面白い記事を発見したので載せておきます。


産経新聞のオンラインからです。


詩人の宮沢賢治に「雨ニモ負ケズ」という有名な詩がある。東北地方で貧しい農民たちと生活をともにした賢治が、こういう人になりたい、と自分にいいきかせた素朴で力強い詩だ。

 そのパロディーに「雨ニモアテズ」というのがある。賢治のふるさと・岩手県盛岡市の小児科の医師が学会で発表したものだそうである。職業上多くの子供たちに接していて、まさにぴったりだと思ったという。作者はどこかの校長先生らしい。

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ

 賢治が生まれて100年あまり。そのころ日本中はどこも貧しかった。

text by http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070712-00000047-san-l38



政治も何もあんぽんたんなNOKONOKOですので、総理大臣が変わりこの国がどうなるかは、全く分かりませんが、とりあえず、日本国民として政治に協力しようと言う事で、何か出来ないかと考えていたところ、どうやら今の政権は「美しい国」を作ろうとしているとの事なので、nokonokoも協力して、まず自分の部屋から美しくする事にしました。

美しい国への第一歩という事です。

まずは、洗濯して、たまっていた洗物を済ませて、その間に、掃除機をかけてと手際よくやりつつ、「洗濯なんて機械がやる事だろ」って母に言ったことを反省しつつ、何でこんな場所に、光沢がかったクルクルパーマの毛が落ちてるのか不思議に思いながら、掃除機をかけていると、どうもおかしい。

掃除機をかけた所に埃が落ちている・・・。

原因不明でしばらく考えても、分からず、コノヤローって履いてるスリッパを投げたら、なんとスリッパの裏に埃がついてることが判明!
何事も身近な所に物事の根源的要因があるんだなぁと感心しつつ、そしてそれに人は気付かないものである事に憂いつつ、掃除機がけを無事終了。

で掃除機をかけ終わっても、洗濯機はグルグル回っているので、次にお風呂の掃除へ。

よく見ると、小さな黒いカビが所々にくっついていたので、けしからんと思い、掃除もしないのに買っていたカビキラーを開封して、外敵を完全駆除するために、スプレーしまくった。素早くお風呂場から離れ、少しばかり待ってから、「さぞ綺麗なお風呂場になっているだろうと」視察してみようとドアを開けた瞬間、物凄い塩素臭が鼻を通り、そして鼻から体へと駆け巡り、激しい頭痛に見舞われた・・・、目もカチカチするし、気分もいいとはいえない。

しかも、流してみると、微妙に残っている部分があり、カビは完全に駆除できないし、目はカチカチするしで、散々な目にあった。

よくよく考えると、カビが体に良いとはいえないが、じゃぁどれだけの悪影響を及ぼしていたのかを考えれば、はて、答えに窮する。

確かに部屋中カビだらけとなるとさすがに問題かもしれないが、少々の事なら見逃してもいいのではないのか?、というよりも、この塩素の匂いぷんぷんの部屋と目のカチカチ具合を考えれば、見逃していたほうがよっぽど快適だったと言える。

何でもかんでも害がある可能性があるからと言って駆除してしまっては、駆除されている方だけではなく、駆除している方の身も滅ぼすということである。

その上、カビのように完全に駆除できたと思っても、しぶとく生き延びるのである。何事もほどほどの妥協と、とうか適宜性と言う事であろう。

各言う内に、塩素で体はやられているものの、見た目には大分綺麗な部屋となった、美しい国(部屋)の完成である。
まぁ、美しいとかそういう概念は他人によって判断されるものであるから、他人から言わせれば美しくないかもしれないが・・・

まぁ、兎も角、これでこそ国民として、政府に協力できたと言う事だ。次はベランダが残っていると言う事には目をつぶり、目を洗い続ける日々がしばらく続いた。
月曜日に自転車を走らせていると、ちょうど向かい側から老人二人組みが歩いてきた。

歩道では歩行者が優先権を持つということが京都では普及していないらしく、自転車に乗った人はチリンチリンと、進軍ラッパとしては迫力の無い音を奏でて歩行者の群れに突っ込んでいく。

性格が少し曲がっているnokonokoなぞは、絶対にどいてやるかっ!!て心で思いつつ、怪我するのが嫌なので、いつもしぶしぶ道をあけるのだが、もし自分がアイアンボディを持っていたら、当然道をあけることは無いだろう・・・、どうでもいいことだけど。

で、逆のパターンでは、nokonokoは絶対にチリンチリンと鳴らして歩行者をよけさせる事はしないのだが、どうも、バブル崩壊後世の中は物騒になったらしく、夜道で、チリンチリンと鳴らさずに、歩行者、とくに女性の後ろなんかを、ちんたら走っていたら、その人は、どんどん早足になって、最後は近くのコンビニに入って行く。

最初はなんて親切な人だと思っていが、どうも最近、自分が変な人に間違われていて、親切に自転車の事を考えて早足で歩いているというよりは、自分から逃げているのではないかと、思い始めた。たぶん最近思った事の方が正確な事だろう。
法律を守ったら変人と思われる。物騒な世の中になったもんだ。

