「対岸の彼女」角田光代
直木賞受賞作品。
過去と現在における二人の関係が交互に登場し、人間関係の難しさと、そこに共通する感覚が繊細に描かれている。
現在で描かれる二人は、専業主婦の小夜子と小さな旅行会社の社長の葵。
小夜子は葵にスカウトされ、新規事業のハウスクリーニングの仕事を始める。
過去では、高校時代の同級生の葵と魚子(ナナコ)。
神奈川の中学校で苛められていた葵は、家族で引越し、群馬の女子高に入学し、そこでちょっと変わったナナコに出会う。
ひとりぼっち症候群
「お友だちがいないと世界が終わるって感じ、ない?友達が多い子は明るい子、友達のいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかにおもいこまされてんだよね。私もずっとそう。ずっとそう思ってた。世代とかじゃないのかな、世界の共通概念かなあ」
昔を思い出してしまった。
中学時代に日本に帰ってきたときに感じさせられたこと。
何かに帰属していないと不安に思う本能的な人間心理。
日本に帰国した際は、あまりの訳の分からない常識にカルチャーショックを受けた。
その時には何も分からず、それが常識で、自分がおかしいと思っていたけど、実際にはそうではなかった。
あの時から時間は経ったが、多分あの年代の人間には未だに支配的な習慣なのではなかろうか。
だから、日本の常識からは自分は少し離れたところにいることになるのではないか。
人間関係とは何か、大勢の他人とうまく合わせて何となく過ごすより、たった一人の理解し合える人間が必要なのではないか。
最後に何か手掛かりのようなものを感じた。
Festival @Foster City
本日はFoster Cityでのワイン祭り。
こちらでは移動遊園地というものが、まだまだあり、かなり大型な絶叫マシーンやメリーゴーランドなどが設置されていた。テントで店も軒を連ね、アクセサリーやバッグ、地方新聞など良く分からないものも売られていた。
Food Areaでは、Hawaian BBQやGarlic Noodleなどが売られている。
大きさはもちろんアメリカンサイズ。
アルコールはワインとビールが売られていて、ワイングラスを$5で購入して更に$5出してワインを飲む。道端で飲むのにグラスワインで1杯千円は高いか?
ビールはなんとトラックの脇から直接サーバーが4本ほど出ていて、サーバーを前に倒すだけでビールがじゃんじゃん出てくる。さすがはアメリカ、ビールのトラックか!?っと思いきや、トラックの中を開けるとちっちゃなタンクがホースで繋がれていた、、、ちょっと寂しくなった。
警察官も参加していて、ボールを投げて的に当たると警官が水槽にドボンと落ちるというゲームをやっていた。
パトカーを脇にパトライトをチカチカさせて警官がゲームを盛り上げている。
女性警官が水槽の上にいたけど、的にあたる度に水の中に落とされてかなり体を張ったゲームだ。
ゲームの収益金はチャリティに寄付するらしい。
日本では考えられない。
飲んで食べて、運河沿いの芝生でごろり。
日差しはきついが、日陰に入ると涼しい。これがカリフォルニアの気候だ。気持ちいい。
家から直接ボートで運河を渡ってきている人たちもいる。
ここもリゾート地のようだ。
日本も都心をリゾート地のように作ればよかったのに。
家に帰ってからも飲み続けたのでした。
めでたし、めでたし。
Sonoma (Iron Horse/ Ledson/ Paradise Ridge)
Berkeleyに住む昔のクラスメートと一緒に今度はNapa Valley西のSonoma Countyのワイナリー巡りへ。
NAPAの場合は、メインストリート沿いにワイナリーが立ち並んでいるので下調べ無しに、聞き覚えのあるワイナリーや雰囲気の良さげなワイナリーを訪問する事は可能だが、Sonomaの場合には、ワイナリー同士が離れており、場所も入り組んだところにあったりするので、事前に調べていく必要がある。
最初に訪れたのが「IRON HORSE VINEYARDS」。
ここはスパークリングワインが非常に有名。
他のワインは大した事ないが、スパークリングワインはすごく美味しかった
お城のような建物。サンドウィッチを作ってもらって庭で食べる。
最後に訪れたのが長澤鼎(かなえ)という日本人が開いた「PARADISE RIDGE WINERY」。
長澤鼎というのは江戸時代の薩摩藩士。
藩命でイギリスに留学したが、当時はまだ13歳というから驚きだ。しかもイギリスの学校も首席で卒業するなどまさに天才だったのだろう。藩の財政が悪化して、帰国するが、カリフォルニアに渡り、ファウンテングローブ・ワイナリーをカリフォルニア州10大ワイナリーのひとつにまで育て上げ、彼のワインは米国内のワインコンクールで好成績を納めた。ついには、「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」「バロン・ナガサワ」と呼ばれるまでになった。
