一曲目、アカシア!2年と8ヶ月ぶりのライブだと謳っているが、私にとっては完全に3年ぶりのライブ。あ〜正直アカシアは泣きすぎて覚えてないです。てかバンプのライブの一曲目って必ずそう。「ここまで生きてきてよかった」と本気で思ってしまうし、なにせ義務教育が終わらない頃からずっと好きなバンプオブチキンなのでその歌も音も声も優しさもすべてが私の全身にこびりついていて、ステージに上がった藤原さんがギターを掲げた瞬間に細胞から鳥肌が立つ。それにアカシアが上乗せされて、そういう意味で言うと私とアカシアの歴史はまだまだ短いんだけどこれはもう彼らから私へのラブレターだと認識しているのでその手紙がこの耳に届いた瞬間私はもう大号泣です。ただでさえ遠くて米粒にしか見えない4人が涙で余計に滲む。友達が「あえてのアカシアスタートあるだろ」と私にメッセージを送ってきたときは「いやいやないだろ」と思いつつ「一曲目が一番悩む」とまとを得ない返信をしたけど、あった。ありました。アカシアスタート、ありました!しかもめちゃくちゃしっくりきました!とかも、泣きながら思ってた。
で、その次のHello,worldと天体観測はとりあえず泣き止んだので普通に楽しんで、藤原さん歌うま〜とかチャマ元気そ〜とか考えながら、隣で楽しそうにする友達をチラ見してみたりして、なんとなく、その場の雰囲気のようなものを感じる時間だった。
3曲やったあとに一度藤原さんのありがたいお言葉(MC)があって、天体観測なんかの「君たちが歌っているパートは今は声が出せない状況でなかなか歌うことが難しいけどそこは空白として残しておくから」「学校で長い間休んだ友達がいてもその子の席はなくなったり誰かが座ったりすることなくちゃんとその子の席として誰もいないままあるでしょう」「それと同じだよ」などどこれまたオツで大変助かるお話を可愛い笑顔で披露していた。しかも、「昨日も同じことを言ったんだけど友達に"上手いこと言うね"って褒められたから今日も話すね」という愛しすぎる前置きつきで。『空白が"在る"』というのは藤原さんお得意の矛盾理論で、別名『沈黙が聞こえた構文』とも言うんだけど(私が勝手にそう呼んでる、沈黙が聞こえたというのはメーデーの歌詞)、つまりまあ何かを失ってもそこは「無」ではなく「空っぽが在る」のだと、藤原さんは結構前からこの理論を展開している。HAPPYなんかではそれを「愛しい空っぽを抱きしめて」と表現しているんだけど、この日の天体観測や、途中でやったray、あと最後のガラスのブルースはまさにそれだった。まあ、その話はまたのちほど。
四曲目がなないろで、一曲目のアカシアもそうだけどこの辺りのポップな最新曲は中盤以降の盛り上がりで使われると思ってたから、意外と早めに出てきてビックリ。前日にライブに来ていた友達はなないろで泣いた(泣きそうになった?)と言っていたけど私はギリ耐えた。てかライブ前になないろやったとか言うなよ。まあ絶対やるとは思ってたけど。
で五曲目、噂のギルド。社会人になってからのギルドがやばいほど響くと巷で話題になっているが、働いた分見返り(給料)が返ってくるという意味では、私は全然働くことの大変さとこのギルドは結びつかない。まあ今の仕事がそれなりだということも相まっているのだろう。「汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ」という歌詞がギルドの中で一番好きな一節なんだけど、そこの歌詞を唯一変えて歌っていて、「どんなふうに生きればいい 体だけぶら下げて」だって。その次の歌詞、「構わないからその姿で生きるべきなんだよ」だからね。私はバンプのこういうところが本当に好きだ。ギルドの次にやったイノセントも結局そういうメッセージだと思うんだけどさ、自分を過信するのは間違いだし、かと言って下げて下げて自己嫌悪を装うのも勘違いも甚だしいという感じで、もともと自分ごとき嫌うような価値もないと言っているように思う。「ただお前はお前であるだけでそれ以上でもそれ以下でもなく上にも下にも右にも左にもお前の代わりは良くも悪くもいないんだよ」みたいな。それをユグドラシル期(通称:黒の時代)の藤原さんが歌にすると、ギルドになる。まあいろいろ御託を並べてみたけど、実際のところ死ぬほど聴いて死ぬほど泣いて死ぬほど好きなギルドをライブでやってくれたら曲の意味歌詞音リズムその他諸々なんにも関係なく、やっぱり泣いてしまうんだけどね。
