起こる事に対して
ジャッジ
良い悪いを判断する事が
当たり前になってやしないかい?
自分の中のジャッジを
固定化させてないかい?
一昔前の常識、非常識が、今の非常識、常識となっている事からも解るように
何事も
変化を続けている。
もちろん自分自身だって。
いつの日からか
これが自分!
と決めつけてないかい?
本当は
何もかもが変化してる。
その変化する前のものを
可能性
って言うんだよね。
どっちに転ぶかは解らない
だから面白い。
自分を決めつけて
自分があると信じ込み
その自分が起こる事象にジャッジを下す。
少し立ち止まってみるのも好くないかい?(^^)
本当にそれは正解か?
本当にそれは間違いか?
本当にそれは自分なのか?
可能性に視点を向ければ
どんな解釈をしたって好いし
敵は味方に変わるし
間違いは正解にだってなる。
今
不幸だと思っていても
今
幸せだと想ってもいい。
本当は
理由も条件も
要らないことを知ってるのに
意味や理由や条件を付けなければならないと
思い込んでる。
可能性
それは
なんでもあり!
そして
本当の可能性
なんでもあり
それを府に落とすと
人は
人の役に立つこと以外に
興味がなくなるんだよね(^^)
思いつきで
つらつらと
書きたくなって書いてみた。
それに
理由、意味は
無い。
読んでくれて
今日の夕日
意味は知らんけど
ただ
綺麗やった。
そして
それを感じられる自分が在る事に
感謝と幸せを
無条件に感じていた(^^)
今日も1日
ありがとう(^^)