夫も私も中学受験を経験しました。


小学4年生からの塾通いは

昭和の時代でも大変でしたが、その結果

中高一貫校に6年間通えたことを

本当に良かったと思っています。


高校受験がなく、友達も先生も部活も趣味も

切れ目がありませんでした。


中学1年から6年間、友達だけでなく

学年の先生方もほぼ同じで

良くも悪くも知り尽くした関係でした。


思春期の難しい時期や女子あるあるトラブルもありましたが、周りを見渡すと色んな同級生がいて、そしてそんなときはみんな大人のような対応をしてくれました。


誰かを皆でいじめるといったこともありませんでした。


そんな学校生活の中で今でも強烈に覚えていることがあります。


中学1年生の夏休み、初めての三者面談のときのことです。


廊下の椅子に腰かけて待っていると

隣の教室では窓越しに、

ある同級生とそのお母様が座っているのが見えました。


「みんな何話してるんだろう?緊張するなぁ」


話し声はセミの声にかき消されて聞こえない。

まるで音声が壊れたテレビのようで

暑さと緊張の中、ぼーっとその窓越しの母娘を

見ていました。


そのお母様が亡くなったと聞いたのは、2学期が始まって間もなくのことでした。


「お母様は1か月前に学校に来て『私はもう余命が短いので、娘のこれからの6年間を先生方に託します。よろしくお願いします』と言って帰られました。

本当に最期まで立派なお母様でした」


同級生はお葬式が終わると

いつも通り学校に戻ってきました。

周囲もいつも通りに接していました。


どの親もずっと健康で子供の受験や

思春期ならではの難しい局面に

伴走し続けられる保障はないのです。


万が一、親が伴走できなくなったときに

せめて学校だけでも安定した

拠り所となるような環境であったなら…

できれば6年間ずっと…


同級生のお母様はおそらく体調が悪い中、

最後の親の務めとして娘の中学受験に伴走して

6年間の居場所を確保してから

その半年後に亡くなったんだと、

自分が母親になって改めて気が付きました。


「誰かに決められたのではなく

思春期の6年間の居場所を

自分の力で決められるのが中学受験」


夫と私は娘が自分で決めた

行きたい学校に通うために

2拠点生活を選択しました。


「よくもまあ12歳の娘を手放せるわね」

と周りのママたちから驚かれましたが

シマエナガが毎日楽しく通えることが

母の喜びです。