「日本国民は正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と武力による威嚇
または武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。

前項の目的を達成するため、
陸海軍その他の戦力はこれを保持しない。
国の交戦権はこれを認めない」

(日本国憲法第2章第9条)

・・・私も多年の平和論者であるが、
正直に言って、かくまでに徹底してはいなかった。

私はこの原案の作成者と、
この原案の冒頭に

「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を希求し」

という文句を加えて、
これを可決した議会に心から敬意を表する。

この条文の審議にあたり、

「我が国だけが戦争を放棄しても、
他国がこれに賛同しない限り、
その実効は保障されぬではないか」
という委員の質問に対し、

政府は

「この規定は、
我が国が好戦国であるという世界の疑惑を除去する消極的効果と、
国際連合自身も理想として掲げているところの、
戦争は国際平和団体に対する犯罪であるとの精神を、
我が国が率先して実現するという積極的効果がある。

現在の我が国はまだ十分の発言権を持って、
この後段の積極的理想を主張しうる段階には達していないが、
必ずや、いつの日にか、世界の支持を受けるであろう」

と答えたと報せられたが、この答えもまことに結構である。

ただ一言、老婆心を持って言っておきたいことは、
この一片の文章を見ただけでは、
我が国を好戦国であるとする世界の疑惑を
取り除く事はできないであろうということである。

このうえは、日本人の生活のあらゆる面において、
我々が真の平和愛好者であることを、
実践を通して証明しなければならぬ。


世界の土地と資源は、
全人類のために利用せらるべきである。

この地球は、独りアジア民族のために創造されたものでない
と同じく、ヨーロッパ民族のためにつくられたものでもない。

人類はすでにこの真理を理解し始めており、
時代の進歩するに従って、
よりよくこれを理解するようになるであろう。

この世界的認識に対するおもな障害は、
各国が、富と権力において他国を凌がんとする
狭隘な野心をもつことである。

この野心が各国を支配しているかぎり、
世界的平等への進歩は行われない。

・・・孤立主義や門戸閉鎖主義は、
広大な領土と巨大な資源を有する英国や米国、
或いはソ連や中国などには可能であるが、
これらの国々とまるでちがった環境にある日本には適しない。

日本は、富と人との世界的交流をはかり、
『門戸開放政策』の先導者になる方が有利である。

この目的を達するには、
日本に高尚にして神聖な精神を注入しなければならぬ。

かくして日本は、弱小民族を援助することによって、
偉大なる正義への道を歩むこととなろう。
これこそ世界を救済するのみならず、
日本を救う道である。

日本の運命は、
日本がこの方向をとることに成功するか否かにかかっている。
現在の日本は、生死の関頭に立っている。
日本は小国の先頭に立って、正義への道を進まんとするか。
はたまた大国の進みつつある狭い道にふみこんで、
彼等とその運命を共にせんとするか。

尾崎行雄(おざき ゆきお)(1858~1954)
明治・大正・昭和の3代にわたる政党政治家

日本は偉大なる正義の道を歩め!
「この世のどんな力も、
あなた自身の心の力より、
あなた自身の成長を確実にし、
そして、容赦なく妨げるものもない。」

1809年、
ケンタッキーにある赤ん坊が、
生まれた。

父親は、
貧しいうえに、
浮浪者であった。

母親は、
子供が、
9歳の時他界した。

「すべてのチャンスは
待ってるだけでなく
自ら掴みとりにいきなさい。」
と子供に言い残して・・・。

その子供の名は、
アブラハム・リンカーンといった。

その子の後の人生は、
あなたが承知のとおりである。                   
アブラハム・リンカーン


たとえ環境がどうであろうと
チャンスは自分の手でつかむものですね。
ある父親が息子の通信簿をみて、
あまりの成績の悪さに愕然とした。

父親は、
息子に法廷弁護士になってもらいたいと、
思っていたが、
担任の先生は、
「その可能性は、まぅたくない」と断言した。

少年は落伍者であった。
そう、この人物こそが、
ウィストン・チャーチルである。

彼は、弁護士には、ならなかったが、
英国至上最も偉大な指導者
の一人となったのである。                

 ウィストン・チャーチル


必ずしも学校の成績が悪いからといって
人生の落伍者になるわけではありません。