当時のカリフォルニアワインの5分の1が日本人によるものだったというから驚きだ。昔の日本人はすごい。
長澤鼎のすごいところが、1919年から1933年まで施行された禁酒法時代にマフィアから持ちかけられた商談を断固として拒否し、葡萄ジュースとして商売を続けたことだ。
頭がいいだけではなく、努力と信念を持った人だったのだろう。
すごく眺めの良いワイナリーで気持ちいい。めちゃくちゃ陽気なお姉さんが、もう勘弁してくれと言うくらいガンガン飲ませてくれる。買わなければ$10だけど、1本でも買えば無料になる。
NAPAは商業的になりつつあるけど、Sonomaは人も少なくすごく気持ちよく飲ませてくれる。
NAGASAWA WINEは日本にも輸出されているそうだ。
1階に長澤記念館のようなものがあったが、長澤の所持品なども無造作に飾ってある。
見終わったら電気消しといてねって、かなり放置プレイ。都会のギスギスした感じが全く無いのがいい。
ワイナリーは大体17時でしまってしまうので、普通にまわるとSonomaの場合は3軒位しか回れない。
でも景色も雰囲気も良くて満足、満足。
PALOMONO @SF
Stanfordの近所で果物やカップケーキを買ってから一旦Foster Cityの家に戻りちょっと一息。
昔のSharemateが今日はSFのPalomonoという店でNYから来た友人と飲んでるというので合流。
店はBay Bridgeすぐ下のSpear St.にある広々としたカジュアルにおしゃれな店。
気取りすぎてもなく、スタンディングで飲んだり食べたりもできる。奥の方にはちょっとFormalなレストランもある。
外にも出られてBayBridgeを見上げられる。夜景が綺麗。
アメリカ的な太った人がおらず、仕事帰りのハイセンスな感じの白人とアジア人がほとんど。
友人は6、7人と飲んでいて、大学時代の同級生やMBAに進んだ友人達とのこと。
余り話さなかったけど、みんな気さくな感じが良い。
友人もFacebookが上場したら、大金持ちになるので、その時日本にも遊びに来るらしい。
前回若かりし頃日本に来たときは、六本木のモデルが大勢やってくる店(多分Lexington?)に遊びに行って感動したとのこと。そんなゆるーい彼が好きだ。
Halfmoon Bay / Stanford
友人と車で南西のHalfmoon Bayへ。
キャンプ場もあり、三日月形をした海岸線は人がまばらで、釣りをしている人やサーフィンをしている人がいる。
波は頭までの結構いい波。こんな広々としたところでサーフィンできるとは羨ましい。
もうちょっと南のFacebookで働いている友人のオフィスがあるPalo Aloto近くのStanford Univ.へ。
この辺りは高級な感じが漂い、いわゆる日本の学生達が集まる街という雰囲気とは程遠い。
キャンパスは広大で何とかHALLばかりで、経済学部、法学部とかいう名称は無く、どこがどこの校舎なのか分かりにくい。全体的に調和の取れ、広々と優雅な空気が流れている。
Stanfordにもタワーがあるが、ちょうど夏休み期間で閉まっていた。
噴水で無邪気に戯れる。ちょっと南に来ただけですごく日差しが強い。
キャンパスが広大なので自転車は必需品。
キャンパス内のカフェもおしゃれ。でも売っているものはやっぱりアメリカなのでジャンクフードがメインのところが多い。全体的にキャンパスというよりは、高級リゾート地のよう。リラクゼーションルームのようなところでソファでTVを見たり、ビリヤード台が置いてあったりするので自由に遊べる。
U.C.Berkeleyに比べて金髪の白人が圧倒的に多い。
生徒も金持ちのお坊ちゃま、お嬢様系が多い。
昔、漠然と恐れ多くもStanfordに行きたいなあと思っていたが、なぜそう思ったのだろうか。
それにしてもこの環境は素晴らしい。
アメリカの学問に対する重要性の認識や尊敬の念は、こんなところに現れているのかもしれない。
こんなところで勉強していたら、俗世間に出て行くのは嫌になるのではないかと思えるほど崇高な環境だ。
学生時代にここを訪れていたら何かもっと違うものを感じていたに違いない。
少しでも興味のある人は、絶対にキャンパス・ビジットをすべきだと思う。
アメリカ人は訳の分からない人が多いし、食べ物もまずいけど、このようなものを目の前にするとアメリカの懐の深さに頭が下がる。
Meet Friends
今日は日本時代からの友人と5年ぶりに会うのだ!!
