俺は常々面白くなりたいと思っている。面白いと言ってもInterestingではなく、Funnyになりたいのだ。シンプルにいうとお笑い芸人になりたいのだ。最近はM-1グランプリの時期なので、YouTubeで M-1の予選や決勝進出コンビのインタビューなどを観て、自分も面白くなったと錯覚しているほどにはお笑い芸人に憧れ、好きで、イタい人間である。だからこそ、テレビではバライティやネタ番組はかなり観ている方だと思うし、劇場にも少々足を運ぶくらいにはお笑いファンな自覚はある。
小さい頃から家のテレビにはバライティしか流れていなかった。自分の面白いも大切にしていたが、理解できていない大人の笑いも父が笑っていれば、それは面白いものなんだと認識して、深く意味もわからず笑っていた。そんなまま成長したので、小学校ではお笑い係なるものを立ち上げ、月に一回帰りの会の時間に友達とモノマネや一発ギャグを披露したりしていた。だがその頃からだんだんと俺は面白くないのだと理解しはじめた。帰りの会でやっていた一発ギャグやモノマネは完全な身内ノリで、仲の良い友達しか笑っておらず、パーセントで言うとクラスの70%は笑っていなかったと思う。
そんな経験から俺は根本的には面白くない人間なのだと悟り、中学生の頃にはテレビに出ているお笑い芸人を真似することで、自分も面白くなったと勘違いする今考えると恥ずかしい日々を送っていた。
社会人になったいま、たびたび友達や知り合いから「面白いね」って言われることがある。でも自分の中では俺は中途半端なのだ。人間で面白くないから、浅いお笑いの知識で笑いを取ろうとしている。結局人として面白い、裸一貫で面白い人には勝てないし、ちゃんと知識でお笑いをやろうと、養成所に行ったり、大学でお笑いサークルに入る勇気もなかった人間だ。
先日もオフィスの近くの天ぷら屋さんにランチで行った。はじめて行く店だったが、とても雰囲気が良かった。なにより店主のお母さんが関西人なのか気さくでとても良い店だなと感じた。頼んだ天丼も美味く、満足気に俺は会計に向かった。会計の時お母さんに関西弁で「お会計1000万円やで」と言われた。俺は咄嗟に何も言えず、ただ言葉を反復して、ツッコむことをノることもできなかった。微妙な雰囲気になり、ただただ1000円を払い店を後にした。店を出てから「高すぎんだろ!」や「じゃ1億円払うんで、お釣りください」などもっとこう返答すれば良かったというものが思いつき、後悔する、やっぱり俺は面白くないんだと。テレビでお笑い芸人がドッキリを仕掛けられ、急にボケられた時に咄嗟にツッコミできていないのをみて、「俺ならツッコめるのに」と思っていたが、現実ではこうだ。
数日少し落ち込んでいた。しかし、今日挽回の機会を得た。会社の先輩の誕生日をサプライズで祝うこととなり、サプライズの主催の人から、「ケーキ受け取ってきて、プレートの文言は任せるね」「普通の文言のプレートはいらないから」と言われた。俺はそう言われた瞬間から頭をフル回転させた。めっちゃ大喜利する場面と思った。正直仕事なんて手につかず、ずっとプレートの文言ばかり考えていた。
あっという間に夜になり、誕生日を祝う食事会が進んでいく。サプライズケーキを渡すタイミングになり、俺は恐る恐るサプライズケーキをテーブルの中心に置いた。俺の選んだプレートの文言は「すくすくおおきくなーれ」会場が笑い声に包まれた。食事会が1番の後輩から、年齢も役職も上の人へのメッセージ。みなの意識の外側からの言葉に、みなが笑ってくれた。祝われた先輩も「この歳で“すくすく”って言われるとは(笑)」と笑ってくれた。
やっぱり人を笑わせるのはあまりに気持ち良すぎる。全能感や愉悦感が致死量超えてるくらい襲ってくる。面白いが1番かっこいいし、1番なりたい姿だなと改めて実感する。別にお笑い芸人になるわけでもないし、M-1にエントリーするわけでもないが、これからも俺は思い続けるだろう。面白くなりたいと。
小さい頃から家のテレビにはバライティしか流れていなかった。自分の面白いも大切にしていたが、理解できていない大人の笑いも父が笑っていれば、それは面白いものなんだと認識して、深く意味もわからず笑っていた。そんなまま成長したので、小学校ではお笑い係なるものを立ち上げ、月に一回帰りの会の時間に友達とモノマネや一発ギャグを披露したりしていた。だがその頃からだんだんと俺は面白くないのだと理解しはじめた。帰りの会でやっていた一発ギャグやモノマネは完全な身内ノリで、仲の良い友達しか笑っておらず、パーセントで言うとクラスの70%は笑っていなかったと思う。
そんな経験から俺は根本的には面白くない人間なのだと悟り、中学生の頃にはテレビに出ているお笑い芸人を真似することで、自分も面白くなったと勘違いする今考えると恥ずかしい日々を送っていた。
社会人になったいま、たびたび友達や知り合いから「面白いね」って言われることがある。でも自分の中では俺は中途半端なのだ。人間で面白くないから、浅いお笑いの知識で笑いを取ろうとしている。結局人として面白い、裸一貫で面白い人には勝てないし、ちゃんと知識でお笑いをやろうと、養成所に行ったり、大学でお笑いサークルに入る勇気もなかった人間だ。
先日もオフィスの近くの天ぷら屋さんにランチで行った。はじめて行く店だったが、とても雰囲気が良かった。なにより店主のお母さんが関西人なのか気さくでとても良い店だなと感じた。頼んだ天丼も美味く、満足気に俺は会計に向かった。会計の時お母さんに関西弁で「お会計1000万円やで」と言われた。俺は咄嗟に何も言えず、ただ言葉を反復して、ツッコむことをノることもできなかった。微妙な雰囲気になり、ただただ1000円を払い店を後にした。店を出てから「高すぎんだろ!」や「じゃ1億円払うんで、お釣りください」などもっとこう返答すれば良かったというものが思いつき、後悔する、やっぱり俺は面白くないんだと。テレビでお笑い芸人がドッキリを仕掛けられ、急にボケられた時に咄嗟にツッコミできていないのをみて、「俺ならツッコめるのに」と思っていたが、現実ではこうだ。
数日少し落ち込んでいた。しかし、今日挽回の機会を得た。会社の先輩の誕生日をサプライズで祝うこととなり、サプライズの主催の人から、「ケーキ受け取ってきて、プレートの文言は任せるね」「普通の文言のプレートはいらないから」と言われた。俺はそう言われた瞬間から頭をフル回転させた。めっちゃ大喜利する場面と思った。正直仕事なんて手につかず、ずっとプレートの文言ばかり考えていた。
あっという間に夜になり、誕生日を祝う食事会が進んでいく。サプライズケーキを渡すタイミングになり、俺は恐る恐るサプライズケーキをテーブルの中心に置いた。俺の選んだプレートの文言は「すくすくおおきくなーれ」会場が笑い声に包まれた。食事会が1番の後輩から、年齢も役職も上の人へのメッセージ。みなの意識の外側からの言葉に、みなが笑ってくれた。祝われた先輩も「この歳で“すくすく”って言われるとは(笑)」と笑ってくれた。
やっぱり人を笑わせるのはあまりに気持ち良すぎる。全能感や愉悦感が致死量超えてるくらい襲ってくる。面白いが1番かっこいいし、1番なりたい姿だなと改めて実感する。別にお笑い芸人になるわけでもないし、M-1にエントリーするわけでもないが、これからも俺は思い続けるだろう。面白くなりたいと。