シーソーには違いない。
いいところも悪いところも認識している。
好きか嫌いかで言ったら、考えたくない。
そう思うことはポイントだと思う。
自分では向き合っているつもりの
自分の問題に目をつむっていることではないか。
なぜ、こうなってしまったからと言うと
それは流れだとしか言いようがない。
もっとひどいことを相手にしているように
思えるカップルだって仲良くやっている、と
いうことだってあるからだ。
でも、このことで私は確実に何かが育っている。
決して「なぜ私がこんなめに?」とは思わない。
物理的にも、それなりのことをしてきたかもしれない
という自覚もある。
ただそれは、お互いさまじゃないかといく思いとともにだ。