久しぶりにふとここの存在を思い出したことだし、せっかくなので今頭にあることを文字に起こしてみるとする。


タイトルは夫婦のあり方としてということで、まだ筆者は大学生であり(月日は早いもので、開設当初はまだフレッシュマンだったというのに、気がつけばもうシニアになってしまった)、この言葉が自分を指すにはまだ数年は早い訳だが、理想くらいはあるもので、ここではその理想について述べたいと思う。


私の家系は、もしかしたら珍しくという言葉が似合うのかもしれないが、夫婦仲が非常に良い方だと感じている。両親は50超えた今でも同じベットで寝ているし(これが普通ではないということをRADWIMPSのふたりごとで知った)、母方の祖父母も祖母が他界するまで同じベットで寝ていた。更に言うと、祖母の体調の悪化から寝室を2階から1階に移したのにも関わらず、その後も入院するまでずっと一緒に寝ていたのだ。父方はというと、父親が家を出て以降は寝室を分けてしまったらしいが、それでも50歳までは一緒に寝ていたことになる。また、こちらの祖母は他界して10年と経つが、祖母の部屋はいまだに綺麗にされており、毎年枕元に年賀状が飾られているほどの愛情っぷりだ。


こうして結婚とは生涯を共にする誓いであるのだという価値観を形成されてしまった私は、当たり前のように最期まで寝室を共にするつもりでいるという訳だ。


しかしここで、この価値観が一般的ではないと言う現実に直面する。ふたりごとを聴いた当初は、歌詞の意味があまり分かっていなかったので何を当たり前なことをと素っ頓狂なことを思っていたのだが、どうやら夫婦であろうと寝室を分けることもあるらしいのだ。(気になって調べてみたところ、一応寝室は同じだけど寝具が別という夫婦がマジョリティらしい、どういうこと??マジでなんで??)


何故私がここまでパートナーと一緒に寝たがっているかというと単純で、寝ている時間が1番長いからである。例えば平日であれば日中は働いており移動時間も考えたら日の半分は共に過ごせないことになる。その上更に3分の1を占める睡眠時間まで別々となると、それ以外を捧げたとて高々6分の1程度しか同じ時間を過ごせないのである。休日を返上しても3分の2しかいられないとなると、年間休日は大体3分の1しかないので、2/3×1/6+1/3×2/3=1/3で、1年のうちの3分の1しか一緒にいられないのだ。どう頑張っても高々3分の1しかいられないのだ。では同僚はどうかというと、労働時間が平日の3分の1なので2/3×1/3=2/9となり、パートナーと過ごした時間と9分の1の差しかないのだ。飲み会だったりましてや旅行なんて行った日には、間違ったら大小関係が逆転してしまいかねないのではないかと心配になってくる。しかし、睡眠時間も共に過ごしたとすると、毎日の3分の1が約束されるのだ。そうなるともうパートナーとは誰よりもはるかに多くの時間を共に過ごしたことになる。


こんなこと深夜に長々と書く話ではなかった。ただ同じベットで一緒に寝たいだけなんですで済んだ話をこんな雑な計算してまで主張しなければならない状況って一体なんなんだ。あまりにも無駄で途中で寝落ちてしまったため朝起きて今である。隣でパートナーが寝てくれさえすればこんな無駄は生じなかったのである。卒論を書かなければならないのでここで終わりにする。早く寝ればよかった。