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MIRAIのブログ

「大人になりたい!」「大人ってかっこいい!」
子供たちが自分の未来に希望や夢を持つこと、それを周りの大人がしっかりと育てること。
自分の未来にわくわくするような野心家な(笑)子供たちいっぱいの世の中にしたい。

「幸せの法則」
 今まで自分が縛られているルール、「こうあることが幸せだ」という観念からまず脱すること。それによって今まで自分の知らなかった世界が大きく扉を開けて私を待っていてくれるものなんだと。

 雨が降っているのではない。大きな窓は私の眼だった。

 早朝から、二人の息子を保育園に預けたその日、私は一日有給をとっていた。子供のいない家で、彼と一時間にも満たない時間話し合い、別々の人生を歩むことが決まった。
というか、すでに決まっていた、お互いそれぞれの中で。

子供のいない家、私と彼しかいない空間。数年前まではそれが普通であったはずなのに、それすらも、もう思い出せない。私たち二人しかいないその家は、すでに私たちの「家」と言える代物ではなく、生活に必要な物資があり、そこにばらばらの方向を向いた私たちは「子供」という鎖でつながっているだけだった。
だから、その話し合いのために、私たちはそんなに長い時間も必要としなかったし、もはや、それは話し合いではなく、今後のための「整理」という形だった。


「この表だと、俺らの年収的には、毎月これくらいの金額になるみたいなんだけどね。」

「そうなんだ。いいんじゃない。これって、二十歳までなの?大学卒業するまでなの?」

「それは、それぞれらしいけど。」

 まず冒頭に、彼は、PCでWEBページを見せて、私と彼の収入で養育費をいくら支払うべきなのかを話はじめ、それに私も同意し、その金額に基づいて公正証書をいつ作成しに行こうかとお互いの手帳とにらめっこをしていた。

 その時、これもネットで調べて、初めて知ったが、公正証書は2人そろって公証人役場へ行って作成しなければならないらしい。その日程が決まるとお互いに準備すべき必要書類を確認し、私がいつまでに引っ越すのか、子供たちも戸籍をいつまでに私の籍に移動するのか、さまざまなことについてとてもスムーズに話がすすみ、お互いのスケジュールを手帳に各々書き込む作業だった。彼は子供についても当然、私が育てるものだという認識だったようで、親権や養育権は一切主張しなかった。子供に会う日にちや回数も決めた方が良かったのかとも考えたが、彼にとっては、あまり意味がないようだった。いまだに彼にとって、子供がどういうものなのか私は理解できていない。私にとって、子供と離れて生活することは「死ね」と言われているのと同じようなものだが、彼にとっては非常にさっぱりとしたもののように映った。もしかしたら、私にとって子供がどれくらい大事なのか理解してくれているからかもしれない。
  


 私は、その時の彼の顔を覚えていない。
 

 彼も私の顔を覚えていないだろう、すべてが「整理」だった。
 

 私のわずかな抵抗と言えば、
「今は、子供も小さいし、私も仕事をしているから、確かに妻としては失格だったと思う。でも、もっと子供たちが大きくなって、ゆとりができれば、子供たちを中心にしていたパートナーがお互いをじっくり考える時間がもてると思う。今が一番大変な時だから。」
こんなことを言った。

 私の夫婦のイメージは共に歩む戦友のようなもので、常に恋人同士のような関係でなくでもいいと思っていた。
とにかく、子供をお互いの価値観で愛していれば、大きく道を外れるはずはない。

 これは後から多くの男友達に言われたことだが、大間違いで男にとっては、一層その場から逃げたくなるような決定的なフレーズらしい。だから、離婚を望む女性がいるならば、是非この言葉を使ってほしい。男にとっては、女が子供を育てるから、あなたは外で働いて給料もってきてくれればいいからくらいの印象を受けるとのこと。私は、全くそんな意味ではないし、今だにその受取り方に疑問を持つが、言われた方はとにかく、どんどん心が遠ざかる魔法の言葉だそうだ。

 

 私たちは、別々に歩むことをお互いに確認したのだろうか。すでにそのことは避けられないというかお互いに避けるべきものという感覚も失っている状況の中で、だからこそとても無機質な状態で進んでいったんだと思う。これが良かったのか、今も自分の中に落とし込めていない。あの時、すがってみたり、泣いてみたり、怒ってみたり、何かしらアクションを起こせば、また違った人生というか未来があっただろうか。
 

 たぶん、あったと思う。「あっただろう」と今言える状態になった。

 

