あ、そういえばエジプト。

てなもんで、大変な御様子。
サッカーに浮かれた某国とはえらい違いで。
カタール、近いんですけどね。


政府がネットを強制的に遮断し、外国と通信できず孤立状態ですと。

「まるでCだ!」
「NKだ!」
「日本じゃ考えられねー!」

って騒ぐ騒ぐ。(イニシャル化は特に意図無し。気分。)


ところで騒ぎビトは、どうして日本にネット規制も監視も存在しないとお思いなのか?
今回エジプトは大手ISP4社に「切っとけ!」とノタモウタ訳です。
その後、他の大手も「空気読もうぜ。」として現在に至る。

政府から何かの御達しがあったとして、
日本のISPがそれに従わないと確信する根拠は何なんだろう。

「日本企業なめんなよ!アサンジも真っ青の露出狂で、それこそスキン一枚のあtprq@0jrf(r」

とか?本気で?

今や、

「ネットワークルートを通る全てのパケットのログ取っちゃう。うふ。」

なんて製品も出回り

「ほほう。オタクも導入済みですか。」

なんて企業上層部のある意味コンプラゼロな発言も運が良ければ聞けちゃう。
特定パケットのフィルタリングなんて言わずもがなってな状況。


他国や国内企業で平然と起こっている規制や監視。
今こうして利用しているプライベートからのネットだけが
そんな世界とは無条件に無縁だと。

頭が温いとしか言いようがない。
平和ボケも程々にしとけよ。
結合体双生児。

人格は個々にに成り立っているが感覚などは共有していると。
「自分が見ている視界と混乱しないのですかね?」
なんてアホなコメントも聞こえてきました。

同じ感覚器が2つあるとか、ざっくり考えたとしても混乱する筈がない。
普段、身体に問題を抱えていない者が
「右目と左目を意識して混乱する」
などと感じる事があるだろうか?
手が2本で頭が忙しなくなるとでも?

成長過程で脳がどの様に感覚器のマッピングを行っているかは謎だらけだが、
ごく稀な事例であり臨床を重んじるしかない事を考えても、
脳の柔軟性と対応力は、この環境を問題なくカバーしていると見てもいいだろう。

一つの実験として、片方にヘッドホンから特定の曲を聴かせ、
もう片方にその曲が認識できているのか質問を行っていた。

まだ幼い口からは明確に再生された曲名が発せられた。寸分の迷いも無い。
音は振動であるから骨伝導のように振動のエネルギーそのものが
身体を伝わって聞こえている可能性も無くはない。

だが、その後の質問に対する答えが興味深かった。
その年齢を踏まえ、表現に正確性は求められないとしても。

質問はこうだ。

「なぜわかるの?」

返答は

「どうしてだろう。」


そう。「聞こえている。」とも「聞こえた。」とも言わなかった。


経験も体験も出来る筈がなく完全に妄想するが
恐らく彼女たちの共有感覚を表現するとしたら

「リアルタイムな記憶」

に近いのではないだろうか。

普段、人は全感覚器官の情報から、集中という範囲フィルタを通して処理を行っている。
冒頭で表現された混乱は、このフィルタが作用しなければ容易に実現されるだろう。
特に身体的特徴を伴っていないとしても。

視覚で例えるなら、集中して見ている範囲以外は、実は見えていなかったりもする。
視野の中心から離れるに従って受け取っている色情報は驚くほど落ちて行くがそれも感じる事は無い。
(少しずれるが盲点などは集中と関係なく見えてもいない上に脳で勝手に補完されている。)

リアルタイムで処理できる情報量は非常に限られており、
私達が今まさに感じている感覚は、思ったよりも純粋な生データではない。

感覚器一人分ですら情報の処分が行われ、その様々なシステムにより上手く運用されている訳だ。

結合体であるといっても、見ている限りでは、情報量が倍になったからといって
処理系が倍になっている訳ではないだろう(片方の人格に主眼を置いた場合)。

それを踏まえると、恐らくはフィルタ機能がそれこそ人一倍の性能になっていそうだ。

どうも結合体では、自身で無い方に入力されている情報は集中の外にあり、
意識下に収まる様にうまくカットされている様に見える。
勿論入力を認識はしているが、実際に見えたり聞こえたりしているかは怪しいという事。

