☆まさかの・・・の続きです。生々しい表現の上大変暗い内容のため、了承して下さる方のみご覧ください。
個室を希望しましたが、生憎いっぱいで、六人部屋へ入院となりました。(私のほかに臨月の妊婦さんが一人)
トイレ以外は動いてはいけないと言われほぼ寝たきりに。
トイレに行く度に増える出血、安静にしていなきゃいけないのに、気になってチェックしてしまいます。
1月2日になって腰痛、下腹部痛も始まり、それでも私は神様、仏様、ご先祖様に祈ってました。先生はもうだめだってわかってたのかもしれませんが私は諦めることができませんでした。
12時を過ぎて1月3日深夜、耐え難い腹痛を感じトイレに行くと大量の血の塊が便器に落ちました。
赤ちゃんを流してはいけないと必死に便器に手を突っ込み拾い上げて、エコーには写らなかった胎嚢を探しました。
レバーのような塊の中に小さな白い胎嚢を見つけたとき、嬉しいような、すべてが終わってしまったようななんとも言えない気持ちになり、震えが止まりませんでした。
塊がでたら教えるように、看護師さんに言われていたのでトイレのナースコールを押しました。看護師さんはそれを金属の器に入れて持っていきました。
その日は眠れませんでした。赤ちゃんを失ってしまった悲しさと、喪失感で一杯でした。
隣の妊婦さんがお産を終えて帰ってきたようで、興奮ぎみに電話で生まれたよといろんな人に電話で報告している声を、一晩中聞いていました。
翌朝の回診、隣の妊婦さんに看護師さん達が、おめでとう🎉すごく可愛い子だね❤と話してる声を聞いて、ずっと我慢していたのですが、声をあげて泣いてしまいました。
担当の看護師さんが入ってきて、つらかったね、がんばったねと言ってくれました。
面会の時間になり、隣の妊婦さんにたくさんの面会の人が来る前に帰りたい。無理なら抜け出したいという思いにかられ、旦那に早く退院したいとすがりました。
隣の妊婦さんが悪い訳じゃありません。彼女には人生で一番嬉しい出来事を喜ぶ権利があるし、私もその邪魔をしたくはありません。
早く大きな声で泣きたくて、いなくなってしまった赤ちゃんを惜しんで旦那と泣きたくて、退院を早めてもらいました。
イブの日に陽性反応が出たからイブちゃん、と呼んでました。
流産にも入らない超初期の流産なのかも知れません。でも、私にとっての第一子は、この子だと胸を張って言えます。
イブちゃんが来てくれたから、妊娠できる身体だと実感することができた。
また不妊治療をがんばろうと思えるようになりました。