「…っていうことがあったんだよね。会っていなかった間に。」
私がまだ十代の頃、今はもう疎遠になってしまった友達に紹介されて仲良くなった年上の男友達がいた。
二年前の四月に地元に戻って来てからは、何度か連絡をしていたけど、頻繁に会うようになったのは去年の初夏で、お互いに暇だったこともあり二か月近くその友達とは一週間に一回は会っていた。
去年の夏から多忙な日々を送ることになった私達は、そこから半年近く連絡が途絶えていた。
「色々あったのは俺だけじゃなく、彩子もだったんだな。とりあえず、お疲れさん」
去年の初夏に会ってから、私達は何かの決まり事かのように会う時はいつだって彼の家で、下らない話から真面目くさった話までたくさんの時間と思いを共有してきた。比喩でもなんでもなく、晴れの日も、雨の日も。
「そうね、お互い色んな事が会っていない半年の間にあったんだねぇ。久々に飲んで語りますか。…お疲れカツカレー」
至って真面目なトーンで最後の言葉を言うと、お互いに笑い出しながら缶ビールを傾けた。
北風が吹き荒ぶ二月に半年ぶりに会ってから、私達は去年の初夏のように一週間に一度は必ず会うようになっていた。
時にはほんのちょっとだけだが険悪になってみたり、アホなことばかりを話して笑い合ったりと、傍から見たら恋人同士にしか見えない日々を送っていた。
久々に会って話をした日から、私は彼に対して何かを話したくて仕方がなかった。でも、何を話そうとしていたのか長い間思い出せずにいて、一人燻る日々が続いていた。のだが。
「…あ、思い出した」
ずっと心に引っかかっていた考え事が取れた瞬間、思わずその言葉を口に出していた。喉の奥に魚の小骨が引っかかっているような状態は誰しもが苛立つと思うのだが、まさしくその小骨が取れたのだ。しかも、唐突に。あまりにいきなりで、どうしてこのタイミングで思い出したのかわからなく、自分自身でも不思議なほどに。
「何を思い出したの?」
缶ビール片手に彼は興味深そうに尋ね、私の言葉を待つ彼の様子はまるで、きちんと躾がされた犬のようで微笑ましい気持ちを抱いた。
「札幌にいる好きな人のことを話したじゃない?ちょっと前に。しんちゃん、あの時に私に言った言葉、覚えてる?…聞きたかったんだ、どうしてこの恋に反対なのか。…教えてくれない?」
以前のように頻繁に会うようになってから、私は自分の好きな人の事や私に好意を抱いてくれている男の子のことを話していた。客観的に話すように努めていたが、それでもどうしても主観的になってしまうことも数え切れないくらいに存在していた。
「正直な話をするとさ、俺は彩子に幸せになってもらいたいんだわ。こんな感情を異性の友達に抱くのはレアな訳よ。…彩子がどこにいたとしても、彩子にはちゃんと幸せになってもらいたい。でもさ…、彩子の話を聞く限り、どこからどう見ても幸せになんてなれなさそうじゃん?俺としても決めつけたくはないけど。…逆に教えてくれよ。彩子はその人のどこを好きになったんだ?」
彼の言いたいことは理解できるし、私に幸せになってほしい理由もわかる。でも、好きなもんは好きなのだ。そこに理由なんてつけられない。それでも、あえて言葉にするとしたら。
「…不可抗力だったんだ、その人のことを好きになったのは。というよりも、そう決まっていたことなのかもしれない。話せば長くなるけど、掻い摘んで話すと…」
私が東京で英明と暮らしている時、どうでもいいことで余りに大きいケンカをした。持て余していた空白はそう簡単に埋まる訳がないのだけど、それでも幸せには違いなかった。でも、ケンカをしてしまった。埋まらない穴は少しずつ広がり、そんな時にその人に出会ってしまった。最初の印象は最悪そのものでしかなかったが、それ以上に下がる必要がなかったその人は私の中でどんどん上がっていく。会う度にどんどん上がっていく私の中での彼の評価。その評価の高さはいつからか好意に変わっていた。そして、私の想いを決定づける彼の一言。
「彩子はよくお母さんや弟のことは話すけど、お父さんのことは話さないよな。言いたくないのなら無理には聞かないけどさ、笑って話せる時が来たらその時は聞かせてよ。さて、酒でも作るか」
気が付いていなかった。父のことをこれっぽっちも話していない、ということを。言われて気が付いた私は、少しだけ酔った頭に電気が走るような感覚を覚える。
私はきっとこの人にこう言ってほしかったんだ。この人の言葉や心はこんなにも私を軽々と掬い上げる。しかも、彼が意図していないところで。ありえないくらいに単純明快で、そして優しさに満ち溢れた言葉は、こんなにも私を救った。
「こういう感じかな。その時の言葉なんて、きっとあの人は覚えていないだろうさ。でもね、それでもいいんだ。意図して私を救ってほしくはないのよね、あの人には。…私の人生をある程度知っているしんちゃんなら、その人の言葉にどれだけ私が救われたか、簡単に想像がつくでしょ?」
空になったビールをゴミ袋に入れ、新しい缶をこぎみよく開けて口に運ぶ。
「どうしようもない人だな、ってすごく思うよ。…しんどい思いをしながら昼夜問わず働いたお金をあてにして、会った時はお酒を飲んでいたし。私の好意に胡坐をかいていた。俺は悪いやつなんだよ。だから、彩子はいい人を見つけなさいね、って自分でも言っちゃうくらいだから。でもね、そんなのを差し引いても私は彼の言葉や彼の生まれ育った環境や家庭、そしてその人の存在自体に救われた。…思わず言っちゃった。フライング気味に、好きだ、って。その時はそれはもうすごいくらいの熱量でその人のことを好きだった。…でもね、今はその時とはちょっと違って来ていて。随分穏やかなんだ、心が。凪いでいる海みたいにどこまでも平坦で、真っ直ぐなの。揺らぎなんて何一つとして、ない。揺らぎが無くなったんだろうね、その人に向ける想いに対して。…多分、どこまでもいつまでも好きだと思う、その人の事。この想いがありえない確率で叶っても、計算が引っくり返らなくて叶わなくても」
タバコを吸いながら話し、吸い終わったころに私の話も終えた。
どんな表情をしていたのかなんて、私にはわからなかった。しんちゃんは私の表情と言葉に合点がいったような言葉を返す。
「それは確かに彩子の気持ちもわかるわ。その人の事、好きにならずにはいられないな、そんなことを無意識に言っていたら」
でしょー?と、言葉を返し更に私は彼の言葉に耳を傾ける。
「…撤回するよ。全力で応援する。彩子のその想いを、俺は支持する。…俺はその人のことを大して知らないけど、彩子のことをここまで救ってくれるのはその人しかいない。その人の気持ちなんか、ほんの少しだって知らないけど彩子はその人じゃなきゃダメだ。どれだけ彩子のことを好きでいてくれる人がいようとも、多分彩子はその人だ。…彩子のことを好いてくれている人には申し訳ないけどな」
真面目に話していたしんちゃんの話の腰を折ってしまいそうで怖かったが、思わず突っ込まずにはいられなかった。
「しんちゃん、あんた私のなんなのよ」
そう言い切り、私達は夜が更けているということもあり、大笑いしてしまいそうになったのを何とかして堪えた。