数日前に、私の両親には、私たち2人がこれからのことについて話し合う予定を話してあったので、両親もこの日は実家で私からの報告があることを待っていてくれていた。
あの日、両親はどんな気持ちだったんだろう。
私は昼前に彼との話をきれいすっかり片づけてしまい、午後から出社する予定の彼を家に残し、車で実家に向かった。何も考えていなかったし、何も悲しくなかったような気がする、覚えていない。悲しかったのか、ほっとしたのか、これからの自分の人生に急に不安がわきあがったのか、気づいたら涙が止まらない。「涙がとまらない」なんて、ありきたりの表現では表せないような無意識の涙。私は、本当に雨が降っているのかと思って、ワイパーを動かした。でも雨は、視界を遮る。雨にぬれているのはフロントガラスではなく、私の眼だったから。それに気づいたら、さらにわっと涙があふれた。

 実家に着くころには、涙はひと段落したような気がするけど、両親を前にして、また泣いて、しくしく泣き、母も泣き、若干めんどくさそうな父の顔。父も男性だから、私たちとは違った視点があったようだが。最後に父は私の背を押すことはしなかったけれど、私の背を両手でがっしりと支えてくれた。

 その日、私は平常心を取り戻し、保育園に子供たちをいつもの時間にお迎えに行き、そして、いつもと同じような夜を過ごした。
子供たちが寝た後、彼はまだ帰ってこないリビングで、私は一人自分の手帳をもう一度見直した。これから、一か月のスケジュールを入念にイメージし、確認する。
 29歳。子供が5歳と1歳。産休を数か月とったけど、下の子は産後2か月で仕事復帰した。仕事でキャリアアップしてきたという自負もある。そう、私はやれる。人生のこんなピンチに相手にこびなくてすむ私は自由だ。愛のない相手と生活のために家事育児をやり続ける人生は嫌だ。私の人生は私のもの。私はやっと、これから人生を自分の意思で作ることができるんだ。なんだか、自分で自分が誇らしかった。

 


 1か月後、私は家を出た。もちろん、息子たち二人と一緒に。


 「離婚」という社会的な契約解除の手続きは、予想以上に手間がかかる。手間はわざとかかるようにしているんだろう。結婚の倍のエネルギーを要するというじゃないか。確かに、その通り。そんなに簡単にできるはずはないのだが、私のエネルギーはそれをはるかに上回っていた。1か月で引っ越しの準備、離婚の書類や戸籍の手続き、すべて完全に終えて引っ越しの日を迎えた。それから、数日後に公正証書を作成し、一週間後には離婚届けを提出し、新しいアパートを探して、家庭裁判所に戸籍の移動の手続きに行った。とっても忙しい数週間だった。決めたら、いっきに動かないと気が済まない自分の性格をありがたく思った。

 軽率だったと言われても、
「物事は時間を十分にとって練りつくした企画が常にベストとは思わない。たいていの成功した事例はとにかく行動し、走りだし、その中でいかに柔軟に修正と改善を行えたか。」と言ってやりたい。私たちの新しい生活は、靴も履かずに走り出し、走りながら、「わつぃの靴はどこだ?どこだ?」と探しているような一年間を送ることになった。靴を履かなければ、足は泥がついて汚れ、落ちているガラスで切って血を流すこともあるかもしれない。でも確かなことは、走りださなければ、どこにガラスが落ちているかもわからないし、本当にフィットする靴を探すこともできない。
 そんなものだと思う。
 小雨がふるその日、朝一番で子供たちを保育園に送り届けた。私は有給休暇をとっていた。彼は、いつもより少し早く仕事へ行った。
 引っ越しの前日から私と息子たちは実家に泊まっていた。息子たちに段ボールの山積みになった家を見せたくなかったから。前日に半休をとって目に付く部分はその時に一気に片づけて、なるべく子供に見せないように準備していたのだ。保育園に送り届けて、家に行くと、すでに彼は会社へ行ってしまっていた。私が今日引っ越しなんだということを知っているだろうに、連絡もなかった。興味もないのだろうか。
 がらんとした部屋の隅に段ボールが山になっている。私が昨日荷造りした段ボールが「キッチン」「リビング」「和室」と新しい家での新しいポジションが書かれた状態で運びだされるのを待っている。ほとんどの家具を私がもっていくのに、どうやって彼はあと一週間ここに住むのだろうか。そんなことを少しばかり思った。
 

私の気持ちだけが、整理もされず、新しい行き場もわからず。これからどうなるの?私はやっていけるのか?引っ越し屋さんが荷物を一つずつ運びだしていくたびにだんだん不安になって、また少し涙がでた。でも本当に少しだった。
 

大丈夫。

少しずつ前に進んでいる。

私と2人の息子たち、きっともっと幸せになれる。

私が幸せにしてやる。

なんの心配もいらないんだよ。


じゅん、ママととうとが「離婚」ということになって別々に離れて暮らすことになったとじゅんにお話したとき、「どうして?」「どうして?」と何度も聞いて、泣いていたね。
「ママととうとはたくさん喧嘩をして、もうお互いに大切に想う気持ちがなくなってきてしまったから、もうこれ以上喧嘩しないように離れて暮らすことになったんだよ」とママはじゅんに説明したけど、それでも何度も「なんで。どうして?」を繰り返して「ごめんねってママがちゃんと謝らないと」と言ってくれたけど、それ以上ママはなにも上手に説明できなかった。

