて、彼女がここに来たという話を聞いて、会えるのだなと思った、という話だ。「ここ」というのが具体的にどこなのかはわからない。漠然と僕の前という意味だった気もするし、いま僕が務める、つまりその人にとっても僕にとっても母校の大学を指していたような気もする。いずれにしてもその人は僕にとってそれほど親しかったわけでもないけれど、なんともお嬢さんという雰囲気だった彼女は卒業以後どこかに消え、最も仲の良かった親友でさえある時僕に所在を尋ねてきたほど色々な人と疎遠になっていた。とにかくマイペースだったのか、人間関係を疎遠にする原因があったのか、よくはわからないけれど、現実ではおそらく二度と会わないであろう人物が夢のなかで現れたのはなんとも夢らしいと思った。
夢をよく覚えているので、なんであんな夢みたかなぁ、と少しぐらい考えることはある。京劇の隈取り(というよりあれは仮面だった)、顔を(いま思えば)歪に変えた先輩通訳者、そして夢のなかでさえ直接は会わない後輩、それから最近の自分はどうかなと照らして、こういうことかなと思うこともある。けれども考えて何かがどうとかいうこともない。ただ人生において何かしら意味づけたくなる臆病な性格ゆえかもしれない。
こんな話を書こうと思ったわけではなく、ただの前置きだったのだけれど、長くなってしまった。現時点で飲んでいてるのはウイスキーのロック一杯、酔う(前頭葉を弱らせる)には全然足りていない。
先日、ある還暦を過ぎたぐらいの友人に誘われて絵を描きに行った。その人は僕が長く仕事で関わってきた美術学校(中学、高校)の先生で、今年の4月に定年退職をして、アトリエとか絵のイベントをやるスペースを最近開いた人だった。その人が、日本画の岩絵具で夏野菜を描いてみませんか、その後暑気払いで飲みに行きませんか、という誘いを受けたものだった。最近は、なんだか仕事も普通にして、学位もとって、ほかにもあるけれどなんとなく人生の宿題みたいなものが一つずつ片付いてしまっている感触に不安を抱いていたから、なにか新しい誘いと思って喜んで参加を申し出た。といってもその時間の受講生は僕一人だったのだけれど。
とはいっても、絵を描く、というのも実は僕にとって人生の宿題の一つだった。というのは、僕は子どもの頃から本当にだらしなくて、絵もそうだし、書道もそうだし、そういう特定の道具を持参しなければならない学校の授業にまるでついて行けなかったから、作品の一つも学生生活で完成させたことはなかったからだ。実はいまにして思えば一種の発達障害だったのでは、と疑いたくなるほどに、色々なことができていなかったし、学校から預かったプリントなどを親にみせることもせず(できず?)、忘れ物の○ちゃん、遅刻の○ちゃんとみんなに笑われていたりした。たまに弁当を持参する日があって、母親が作って持たせてくれると、僕はそれを食べ切れずに持ち帰るのだけれど、なぜかそれをずっと鞄に隠したままいて腐らせてしまって、しまいにはこっそり弁当箱ごと捨ててしまうという始末だった。僕は割と明るい性格だったので、同級生に馬鹿にされてもいつもヘラヘラしていたのだけれど、その仕草もいまになって客観的に考えたら少し変だったのかもしれない。しかし当時はそういうことがある種診断を受けるものという時代ではなかったし、いまにして思えばそういうことを言ってのは高校の野球部のコーチ一人で、「この遅刻癖は一種の病気ではないか」と一言だけいったのを覚えている限りだ。彼はたしか横浜国立大学の修士課程まで出ている人だった。
ともあれ、先に書いたように人生前半の宿題が一つ一つ片付いていっていると実感している僕にとって、絵を描きませんかという誘いは新たな挑戦であると同時に、これも宿題の一つだった。だから僕は件の還暦の友人のかつての教え子が丁寧に指導をしてくれる間、「僕は本当にこういうのが昔できなくて」と何度も繰り返した。絵の道具を持ってこなかったんです、本当にダメな子どもでして、というなか、友人は「それで絵を描かせないのはダメな美術の先生ね」と言っていた。それもどうかな、だめなのは僕なのだけれど、とは心のなかだけで思った。
その後の暑気払いでは、僕と、還暦の友人と、その日絵を教えてくれた女性講師と3人で飲んで話をした。その美術学校の話を聞いたり、僕も時々中国語を教えに行っているので、そこの生徒の印象を話したり、カウンターで日本酒とかビールをあおりながらおしゃべりをした。そのうちに講師の方が僕に、言葉について聞いてきた。なんで、どんな経緯でそんなことを聞いてきたのかまるで覚えていないのだけれど、僕は自分は実務家としては言葉の専門家だけれど、研究者として歴史や文学が専門なのだと断って、それでも拙い話をした。
今日僕がある岩絵具をみて、これは青ですか、緑ですか、と聞きましたよね。それでお二人は色々説明してくださったけれど、僕はこれを青です、緑です、とどちらかに説明されたら僕はそういうものだと認識して育ったと思うんです。こうやって、言葉によって規定されることって結構あると思うんです。それと同時に、言葉にするっていうことは、その言葉以上の意味を持たせなくするっていうことでもあります。だから大事なことほど口にしたり説明しようとしない方がいい、そういうことってありますよね。
などと偉そうなことを言ってみたりした。友人の方は非常に画家として感覚的な人だから、あまりピントは来ていなかったかもしれない。けれど、講師の方は少し納得されたような顔をして、帰りの電車の途次でも面白い話を聞きました、と言っていた。おそらく僕の言ったことはもっと言葉の専門家にいわせれば、違うとか、補足とか、色々あったのだろうけれど、しかし相手は美術家で、僕は通訳者で、歴史や文学を扱う学者で、違う畑の人同士が話せばこれだけ新鮮に映るものかと、僕も絵を描きながら思ったものだから楽しく感じた。それは一種の危うさや傲慢を孕みそうなものなのだけれど、なにか新しい宿題を求めている僕としてはほんの少しばかり刺激になる日でもあった。