先日、知人が亡くなったと連絡を受けた。
親より少し下の世代。年齢的に全くないとは言えないが、急なことで大変に驚いた。
数年お会いしておらず、自分が10〜20代前半の多感な時期にお世話になった方で、思い出と共に悲しみが膨らむ。
またこういう時に死に対する不安が付きまとうのも何とも心が重くなるものだ。
今年もいくつか不幸があった。
最初は強い衝撃を受けるのだが、本当に不思議なもので、日常生活に戻り、しばらく時間が経過すると頭の片隅にそっと移動している。
必要な時間はその人との関係性や原因に比例しているように思うのだが、長くて数年で何となく日常を取り戻して行く。
この心の痛みは続かない。
続けたくても続かない。
しかしながら辛い期間はある。
何か思考として死を受け止める方法がないかと考えていた時にたまたま出会ったのがこの本。
広告リンクで恐縮だが、この本は非常に私は役に立った。
この本の一つの話。
人生の中では、一度会って「またね」と言ったものの二度と会わない人も多数いる。
またね、がいつになるかもわからない。
自分が40代で80代に寿命を迎えるならば、あと40年強。
およそ40年後にあの世で再会できるわけである。
それまでに楽しい話をたくさん作って土産として持って行くわ、というようなつもりで日々を過ごす、というようなことが書いてあったような。
書籍が手元にないので少々違うかも知れないが、そのように認識している。
この本により、そもそも死という形でなくとも、人との出会いと別れは常々存在しているということを認識できた。
ある種その一つでしかないということ。
悲しいけれどもお別れ、は実は大小何度も経験してきている。
その一つと捉えた時に、私は心が軽くなった。
子供を流産で亡くした時が一番辛かったのだが、この考えを持ってしていると、しばらくして心は軽くなった。
流産なので自分が原因じゃないか、という自問自答はつづいたが、死の受け入れ方はこの考えを知っていたことにより、かなり違ったと思う。
もちろんそんなことで気持ちが軽くならないという方もいるだろう。
自分にフィットする考え方があればそれを取り入れる方が穏やかな気持ちでいられるが、結局のところ、頑張って探さずとも、自ずと時間経過のなかで少しづつ頭の片隅に置かれて行くものである。
人の死を前に辛いと感じる方の心が少しでも軽くなればと思って書き起こしてみた。
参考になればこれ幸い。
故人の冥福を祈ると共に、自身の心も癒したいと思う。