本当にごめんね。あの時は、正直「ごめんね」と言いながら、「ごめん」とは思えない自分がいた。子供に申し訳ないと思ったのは、申し訳ないことをしたということに気が付いたのはもっと、後のことだった。
あの時の私は何をみていたんだろう。

 

 新しい生活が始まった。新しい家で初めて3人で眠った夜を今も鮮明に覚えている。
それは、トラウマという記憶状態に近く、とてつもない不安感と寂しさだった。アパートの一階で上の住人の足音や風でシャッターが揺れる音がすると、「おばけだ」とけいちゃんが泣き出し、けいのほうを向いて一生懸命あやしていると、じゅんも不安そうに私の背中にぴたっとくっついた。その日から、私は寝るとき片手づつ彼らに預けて、両側から手を押さえつけられるような状態で寝るようになった。
 こんなことは今までなかった。「おばけだ」とけいちゃんが、泣き泣き寝る夜は2週間程度続いた。
 風の音も上の住人の足音も隣接している駐車場に車を駐車する音も、本当に心細くさびしく私たち3人に響いた。こんな状態で、私たちは平和に暮らすことができるんだろうかと思う日もあった。
 でも人は慣れるものだ。私たちのうち誰が最初に順応したかはわからないが、自然にゆっくり、着実に私たちは新しい家にも生活にも慣れていった。

それは、さみしさや不安感がなくなったわけではないんだね、私たちは常にそれを抱えていた。ただ、抱えた状態に慣れつつあったというだけのこと。
ママは自分についてもそれに気が付かなかったし、じゅんとけいについてもわからなかった。新しい生活にだいぶ慣れてくれた、良かったと思っていたんだよ。でもそれが大きな間違いだと今ならわかるんだよ。


・ゴキブリのこと
 私は、子供のころから虫が嫌いだ。最近は小さいコバエくらいなら大丈夫になったけど、やっぱりたたくときはドキドキする。子供の頃になっているナスを「虫だー」と言って大泣きしたと母から聞かされたこともあった。
 だから、結婚して家をでた時新居の条件は、「ゴキブリがでないところ」が第一条件だった。
 だったのに、離婚して選んだアパートは10年以上築年数の一階。しかも前の林がとっても気に入っていたのに数か月で林の一部で建売建築の工事が始まった(笑)
 ある夜。まだ寒い夜だった。マンションの7階だった前と比べると同じ時期なのにとっても寒い。冬はそろそろ終わりだというのに…と家賃をケチってこのアパートを選んだ自分をちょっと恨みつつリビングに戻った。黒い物体。ゴキブリ。私が世界で一番嫌いな虫。
 私の身体にぐっと力が入り固くなったのが自分でもわかった。しばらく、にらみ合ったけど、声も出せない。声をだして助けを呼んでも、子供たちを起こしてしまうだけだし、駆けつけてくれる人もいないし。私は、新聞紙をぐるっと丸めて、そーと近づく。呼吸を忘れるくらいに緊張していた。思いっきりの力を込めて黒い物体をたたいた。そんなに力はいらなかったらしい、でもたたいた後に動き出したらもっと恐怖だから。
ぺしゃんこになったゴキブリと私。ぺしゃんこのゴキブリをみて私の心もぺしゃんこになった。放心様態。しばらくあとで我に返ってゴキブリを新聞紙の上にのせて玄関からそとの駐車場に捨てた。ごみ箱は怖い、生き返るかもしれないから。
 外から戻って、ソファーに座って。たくさん泣いた。泣いて泣いてこれでもかってくらいないた。なにが悲しいのか。本当に涙が止まらないときは、何が悲しいのかわからない。子供もわけがわからなく泣いたり、ぐずったりする。「どうしたの?」「どっか痛いの?」て聞くけど、答えられない気持ちがわかった。そんな状態。体の深いところからどろっとしたものがあふれ出し、自分の中の認められないその存在に反発しつつも巻き込まれ、その中でおぼれているような気持ち。
 私が人生で初めてゴキブリを退治した夜。私も強くなった。そのあと、何度かゴキブリが出たけどなんの躊躇もなく退治できるようになった。
 一度、子供とお風呂に入る直前で家族3人全裸だったけど、なんともなく退治した私に息子たちは「ママ強い!かっこいい!」と称賛。よかった、あの夜、子供たちが寝ていた時で。これからもどんなものが私たちの前にきてもママが全部退治してあげる。
あなたたちには、何一つ怖い思いはさせないから。