もう一人、シェアメイトの中国系アメリカ人に連絡をしたところ、夜合流するという返事が!!
これまた5年ぶりでめっちゃ嬉しい!!!
フィッシャーマンズワーフから程近い、美味しいと評判のイタリアンレストランで夕食。
久しぶりに旧交を温める。
彼女は大学卒業後、アメリカで学生をし、CPAを取得してデロイトという会計事務所で働いていたが、5年間有効のH1VISAが切れた関係で昨日からフルタイムでSFにあるGolden Gate UniversityのLaw Schoolに通っている。
元々法学部だった関係もあり1年でLaw Schoolを卒業できるらしい。元々会計関連でTAX関係を専門でやっていた事もあり、TAX関連の法律を専門に勉強するとのこと。
多分相当な勉強量を要求されるはず。それにしても勉強好きだなあ。すばらしい!!!ボクも勉強するのは大学を卒業してからは結構好きだったけど、今は脳みそが腐ってしまったので勉強する気にもなりません。素直に尊敬します。
夕食が終わったので、彼女の友人2人と合流して50mくらい離れたアメリというバーへ。
アメリというバーは名前の通りヨーロッパ系で店員の物腰が柔らかく、さっとメニューを持ってきて、注文をとり、途中で水を持ってきてくれた。全てが自然体でそつない感じの気の利いたバー。
そこに昔のシェアメイトが現れた。もともと童顔だった彼はちっとも変わっていない。
彼はVenture Capitalに行くと言っていたが、Yahooに就職し、その後Facebookに転職したとのこと。
どちらもFinance部門に在籍。Facebookは昔から有名だったけど、未上場のVenture企業だとは知らなかった。Finace部門は人数が少なくて大変らしいが、上場を心待ちにしている。
それにしても、Facebookで働いている人に会うとは、さすが、シリコンバレー。
SFに住んで、Palo AltoというSFから1時間弱の街まで通っているとのこと。東京でいうならば、六本木に住んで吉祥寺に通う感じだろうか?都心から離れているところに会社があるのだから、わざわざ都心に住まなくても、と日本人の感覚では思うのだけど、ここSFではそういう人が多いらしい。
もう一人昔クラスメイトだったBerkeleyに住んでいる友人がいる。
ヨン様に似た彼は流されっぱなしの中々面白い人生を歩んでいる。
日本にいる彼女とも別れてしまったために、日本に帰る理由がなくなってしまったようで、かれこれ8年くらいBerkeleyに住んでいる。未だにRoom Shareをして3人で暮らしている。
Sharemateのネパール人のロジャンはU.C.Berkeley時代に教授からGreencardを取得できるよう取り計らってもらえるほど優秀な人材だったらしい。現在は興味のあるクラスを取りながら、起業してカーディーラーと不動産業(現在研修中らしい)を営んでいるらしい。彼もまた天才なんだろうなあ。
いやーー、昔の友人に会うのは、昔の自分とも会えるような気がしてすごく懐かしい。
Foster City / SF
Foster Cityに住む友人宅に泊まる。
East Bayに対しPeninsula(半島)と呼ばれる半島状になった湾の西側を埋め立てた人工の街、Foster City。
ここはかなり計画されて建設された町のようで素晴らしく整然としている。
環境にも十分配慮されていて、芝生や草木が生い茂り、街に張り巡らされた運河には家からそのままボートで散歩ができるようになっている。プールやテニスコート、人工芝のサッカー場、野球場、バッティングセンター等の施設が整備されていて、川?沿いにはマラソンとサイクリングコースがあり、運動には事欠かない。
芝生は共同管理されており、自動的にスプリンクラーで水が一斉に撒かれる。
水道代は家賃に含まれているらしい。家賃は需給関係で日々変動し、同じ間取りでも月間2万円以上の差が開いているような状態。相場は駐車場つきの大きめの1LDK(60㎡程度)で15~16万円程度か。
Foster CityにはIBM、Oracle、SCE等のコンピュータ関連の有名企業のオフィスがある。
SFの街を再びぶらぶら。