先の問答を参考にする限り、本人達も明確に相手方の感覚を生データとして捉える事ができていない。
そこから想像できるとするなら、現に「見えている」「聞こえている」と言うわけではなく、リアルタイムで記憶を思い起こしているような感覚に近いのだろうと。

まあ、どこまでいっても意味も持たない想像の域を出ないけどね。

ここには基本的にドコの馬の骨とも知れない奴が、
偏りまくった愚痴やらなんやらを排泄する為だけの
社会資源の無駄遣いをする場とします。


で、今日は環境保護について熱心に啓蒙活動をする心やさしき賢人について。

とにかくモチアゲラレスギ。
本人は確信的で何十年も前から活動していたそう。

だから何なんだ。
知るかよそんな趣味。

ここ最近になってやたらと講演に呼ばれたり大人気らしく。

この賢人とやらの環境を妄想してみると、ただの売り子だろうと。
しかも時勢にのった経済乞食にすら思える。

だいたいが、こういった啓蒙活動野郎って
「みんなに知ってもらう事が大事。」
ベースの心情に訴える事のみに特化して、自分では大した事を為さない。
「人間が地球を壊した。」とか平気でのたまう。
だから何なんだ。お前も人間だろう。

だいたい地球が壊れている状態の定義はなんだ。

生態系の崩れか?
生態系が崩れているとはどういう事なんだ?
その状態が異常と言い切る根拠は?

異常気象?
どのスパンで見たどの状態が異常なんだ?
そして原因と言い切れる要素はなんだ?

どれ一つとっても確かなものなどない。
環境について敢えて言い切るとするなら

「人間にとって一番都合のいい環境を追求する。」

それこそがコアの部分だ。
その為の環境保護だろう。
過剰な自然の保護など趣味に過ぎない。

そして、かの賢人が行っている活動によって何を為しているのか。

答えは簡単。環境問題に大した効果を挙げる活動などしていない。
経済停滞する先進国が展開している経済活動の一環に乗っかっているだけだ。
つまりはエコだなんだと言って商品が売れるようにする為の舌の立つ「売り子」だ。
だからこそメディアで大層な御託を並べて、程度の知れる風呂敷を広げる。
スポンサーイメージをあげる。それが彼に期待された唯一つの効果だ。
それ自体は悪くは無い。それが社会だ。

だが、大嫌いだ。
そんな賢人など足元にも及ばない
それこそ命を削って環境に取り組んでいる人も居るのだから。

本当の意味で現実的な環境問題についての取り組みを行っているのは
技術革新を生み出す研究に携わるものであったり、ひたむきにコスト削減に取り組む現場の人間だ。
現実的な環境問題対策と経済問題は切って考える事はできない。

人間にとっての豊かな暮らしとは何なのか。
ただゴミを減らしたり省エネルギーであれば良いというものではない。
人間がその生活の中で消費するエネルギーを減らすという事は
様々な生産的活動に対しての縛りも大きくなる。
短絡的に行うと、自然は守れても、実際の豊かさは大幅に削り込まれることになる。
これが世界ひっくるめて一つの共同体として成り立っていれば何の問題も無い。

しかし、実際の社会では周りには数多の国が存在し、その中の一つの国に私達は存在する。
一国のみが半ば文明を放棄する様な形で、表層的な環境保護を推し進めるとどうなるのか。

目に見えている。
ただの没落だ。
この構図が駄目だからといって無くなるものでもない。
理想的なのに存在しないものが有る様に。
だからこそ環境問題は経済活動と深くリンクする。


「文明により自然が破壊されている。」
「自然を守らなければ。」

判ってて言ってんのか?
うるせーんだよ。売り子が。