ふと、思いついて、タイトルのテーマで書いてみることに。
実は私は通っていた大学に2年次編入しています。
高校生のころまでさかのぼりますと…
高校三年生の時、地方の国公立大学に現役で合格していました。
第一志望ではないがもちろん合格はうれしく、進学するか相当迷いました。
寝ないで考えた結果、浪人しようと決めました。
【1浪目】
・予備校へ進学。
国公立を目指すクラスに在籍してました。
めんどくさいので細かい過程は省略しますが、目標だった国公立には合格できず。
模試で良い判定だった私大(志願者の中で1位だったりもしたが)そこも
センター利用か何かでだめだった記憶があります。
【2浪目】
・学費のことなどで親に申し訳ないと思い、自宅浪人。
・何か月か、受験費用を捻出するためにバイトもしていました。
ただ、現役の時に国公立を蹴ってしまったことから、
私立の受験そのものもせず、国立一本でしたが残念ながらダメでした。
【大学進学】
・年齢的にも精神的にも、もうダメだろう、と思い、
通信制の大学を探し始めました。
・当時目標としていた教員免許を取得できる学校を探し、願書を提出。
すんなり、入学しました。
※試験そのものはありませんでしたが、高校を卒業して何年も経たない人は、
高校の成績証明書の提出が求められたと思います。あとはモチベーションレター
のようなものを作成したと思います。
【通信制大学の1年生】
・入学式など参加せず(昼間の学生たちと混同であったようです)、
すぐにレポート作成などしながら勉強を開始しました。
・スクーリングという、通学で取れる単位は、夏の1カ月だけ参加。
そこで初めて友達ができて、とてもうれしかった…!
・週5か6くらい(1日6~8H位労働)で、地元でアルバイトをしながら、
すべて自分で学費を捻出してました。
(現役の時に大学を蹴ったこと、予備校のことなど親に申し訳なく、
勉強との両立は大変でしたが、仕事の休み時間にレポートを
書いたりしながら必死で課題にかじりついてました。)
【編入学を知る】
・1年生の夏頃、大学編入のシステムについて知りました。
すぐに受けられるのは2年次編入で、2年次編入ができる大学が、
東京にはわずかだがあることを知りました。
・単位を最低でも30単位修得していることが条件だったので、
まずは受験資格を満たすために、計画的に単位修得をしました。
※ちなみに受験した大学は、私が通信課程の学生として
学んでいた大学とは別の大学です。
そこにも通信→昼間の過程に転籍できる制度はあったようですが、
2年次編入は実施してなかったので、もし今回がむりなら
また次のチャンスでかな、って思ってました。
【編入学試験を受ける】
・1年生の2月の終わり位、編入の試験を受けました。
・語学(私は英語)、歴史(私の志望する専攻分野でもあり、通信での専攻も史学)、
あとはその歴史分野の論述試験…だったかな…
そして大きな「面接」試験。
これがとても怖いのです。面接試験に進む時間にはもう筆記試験も採点が終えられており、自分の解答について突っ込まれます。
★ちなみに必ず聞かれる「志望理由」ですが、
私は正直に、以下のことを言いました。
「浪人で失敗して通信に在学していた」
「通信でも勉強は十分できるが、4年で必ず卒業して教育についても勉強し、かつ教員免許もとるには難しいと感じた」
「元々昼間の学校で学ぼうと思っていたので、チャンスがあれば行きたいと考えた」
【ドキドキの試験結果】
・結果は約1週間後に、落ちていても合格していてもどちらにしても、
郵送で家に来る予定でした。
・大学に直接試験結果が張り出されるので、私が足を運んで
確認しに行けば早かったのですが、あまりに自信がなくて、やめました。
(たぶん、2浪していることでほんとに試験というものに恐怖があったんだと思います。)
そんなわけで、合格発表の日には、1泊2日の旅行に行ってました…笑
合格発表確認する前に、もうダメもとでやっていたので、
確認するもなにも、ダメでしょう、と思ってましたから。
・旅行から家に戻ると、
受験した大学から試験の結果が送られてきていました。
予想していたものよりも大きい封筒を恐る恐る開いたら、
入学許可証が入っていたことは、今も記憶に残っているし、
本当にうれしくてとても家で泣きました。
現役の時に大学を蹴ったことも、二浪したことも、
通信に進んだこともすべて自分の選択でしたが
高校時代の同期と自分を比較すると、
すごくみじめになったりして、
仕事>勉強 の生活でしたから、心も何度も折れそうになってました。
仕事終わってから、突然悲しくなって泣いて帰ったりしたもんです。
2年生から進学したこの大学は、
当初目標としていた国公立大学ではなく私大でしたが、
学費では親のサポートが必要だったものの、
これから勉強できることのうれしさは本当に計り知れないものでした。
【努力していれば、自分のおさまる場所は見つかる】
毎日勉強して、お盆も正月もクリスマスもすべての楽しみも封じ込めて
頑張っても、不合格の時は本当に悲しい。
だが、その時は自分に実力がなかったのだ、と悲しくても受け止めるしかない。
でも、あきらめずに前向きに取り組んでれば、かならずいいことがあります。
かならず。
ちなみに私は昔の記事で書きましたが、
その後の就職活動は非常にうまくいきました。
今もその企業で働いてますし、若いうちから主体的に
仕事をさせてもらえて、あの時自分がこの会社を選んだ目は
間違ってなかったと思っています。
※通信ということで企業から避けられた記憶はなかったですね。
過ぎてしまえば、浪人の時のことや過酷だった通信時代も、
すでに懐かしい思い出です。
もし、編入のことで疑問質問あればわかる範囲で答えます。
次は、編入後の生活とか単位のこととか書こうかな。
※完全に思いつきでこの記事書こうと思ったので、文章
変なところあるかと思うのですが…許してください。