Market St.のPowellからJapan Townに向けてEllis St.を行くと、朝っぱらから目つきの座った怪しい黒人達がふらふら。後で聞いた話だけど、どうやらこの辺は麻薬の中毒患者の更正施設がありそのままいついてしまった人達が大勢いるらしい。普段どこへでも行くが、この通りはかなり身の危険を感じる。
Japan Town(Japan Center。通称、ジャパセン)は、5年前に比べると商品は多くなったように感じるが、相変わらず町全体としては日本的というよりは、店にしても韓国人や中国人によるものが多いような印象を受ける。
チャイナタウンに比べると活気が全然違う。チャイナタウンはアメリカ初のチャイナタウンということもあり、NYに次ぐ規模を誇る。立地も良く、活気があり、アメリカに居ながら共通言語はなんと中国語。
中国人向けの電話やアパートなどの細かい事からトラブルなどの困ったときの駆け込み寺のようなオフィスもあり、相互扶助のネットワークシステムが確立されている。先に成功した者が、後から来た人たちの面倒をみて、今度はその人たちの何人かが成功をする。
富の再分配システムは総体的な発展には不可欠なもののように思われる。
チャイナタウンの隣にあるのが、イタリア人街。NYでも確かそうだったような気がするが、チャイナとイタリアはセットなのだろうか?イタリア人街は下町っぽい気取らない店が多く立ち並ぶ。
頑張れ!!日本!!
日本代表の実力は、国の勢いにも関係があるのだと強く確信しております。
U.C.Berkeley
思い出の地、Berkeleyへ。
U.C.Berkeleyは略称ではUCB、CALともいわれる。
キャンパスは広々していてどこに何の建物があるのか分かりにくい。広々とはいってもアメリカでは比較的こじんまりしているらしい。当時、リチャードギアがこのキャンパスに来て撮影しているのを見かけた。重厚な歴史を感じさせる建物が多く、学問に対する尊敬の念と勉強する意欲が湧いて来るのは気のせいかな。
それにしても、アメリカの学校というのは、本当にありえないほど勉強をさせる。週末があっても、週末があるからここまでできるでしょうという感じ。授業ではテキストは当然学習してきている前提で、プレゼンやDiscussionがメイン。アメリカ人の主張好きと議論がうまいのはこういう教育制度にあるのかも。
日本では全くといっていいほど勉強をしたことがなかったので、学校とは勉強をするところだったんだなと改めて思い知らされたのでした。勉強に追われていた毎日が懐かしい。
U.C.Berkeleyのシンボル、Sather Tower。高さ94mでバークレーの街が一望でき、天気がよければSFまで見える。61の鐘があり、時計台としても活躍。上に登るには$2必要。
昔、Shattuck Ave.からちょっと入ったChanning Wayのアパートで、中国系アメリカ人2人とインド人とでルームシェアで暮らしてました。友人の友人のアパートがたまたま空いていたのでそこに滞在させてもらいました。バークレーのアパートの相場は需給関係のせいか、めちゃくちゃに高く、東京以上。とんでもなくホコリの多い部屋で、掃除をしても床が絨毯のせいか、ベッドがホコリの源だったせいかホコリにまみれて暮らしてました。
中国系アメリカ人の一人は理工系の大学院生でバークレーの友人同士の間でも天才と言われてました。彼は毎日半端なく一日中勉強してました。41人のノーベル賞受賞者を輩出しているので彼が将来受賞してもおかしくないかも??
みんなイケメンで頭が良くて文武両道という感じ(ほぼ完璧でしょうか)。世界最高峰の頭脳が集まる部屋で生活するという貴重な経験でした。
当時から多かったけどアジア系の学生がさらに増えたように感じる。アジア系といっても、中国系、韓国系がほとんどで日本人はほとんどみかけない。彼らは元々の国民性もあってか、たとえ間違っていたとしても自分の意見を堂々と主張し、アメリカ人と対等に渡り合う。それに比べ、日本人は優秀だが、間違った事は絶対に言ってはいけないという風土からか、周りの様子を伺ってから意見を言ったり、協調性を第一とするせいか集団の中では影を潜めてしまう。最近特に日本人が元気が無いし、鎖国化(ガラパゴス化)が目に付く。頑張れ日本人!!!!
