本土復帰50年・慰霊の日の沖縄 | nokonoko☆rainbow☆*:.。.∞宇宙レインボー∞ .。.:*☆



本土復帰50年目の沖縄

そして今日は、慰霊の日

4人に1人のウチナーンチュが戦争で命を落とした


その魂たちを思い、手を合わせる日🙏



平和な沖縄、世界をつくっていきますと手を合わせてきたけれど


また、むごく悲しい歴史が繰り返されてしまっている




復帰後6年目に生まれた私

方言も英語も喋れず、
沖縄の歴史もよく知らない


幼い頃、
親がポロッと喋った方言の意味を聞いたら、
黙っていて教えてくれなかった

なんでだろうとずっと思っていた


戦時中は、方言を喋るとスパイと見なされ殺されたり、
戦後は、標準語を喋れないと学業についていけないからと、学校で方言を喋ると罰せられたという事は知っていたけれど、

復帰後もまだ方言札を続けていた学校もあったという事実を 最近知った

本土に出ると、偏見や差別を受けた時代も長かったと聞く


私は本土の短大に行かせてもらったのだが、

その初日、
「沖縄の人ってみんな裸足ってホント?🦶」
と聞かれ、
「えっ?靴履いてるけど(足元を指差して、えっ?見えんの?というジェスチャーで)
というトンチンカンなやりとりをした記憶もある(^^; 25年も前の話だが、今の子たちはどうなんだろう?


私の親も先生たちも、
将来子どもたちが困ったりバカにされたりしないように、
子どもの前では方言を使わない という事が、
子どもを守るための1つだと思っていたのかもしれない


ずっと住んでいるのに
知らないことばかり


最近、テレビで沖縄の歴史を振り返る番組がよく放送されているので、そこで知ったことも多い


世界一危険な基地 と言われている

普天間飛行場のすぐ側で育ち、ずっと生活してきたので


爆音で家や窓ガラスがガタガタ揺れたり、
テレビの電波が乱れ、ちょうどいいところが見れなかったり
大事な会話も学校の授業も中断せざるおえなかったり(沖縄あるある^^;)


両手で耳をおさえ、うんざりする
長時間のホバリング音や、燃料の匂いに窓を開けていられない
落ちてくるんじゃないかと思うほどの低空飛行に恨めしく空を見上げる(実際に何度も落ちているし、物も落とす)

日米地位協定による、やるせないニュースの数々…



今でもそういう事が日常茶飯事




でも、




私は外人住宅街で育った


元軍人さんに英語を教えてもらったこともある


基地の中に遊びに行って楽しかった思い出もある


従姉妹は元軍人さんと結婚して幸せな家庭を築いている



ここには到底書き出せないぐらい



怖さも、恨めしさも


楽しさも、感謝も、愛も


色んな思い、思い出が


ちゃんぷる〜なのである




最近よく聞いている、うちな〜んちゅの曲


魂が込められた


素晴らしい曲たちだと思う


共感できる曲


最後のフレーズで泣いてしまう曲


癒される朝ドラの曲



生き抜いて


命を繋いでくれた先人の皆さんに


生きやすい今を作ってくれた皆々様に



感謝の思いでいっぱいです🙏







みんなが仲良く笑顔で


幸せに暮らしていける世界のために


私に出来ることってなんだろう










🍄🌈