腸閉塞での再手術から2日後。
今日は歩けてますか?
昨日はごめんなさいね。
いらぬ小言で。
と、母からLINEが来た。
それは違う。母が謝ることはない。
昨日より動けてるから😊と返信した。
動けない私の代わりに、
高齢の母が動いてくれている。
だから私は今、こうやって治療に専念出来てる。
母には何度救われてるんだろう。感謝しかない😢
母だって、吐き出したい時はあるはず。
癌患者をサポートしてる人の心のケアは
誰にしてもらえるんだろうか…。
今の私よりは動ける父は、全く動かず
母がしてくれるのを待つ。
母の負担を少しでも減らそうとは思わない
自分が良ければそれでいい。
少しでも何か言うものなら、
ゴミ出しは俺がしてる!と声を荒げ、
お酒飲み過ぎだよと声をかければ、
誰にも迷惑かけてない!と、更に飲む。
2年前、目眩がする。平衡感覚がおかしい。
物が二重に見える。父はそう言って会社を休んだ。
すぐに脳の異常を疑い、脳外科へ行こう!
と言ったが、行かないの一点張り。
兄の奥さんが看護師さんで助言してもらうと、やはり脳からだと思うから、すぐにでも診察してもらうべきだと促され、そのまま伝えるが、全く聞かない。
すると、耳鼻科へ行くと言い始めた。
随分前に耳から、目眩が起こったことがあるらしく、
耳鼻科で検査。
結果、耳は問題ないですよと言われ帰宅。
当時は私も仕事をしていた為、付き添いは母だった。
昭和頑固の親父は、人の意見など聞かない。
行かないと言ったら意地でも行かない。
それがわかっているので、それ以上は言わなかった。それから3週間しても症状は治まることはなく、
仕事に行けない日々が続き、ようやく本人から
姉のかかっている脳外科へ受診しに行った。
即入院して数日の検査の結果、
やはり脳出血だったらしい。
ただ、もう出血は止まっている。
手術出来る場所ではない。
特に薬などの処方もリハビリもなし。
その為、このまま経過観察。
医師からは、目眩などの症状は治りません。
このまま付き合っていくしか無いので、
アルコールを控え、運動するようにして下さい。
そして今後、運転は禁止。
トラックの運転手だった為、
そのまま退職という形になった。
仕事人間で、他に趣味などない。
長年勤めていただけに、張り合いもなくし、
心の拠り所をなくしたのだろう。
当時は、今まで父が働いてくれたおかげで、私自身も家庭を築く事が出きたと思うと、やはり父はショックだろうなと思い、長年勤めてくれた事に感謝した。
母に出会い平和な日々を暮らせるようになったのも、父のお陰であるのは間違いなかったから。
最初の頃は、医師の言う通り、お酒を飲まない日が続いていて、このまま断酒出来るのではないかと思ったが、1ヶ月過ぎたあたりから少しずつ飲み始めた。
そうなるともう止まらない。昼から飲む。
お酒の量はどんどん加速。
運動はしないが、お酒が無くなれば買いに行く。
こうなると止めようがない。
退院してすぐは、静かだった父。
父も、もう運転出来ないならと、
車関係の仕事をしている夫の言う通りに従い、
手続きをして車を売却した。
この時にしておいて本当によかった。
父の車は大きかったので、
平日、夫が休みの日に、父の車を運転してもらい、
私は後ろから運転してついていった。
母も見届けたいと一緒に来て、3人でランチをした。
3人での食事は色んな意味で最後の外食となった。
その時、すでに夫は職場で不倫をしていた。
その2ヶ月後、私は呼吸が止まり
長男が呼んでくれた救急車で運ばれた。