このところ、私がバリに行くたびに必ず訪れるのは、

チャンディダサという田舎の村です。

 

バリの東、空港から車で一時間半ほど。

 

音符こんな感じの海~ 地味ですな~

 

 

 

この地味加減がよいのです。

大人のゲストしか来ないので、落ち着いています。

 

地球の歩き方という、コアな旅行ガイドには載っていますが

オシャレ系なガイドブックには地名も載っていません。

 

観光地独特のやかましさがなく、

要するに、街中を歩いていたり、ビーチでのんびりしていても、

ぼったくり目的での物売りがあまりいません。

 

空港近くの繁華街のビーチでは、全くのんびりできません。

サングラス売り、アクセサリー売り、マニュキュア塗り、サーフィン先生

なんでもぐいぐい押し売りにやってきます。これがしつこい・・・

 

音符チャンディダサでのホテルのお部屋

 

静かで清潔でお庭もきれいでゆったり滞在できます。

一泊2500です。私はもっと値切りますが。

 

音符そして現地の方と飲み会しまくります。

ヤシの樹皮から出る液体で作るお酒。

 

バリ式飲み会、一つのグラスで一人ずつ飲み干し

次の人にグラスを渡し、順番に一気飲み。

(ゆっくりもあり、自分のペースで良い、

何なら飲みたくないので酒を飲まずに後に投げ捨てる人もいた)

 

音符私が飲む番

 

酒の席だけど、子供ちゃんがウロウロしながら参加していて、

親戚関係全員で暖かく子育てをしています。

 

この子育て方式、昭和の日本的・・・

 

みんなで子供ちゃんを大切に育てています。

このバリ式子育て体制、大勢で子供を育てている、

定職がなくても親戚の家事や子育てに協力する。

 

 

飲み会も子育てもバリの方は素朴ながら素敵です

 

 

バリでのごはんと言えば、思い浮かぶのは、東南アジア風のチャーハン、『ナシゴレン』

 

音符バリ島の隣のレンボンガン島でのレストランでのランチ

 

 

右がナシゴレン、左はナシチャンプル。

『ナシ⇒ごはん』+『ゴレン⇒i油で炒める』=ピリ辛チャーハンですね。

『ナシ』+『チャンプル⇒混ぜ混ぜ』=白ごはんにおかずいろいろ。

 

もちろん一人で食べたわけではなく、

連れてきてくれたボートのキャプテンの分もおごりますよ。

「ノリコはナシゴレン好きでしょ」と言われ、ナシゴレンを頼みましたが、

出てきた料理を見たらナシチャンプルの方が野菜たっぷりで良かったやんか。

オーダー失敗。

まぁ、美味しかったけど~

 

バリ島に生まれ育った人々は、この世に存在するものにはすべてに神が宿っていると心から信じています。

いつも天国から神様が見ているから、神様にお祈りしていれば、死後は天国に行ける。

しかも、神様に対するセレモニーを誠実に続けていれば、生まれ変わったときに、またバリ人として生まれてくることが出来ると信じています。

バリ人として生きていることを誇りに思っています。

 

毎日、朝晩、お家の中のたくさんの神様にチャナン(お供え物)を欠かさないだけではなく、バリの独特のカレンダーにより、『それぞれの神様に感謝する特別な日』、が度々あり、その日はその神様に、ヤシの葉で作るお皿のデザインが豪華でお花の盛りも多い特別なチャナンをお供えします。

今日は、火の神様の日だから、と台所にお供え、水の神様だから井戸周りにお供え、「今日は・・の日だから」と、皆さん正装に着替えてスペシャルチャナンをお供えする場面に頻繁に遭遇します。

 

音符スペシャルチャナン、何の神様かはわからず・・

 

 

 

音符お友達宅でスペシャルチャナンを作るお手伝いをしているワタクシ。

 

 

 

 

バリ田舎滞在初心者のころ、お友達になったマデさんと海辺で話しているときに質問してみました。

「いろいろ、神様にお供えしてるけど、そんなに沢山神様がいるの~?」

「え~?」

この『え~』は、あんたは何を言ってるんだ????的な、あきれる感じの対応でした。

次の言葉は

「じゃあ、どうしてこの海があると思うの? どうしてこの空があるの? 波や太陽や風や大地やヤシの木とか」

「あの~、それは~、海や空や風とか全てにそれを創造した神様がいるというコトデスネ」

「当たり前でしょ」、(オフコース イエス、と言われた・・)

と、笑われましたね。

 

車やバイクや船の、様々なエンジンにもお供えしている日があるのを見知っていたので、さらに聞いてみました。

「じゃあさ、エンジンにも神様がいるの?」

普通に

「うん、いるよ」

 

そこで疑問に思いもう一つ聞いてみました。

皆さん、ケータイ電話持っています(各家庭には電話線が来ていないのとケータイの方が安いという理由で)。

「それなら、携帯電話にも神様がいるの?」

また、あははは、と笑われました。

「そんなの、いるわけないじゃん~」

 

????

 

基準が分かりません。

 

私がこういうことかな?と想像していることは、宗教を取りまとめるトップの指導者が生まれた時に、世の中に普通にあるものには、それに神様が宿っていると決める権限があるのかな?

 

そまざま想像しつつ、バリ島に行くたびに出会った人にいろいろ聞きながら謎を探索しています。

 

『ケータイの神様にお供えする日』

が、いつか出来てカレンダーに載る日があるのか、わくわくしながら見守っています。