ギルドをやったあと、4人それぞれに挨拶をするくだりが回ってきて、チャマは結局「ごめんなさい」「ご迷惑をおかけしました」としか言っていないんだけど、ヒロとヒデちゃんはそれなりに客の笑いをとったりなどしていた。そこから藤原さんが「三曲暗い曲やります」「まあ君たちも大概、、まあいいか」などと呟きつつイノセント、flare、銀河鉄道。銀河鉄道、別に暗くねえぞ?flareも別にそこまで、、イノセントは暗いが。そんなこと言うから私は太陽とかを期待してしまったよね普通に。でも、まあ、ここに来て銀河鉄道が聴けるなど、、いと歓喜。flareの最後、楽器がピタッと止まったあとヒロのギターで終わるんだけど、ピタッと止まったところで終わりだと勘違いしたにわかがパラパラ拍手をしていて本当に失礼な奴らだなと思ってた。絶対ここまで言う必要ないんだけど。でも私は、たとえば曲間の静寂とか逆にお決まりの手拍子とかそういうのを結構大事にしたいタイプだから、こういう逸脱に過剰に反応してしまう。それにflareは本当に大切な曲だから、なおさらね。そういうモヤモヤを抱えつつ、次の曲、銀河鉄道へ。これ、バンプ屈指の激ヤバ曲。よくよく聞くと歌詞がなんかところどころで面白くてすごいなとか思いながら聴いていたんだけど、最後のサビの「今までの物語を鞄に詰めてきたのでしょう」「荷物の置き場所を一人で守ってきたのでしょう」と言う歌詞で(若干歌詞変えてる)なんか本当に一気に崩れてしまいました。この曲、WILLPOLIS2014の東京ドームでもやっているんだけど、そのライブ映像でもこの部分ヤバいなと思っていて、それがいざ目の前にあると、ほんとに、とにかくヤバいのよ。あとはまあやっぱり、普通に銀河鉄道をやってくれたとという事実だけで涙腺が緩んでいたんだろうな。
で、その次の曲もヤバくて、たぶん誰も予想していなかったであろうアルバムFLAMEVEINからリトルブレイバー。ナイフやバトルクライをやった20周年記念ライブを彷彿とさせる選曲、かなりナイスです。バンプとしてもこのライブを特別なものにさせたいという気持ちがビンビン伝わってくる。話逸れるけど、この25周年にきて天体観測のTシャツを出したのがなんかすごくグッときたんだよね。天体観測でバッと人気になって、それに納得がいなかくてライブで天体観測をやらない時期すらあったバンプオブチキンが、それを自分たちなりに受け止めて解釈して再録して、そして今日この日にこの偉大な一曲をTシャツとして私たちに背負わせてくれた。もうそれだけで私は、私は…。リトルブレイバー然り、そうやってちゃんと彼らの歴史の重みを感じられるし、バンプ自身がきっとそういうライブにしようと思っていたのだろうと思う。リトルブレイバーのあと、畳みかけるように鳴らす才悩人応援歌。YouTubeに無断転載された、知る人ぞ知る2007年さいたまスーパーアリーナを思い出した。藤原さんが間奏からラスサビにかけて一人加速してヒデちゃんとヒロが必死に着いていくやつ、あれは本当にドキドキしたな。ちなみに今回もそれなりに加速していた。
そして、この旧曲3連チャンのあとのAuroraがまじで、もう。イントロが鳴った瞬間飛び跳ねてしまった。1999年FLAMEVEINの曲も好きだし2006年orbitalperiodの曲も好きだし、2019年auroraarcの曲も私は大好きだ。もっと言えば、この日鳴らされたら全ての曲に私の人生が詰まってる。バンプに出会ってからの人生じゃなく、生まれてから23年8ヶ月の人生が、全部だ。バンプに限ったことではないけど、私にとって彼らや好きなバンドってそういうもの。一番を歌い終えて、二番に入る短い間奏の中で藤原さんが「聞こえるか!」と叫んだとき、それは間違いなく彼の声や彼らの音ではなくて、その奥に響く私自身の声のことだと本気で思った。「お前自身の声、聞こえてるか」と、Auroraという曲はそういう歌だから。というか、バンプの曲はだいたいがそういう感じだと思う。そうやって鏡のように、その曲が一番伝えたいことは私が私に一番伝えたいことであって、その曲が照らす大切なものは私が私へ送る宝物なのだ。それをキラキラと映し出してくれるのがバンプの歌で、Aurora。この曲、最近バンプから離れているよという古参の人は聴いたほうがいいと思う。音楽の好みはそれぞれだから曲自体が受け付けられないという場合もあると思うけど、バンプの進んだ方向が決して悪いものではないと確かめられる曲だと思うから。あ、うん、それでいうと、次の曲のrayもそう。rayは2014年版ガラスのブルースだと思ってくれて相違いない。当時を知る人ならわかると思うけど(これ、バンプの最新曲かと思ってたけどもう発売されてから8年経つんだね)rayが出たときの2ちゃんねるでの叩かれようはそれはもう酷いもので、変わった、丸くなった、バンドじゃない、魂売った、インキャ、などなど、初音ミクとコラボしたことや曲調、音、歌詞について散々言われていたけど、聴けば聴くほどこんなに優しく尖った曲はこの曲とガラスのブルースだけだと感じる。rayを語るうえで外せない「生きるのは最高だ」という歌詞は、ガラスのブルースの「生まれてきたことに意味があるのさ 一秒も無駄にしちゃいけないよ」と同じ、『空っぽから生み出される力業の肯定』で、それがBUMP OF CHICKENの直訳『弱者の一撃』を何よりも力強く表している。だから私は誰がなんと言おうとrayが好き。私は今ここでrayのサビに合わせて2回手拍子をするためだけに生きている。それが私の精一杯の存在の証明なんだ。
