もうすぐ齢(よわい)36になります。
新しいモノにだんだん疎くなり始めました。というより、追いつくのがしんどいと言いますか・・
二十歳そこそこの頃は、今の同い年くらいの職場の先輩に「曲何聞いたら良いか分かんない」と言われ、「好きなの聞いたら良いんじゃないですかー」と余裕ぶっこいてた頃が今はそのかけらもないただのおっさんです。子どもも持たずに。いや、妻もか。
涙もろくなりました。普通にテレビ見てて、少し良い話しのドキュメンタリーな報道があったりするとすぐ泣きます。映画は効果テキメンです。帰りの車中まで余韻を引っ張ります。そのくせ次の日は忘れます。あれ?内容なんだっけ。。。
感情移入しやすく、あまり引きずらない体質になったような気がするのは、もしかしたら一種の防衛規制のようなもので、生きる知恵なのではないでしょうか。防衛規制は心理学用語(失礼ながら、少し心理学をかじってました)で、ある種ショックなことがあるとそれに体が耐えようとして何かしら反応を示すことを言います。例えば部活を一生懸命練習をしても技能が上達せず、運動音痴を認めたくないことからの言い逃れで「自分はこの競技に向いていないんだ」と決めてしまうこと。
私の場合も、引きずり過ぎるとそれは生活に支障を来す恐れがあるため、目の前の業務に集中するためにはある種忘却してしまった方が良いのかもしれません。
曲について、新しいのは付いていけてないので、今、十代後半の頃に流行った「19」を聴いています。ケンジとケイゴの奴です。分からない人は素通りしていいです。
彼らもいろいろ辛い経験があり、そのきっかけもあってこの頃の活動期間は短いです。
広島出身の彼らですが、ずうーっと何度も曲を聴いていると東北訛のコトバに聞こえるところが何カ所か。。。
例えば「あの青を越えて」の〜していく〜の部分が、〜していぐ〜とか。あれ?広島だよね??
話しは変わりますが、こちら岩手のめんこいテレビアナウンサーで滝沢という人がいるんですが、出身は関東の方らしく、というより地元のアナウンサー探す方が難しいくらいですが、訛というよりはしゃべり方について。休日の昼などは割とポップな感じでアナというよりはタレントみたいな振る舞いの人たちですが、とある夕方のニュースの時。目もくれず耳だけテレビに集中し作業してたところ、”今日、○○のところでは、〜が行われましちゃ”
と聞こえたので、「え!?」と思いテレビを見たところ滝沢でした。おお珍しい。普通の報道もやるんだ、と思ってしらばらく見てました。アナが噛むところは珍しくてついつい探したくなるのですが、さすがに”ちゃ”は聞き間違えだよな〜と目を離した隙にまた、です。”○○しましちゃ”。いよいよこれは何かあるぞ、と思ってテレビを再度見たところ取材したシーンが終わり滝沢になると、なんと滝沢がこころなしか涙目になってました。”ちゃ”を2回言ったので確信に近づき今度はずっとテレビを見てましたが、「しました」というワードが出て来ないため、しばらく噛む場面が回ってきませんでした。最後の最後、”○○〜ということでしちゃ”
で終わりました。
「キタ〜!!!」
3回も言ったぞ〜!
あれめんこいテレビアナウンサー同士の罰ゲームか何かだったのだろうか。