・30歳で思ったこと
まだ30歳、10年前に今の自分が想像できたか。
だから、きっと40歳のときは今の自分には想像できないような自分になっているに違いない。


・久しぶりだねと子供に言われて。
2・3日の間連続で母に息子たちのお迎えをお願いし、数日ぶりにお迎えに言ったときに言われた言葉。子供にとっては2・3日も「今日もママお迎えに来ない」「また、今日もママお迎えに来ない」と思っていたのだろう。ハンマーで頭をガツンと殴られたような…というありきたりな表現はこのような状況の時に使うだろう。


・母からの指摘
 「あんたは最近、全然子供たちの話をしない。そして、聞かない。ここに息子たちを迎えに来たら、ぱっと連れて早く帰って、早く子供たちを寝かせようとする。どこ見ているの?」
残業後、実家にお迎えに言った時に母に言われた言葉。
「頑張ってるね」「大変だね」とシングルマザーはよく言われる。
私は馬鹿だ。自分が「頑張っているのではない」「大変なのではない」。
「頑張っていて」「大変」なのは、息子たち二人。小さい身体に、たくさんの頑張りを詰め込んで。私は、その日たくさん泣いたけど、同時に母親に心から感謝した。


・ママは俺たちが一番大事だ


・ママはお仕事が忙しい


・寄せあつめの愛情


・問題はすべて私


 この生活がだいぶ軌道にのってきたと思ったけれど、そうではない。

 今も見ると心細そうに私の顔をのぞきこむ子供たちがいる。「ママ、大丈夫だよね」「ママ怖くないよね」と私に確認したいんだと思う。
 私たちはスタートに立ったばかり、やっと軌道の入り口に立ったばかり。
この気持ちになれるまでに、人に頼ったり、嘘をついたり、傷つけたりした。
 でも、これからは好きなものを好きと言おう。
愛しているものを正々堂々と愛していると言おう。そして命を懸けて守ろう。
私たちの未来は明るい。
 

 だって、この瞬間、もう扉は開いているから。


rnomoto0420@gmail.com MIRAIメールアドレス


私自身、離婚を経験し、子育てしながら会計事務所という場で、たくさんの経営者の方たちに接しています。
相反するような世界に片足づつ?突っ込みながら、「この両方がもっと密接につながればいいのに」という思いを常々抱いています。
経営者の方々は、「自分の会社が・・」「日本は不景気で・・・」という言いながら、10年後20年後の未来を見て、「社会のために自分はこういうビジョンでやっているんだ」という人がなかなかいない。いても、そこにフォーカスされるのは成功したずっと後のことで、
その過程はあまり人に知られていない。
一方、子育てに奮闘する母親たちは、「ママ友」という限られたコミュニティーで子育てをしてその時期、社会や経済からずっと離れたところにいる。

もっと、世の中で感がっている大人たちは「日本は捨てたもんじゃないぞー」と子供たちの未来に期待を持たせるようなつながりを創りたいな~と思っています。
まだまだ形になっていないのですが、
特に経営者と言われる方や現役の社会で活躍している人たちが、子供たちにその思いをプレゼンテーションするとような、子供たちの夢をたくさん引き出すような場を作りたいと思っています。


こんなメッセージをFB上である方とやり取りしたのが一か月前。

そこから、3名の方と自分のやりたいことを共有し。


そこから、自分でもよく時間があるなと思いながら、

まずは「子供に熱く発信する方を招いて、子供たちへセミナー&ワークショップを!」と思い。「市長の手紙」という所沢市のHPからメールを送ってみた。


もちろん、市長への講演依頼です。


その返答が・・・

そっけなかった(笑)「今後の市政に反映いたします」的な感じ。


しかし、これだけでは終わらない。

別のルートから依頼が通りそうな気配。


想いは、何かは動く原動力になるというのは本当のようです。

毎日の仕事と子育て…すでに手一杯のはずなのに。


やりたいことはとめられない、せっかく枠から飛び出したのだから自分のやりたいことをやって「最高の人生!」と自分も言って死にたい。


そして、息子たちにも「おふくろは最高に幸せだったな…(苦笑)」くらいに見送ってほしい(笑)


うちの母親は苦労したんです、女一人で俺たち二人を育てて…とだけは言われたくない…そんなこと言われたら、かなりつらい!!


ということで、何から手を付けていいかわからないけど


・ブログ(活動や想いを発信して、輪を広げるため)

・メールアドレスの取得(Gmailでいいよね?)


あとは、これから出会う人と情報を交換するためにはやっぱり名刺とかあったほうがいいのか?


Facebookじゃだめなの?と言われそうですが、過去の投稿がどんどん埋もれるので×。

ブログならカテゴリでわけてHP的に使えそう。

相互やりとりはFBの方がよさそう。こんなことを、気軽に相談できるこういうことに詳しい方募集。



まずは、ブログの設置おめでとう♪