で、rayのあと、間髪入れずにメーデーを演奏して本編が終わった。余韻みたいなのはまだなくて、ただただ圧倒されたまま形だけで手拍子をしながらアンコールを待つ。グッズのTシャツに着替えた4人が袖から出てきて、記念撮影ターンに入った(歌のことじゃないよ)。藤原さんが一言「写真撮ろう」と言っただけで、絶対映らないのに隣にいた友達と二人して髪型を整えてしまった。あの声でそんな言葉、破壊力すごいて。
そのあと「昔の曲たくさんやったけど新しい曲もやりたい」と言ってクロノスタシスをやって(あれ、そういえば新曲も披露していたけどどのタイミングだったかすっかり忘れてしまった、本編だったような気もするしアンコールだったような気もする)、そして、待望のガラスのブルース。イントロでもう結構情緒ヤバくて、この日やってほしい曲はいろいろあったけど、ここにきて、本当に一番聴きたかったのはこれだって気づいた。この日のライブ、ここまで、全部このガラスのブルースへの伏線だったのかもしれない。Cメロの「ガラスの目を持つネコは星になったよ〜」からラスサビに入るまでは客が歌うターンというのが最近のライブのお決まりなんだけど(いつからかは知らない、私がライブに行き始めたときにはもうそだった)、この声高らかに歌うことが難しい状況でもそれはやっぱり変わらず、藤原さんは歌わないで、私たちが、心の中で歌うのよ。で、普通にその時点で涙腺やばいじゃん。やばかったんだけど、何よりやばかったのがここからで、ラスサビ入ってもしばらく藤原さんは歌わずにただずっと演奏するだけだったんだよ。それが私は本当にダメで、もう、ボロボロと泣いてしまった。前述したHAPPYの歌詞「愛しい空っぽを抱きしめて」を体現するような余白。何もなく、踏み荒らさず、空っぽとしてそこでただ鳴らされる音が、私たちが今ここにいて、そしてそこにいたということの確かな証明だった。考えていたのか即興だったのか知らないけど、あんな規模で歌わず声も出さずこれほど客と呼応できるバンド、そういない。素直に尊敬するし、誰よりもカッコいいし、何より、見つけてくれてありがとうと思う。この空白をなぞる作業がバンプらしいし、それをして初めて私は私がここにいることを知る。心からバンプオブチキンが好きだと思いました。
ガラスのブルースのあと、藤原さんがなんとなく喋って、なんかなんだっけ、「こんな喋るくらいなら曲やれって話だよね」(意訳)と言って、ダブルアンコールでくだらない唄。FLAMEVEINを3曲も聴いちゃったうえに、この歌は5本の指に入るほど好きな曲なんだ。ただただラッキー。そして本当にライブは終わりを迎えて、藤原さんが最後の最後に「本当に辛い時期に君たちに支えてもらいました」「君たちが辛いときは音楽なんてなんの役にも立たないかもしれないけど、何かの助けになるような曲を本当に作りたいと思ってる」(意訳)という言葉を残して捌けていった。
本当にその通りだ。本当に辛いとき、音楽なんてこれっぽちも役に立たない。
でも、あまりにも本末転倒なこと言ってしまうが、私はバンプの曲がもう本当に心底大好きだけど、私がこの先辛いときにバンプに救われることがあるのなら、それはたぶん曲じゃなくてその生き方だと思う。まあ、いちバンドに対してここまで思えるのは曲が好きだからという理由に戻ってくるんだけど、結局は人間性に惚れてるし、信じてる。チャマのこともあったが、それでも「裏切られた」「もうバンプは聴きたくない」とならなかったのはそこが大きい。まあ、なんというか、私だって別に他人に言えないこと散々してるし、それでもバンプオブチキンを全身全霊で愛していてそこに嘘はない。つまり私はバンプに裏切られても気づかない、でもそれでいい、バンプの歌は私の人生であり痛みを分かち合った友達だから。顔も名前も知らず会ったことも話したこともない私たちがバンプの支えになったのなら、逆もまた然り、バンプの歌は昔聞いた童話のように私たちの人生にこの先もずっと寄り添う。辛いときも、悲しいときも、嬉しいときも、どんなときも。ただそれだけが全てに抗う勇気になることをバンプは知っているから、彼らの歌はこんなに優しいんだろうな。まあ、でも、あえて言おう、あなたたちの歌は、いつも私の力になっているよ。まあそんなの、こうやってライブをやれば嫌というほど伝わるんだろうけどね。
ーー以上、ライブの余韻とバンプへの愛情を持て余したまま、ここまでオタク特有の早口でお送りしました。
