今年で34歳になった。
教師を始めて7年目の今、始めた頃とは全く見える世界が違う。

子どもが二人生まれた。
いつも文句ばっかり言う悪ガキたち。

7年の教師経験と子育てで数々悩んだ。

面白いもので教師7年目で父親7年目だ。

最初の3年はただの勢い任せ。
7年前に『学校の先生』をするとなった時にはある意味『学校の先生』という自分の感覚には無い枠組みにトライする緊張感に追われていた。
ある時、1年目を共にした先輩のおばちゃん先生が言った。

「あなたの思うように好きにやって大丈夫。」

2年目からはフルスイングでいった。
学年を持ち上がり4月の学年の引き継ぎでは、子どものことをひたすら一人で説明出来たほどに子どもに近い距離で進み、その流れで卒業の年も任された。
最初の卒業生たちとの3年は本当に毎日エキサイティングだった。

ケンカしている女の子二人を放送室にぶちこんで「仲直りしておいで💡」と無理やり二人にしたこともあった。

ケンカの多い子の家に足を運んだこともある。

家庭訪問の帰り道に流れで公園でガチのかくれんぼをしたこともある。

ただ、この子たちが卒業したある日驚きの事実が耳に入る。

『アイツ、学校に来てないよ…』

誰も不登校にならずに楽しく通っていた子どもたちが卒業したら僕は無力だった。
とてつもなく反省もした。
結局、小学校の教師はずっとそばにはいないのに、何の助けになる力も付けてやれてなかったんだと。

そこで出した答えが、
『校区に住んで地域の大人になって、困って頼ってくるヤツらの宿り木になる。』だ。

正解ではないと思うし、批判もたくさんあった。

でも、やってみたい。家族も巻き込んで今の土地に住んでみたい。

そこから4年間『校区に住む』というなかなか無い距離感で自分なりに出来ることは全部やった。

『特別支援教育』が僕に少しだけ力をくれた。マイノリティに立つことの多い自分の感覚に似た子がいることを知った。似た親がいることも知った。

すると、見えてきたもの。

公立というとんでもなく大きな会社では救いきれない数々のエピソード。
もはや、『教育』はチームで救う時代だ。
僕一人の力なんかじゃ到底子どもは救えない。
でも、僕にしか救えない子ももしかするといるんじゃないか?

世の中っていうのは『答え』が無い。
おっさんでも悩む訳だ。
でも、悩んだからには頭も少しずつ整理されてきた。

これからは、アメブロは一旦卒業し、
note に情報発信を変えていこうと思う。



今の気分にピッタリの曲で締めくくりたい。
こういう発信も僕は『教育』のど真ん中ストレートだと思っている。