大学では自由な気風が強く流れ、どういう主張だったか忘れたけど、裸で通学していた人もいたとか、いないとか。とにかく個性が強烈。Golden Bearsがマスコットでラグビーが強い。Go! Bears!! 熊と入ったキャップも売られていた。
Berkeleyの街は、勉強をするためのインターネットが繋がるカフェや気軽に入れるレストランも多く、学生が住みやすい街。
辺りにはスーパーや映画館も複数あり、日用必需品もすぐ手に入る。
Berkeley Bowlというちょっとナチュラル系のスーパーに行って色々と変わった食材を買うのがすごく楽しかった。ビュッフェのようなスタイルの、気軽で安い新鮮なサラダやスープのサービスは日本にもあればなあと思う。
ただ治安はそんなに良いわけでもなく貧しい人も多い。隣町のOaklandでは、黒人が多く住み、ギャングの抗争などで人が殺されているニュースを良く耳にする。地元の人間でも夜は一人では歩かない。
Berkeleyの駅前にピアノを持ち込んでパフォーマンス。学費を稼ぐためだろうか。
この人、ただ者ではない!!素晴らしい演奏で思わず聞きほれてしまった!!!
アメリカでは最低でも2年間はいる予定だったが、半年で日本に帰国せざるを得なかった。
あの時の運命の分かれ道。全てを失った今、あの時の人生の選択は正しかったのだろうかと思う。
SF
早速SFの街をぶらぶら!!
SFの定番と言えば、フィッシャーマンズワーフとケーブルカー!!
メイン通りのMarket St.をそのまま海まで突き当たり、フィッシャーマンズワーフへ向けてGO!!
Fishermans Walf!!
ここのクラムチャウダーは定番。ちょっとすっぱい味のパンの中にクラムチャウダーが入っている。
量はアメリカンサイズ。個人的にはそんなに美味しいとは思えない、、、、
SFはカニも有名!!海辺でバリバリと茹でたカニを食べるのも良し、Soft Shell Crabをガーリックで調理した美味しいレストランへ行くのも良し。
観光の定番、アルカトラス島。昔は刑務所だったが今は観光地として有名。島の周りは海水は冷たく、潮の流れも速いとか。南アフリカにこの間行ってきたので、ロベン島が思い出される。ロベン島もケープタウンから近い同じような環境の刑務所で、尊敬する偉人、ネルソン・マンデラさんもロベン島の刑務所に18年間も収監されていた。
サンフランシスコ再び!!!
サンフランシスコに再び舞い戻ってきた!!!
SFは3回目くらいかな?
何度か滞在しているうちに何となく思い出の地となりつつあるなあ。
今回はSFから車で30分くらい南にあるFoster Cityで働く友人が暇だったらおいでよ、ということで渡米する事に。
友人はちょっと留学していた時期にgroup workingでパートナーを組んでいたが、ぼんくらな私を差し置いて首席でクラスを卒業した優秀な人。帰国後、再び邦人企業のローカルとして渡米。今後の人生のヒントとなることが何かあるかもしれないという期待も抱き訪問。
航空券は直前だったので格安航空券を探すのに苦労したけど、結局デルタ航空のHPから直接購入。
LCC(Low Cost Carrier)以外で航空会社からの直販でこんなに安くチケットが購入できるとは知らなかった。
チケット代が安いとはいえ、燃油サーチャージという消費者からすると若干不透明な料金が2万円以上も上乗せされる。為替のように油の変動リスクをヘッジする対応を航空会社が取れないものだろうか、、、
まあ、JALをはじめ、航空会社は大変だろうから仕方ないか、、、
DELTA航空の機内はLCCと同じような内装でシートが革張りでTVが各人には着いていない。
読書をしているうちに9時間があっという間に過ぎSFに到着!!!
夕方日本を出発して同日の朝に着くので、ある意味タイムスリップ。一日が長い!!!
タイムスリップは可能なのだ!!!!っということを改めて体感したのでした。


