で当然前から人が来たときも、よけさせないように慎重に走らせるのだが、ゆっくり走るので会話内容がたまに耳に届く事がある。

その二人組の会話は、
「今年も早かったねぇ~」
「そうだねぇ~」
というものであった。

常識的に考えると、少々ぼけてられるのかと思いがちだが、1月から始まり、9月までの時間の過ぎる早さを考えれば、9月から12月なんていうのは、まさにあっという間の出来事であるので、今から年の瀬の心準備をしておかなければ、準備不足のまま除夜の鐘を聞く事になってしまうということだろう。

時に年功主義が合理性を持っていると感じられるのは、こういう時だ。時間を有効にどう使うかは、人生をより長く生きた人の方が良く知っているわけで、その意味でおじちゃん、おばあちゃんは、最もよく時間の使い方を知っている人というわけだ。

とうことで、今から、運動の秋、読書の秋などとのんびりかまえていたら、年の瀬に乗り遅れるわけで、今から、年末すごし方について考えないと、取り返しのつかないことになるぞ!!っておもった今日この頃でした。
先日F1のミハエルシューマッハが引退しました・・・

人間本当に好きな人とか、尊敬している人とか、感謝している人については、おおっぴらげには公開しないので、僕もごくごく最近まで、あんまり、彼を1スポーツ選手として尊敬しているとは言ってこなかったんですが、今年引退するかもしれないという事で、今年から周りに、実は・・・という感じで、ちょくちょく紹介してきた次第であります。

どうも周りの目が気になる私は、あんまりメジャーじゃないスポーツの一選手に熱狂しているなどと言ったら、きっと周りからは、少女のフィギュアに熱中している人と同じと思われるに違いない、と勝手に思い込んでいたので、隠れてヒソヒソと、夜中に中継を見るとか、毎週彼のホームページのコメントをチェックするなどをしていました。

極めつけは、学生時代遠征でイギリスに行った時に、ロンドンのスポーツショップにブラリと入った時に見つけた、シューマッハのカレンダーを、13ポンドでイギリスで購入。しかも、カレンダーとしては一度も使用せず、その時気に入ったページを部屋に飾っておくという使い方をしていたので、私の部屋は、4月に8月のカレンダーがかかっていたり、2005年7月にに2003年7月のカレンダーが飾ってあるというハチャメチャな状態になっていたというわけ。

後から考えるとそもそもこういう行い自体が怪しいのですが、当然行っている当人としては、そんな感覚は無いので、オタクって言われている人の気持ちが少し分かったような気がしました。
シューマッハが、皆が良く知らない女性や、アニメキャラに変われば、というか、知られてないという部分は同じなので、正常な感覚の他人から見れば、相当奇異な人物と見られていたような気がします。今考えてみると。

しかしながら、さすがにミニカーまでは手を出せず、というかミニカーショップに入る勇気が無く、そこまでには到達できていません。いいのやら、わるいのやら。
今年に入って毎週日曜日、「よし、引退するかもしれないから、記念に一台くらいは持っておこうと思い、今日こそは入店するぞ!」って意気込んで、家を出るんですが、信号をとまり、自転車で坂を上っていると、その玄関を出た時のほとばしる情熱は、急激に冷めてきて、ミニカーショップの閑散とした店内を窓越しに見たとき、完全に消えうせてしまいます。
そしてその内、商品が無くなり(あるのかどうかも確認していませんが)、ヤフーオークションでビックリ仰天するほどの値段で売り出されているのをみて諦めるんだろう。

で去る9月10日にレースで優勝した後の記者会見で引退を発表。そのコメントはフジテレビの、録画放送なのになぜか同時通訳をしているという変な構成で放送されました。

その放送を見ていると、隠れて応援し続けた、10年の歳月が懐かしく思い出されるのですが、その時気付いた事が一つ。

あ~、長嶋が引退した時泣いたうちの親父は(これもどうなんだ!?)、きっと、こういう思いで引退の放送を見ていたんだなっていうのが分かったような気がして、それと同時に、その事を笑い話にしている母に、今度会ったら注意せねば!と思いました。

シューマッハによって、団塊世代の熱狂と悲しみの一欠片を理解できたような気がして、改めて感謝する今日この頃です。

有難う!ミハエル!

読める人はどうぞ。僕は読めません。
引退してから数日後のコメントです。
"I don't think I can find words to describe everything the fascinating world of motor sports has given to me. I have experienced moments I will never forget, starting off in a gokart all the way into the F1. I'm deeply thankful for that.

I would like to thank everyone who has accompanied, supported and inspired me from the beginning on. Special thanks goes out to Corinna and both of our kids, because they gave me the energy to accomplish what I did. All these years in F1 were wonderful, especially of course the ones with all my friends in the Scuderia.

Competing on a high level takes a lot of strength, energy and motivation. I still have that, but I'm not sure if I will have it in the future. And I would not be content to just drive around a little.

Soon my future will belong to my family. But I'm also happy to remain a part of Ferrari. And for now the championship is the most important thing.“
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