病気で亡くなりました。
享年31歳。
3年前から乳がんで闘病生活をしていましたが、
闘病の甲斐なくこの世を去ってしまいました。
彼女と出会ったのは12年前です。
職場が一緒でした。
彼女は明るく、どちらかと言えば派手でヤンチャで
私とは正反対のタイプでしたが、笑いのツボが同じで仲良くなれました。
彼女の家と私の家を行き来したり、お互いの両親とも仲良く話せる仲で、夜中にドライブやカラオケと色んな所へ行きました。
お互いの恋愛、仕事に対しての思い、子供の頃の話しなどたくさんしました。
何年かすると彼女は結婚をして出産し家庭へ、私は仕事の方へと進み住む場所も離れてしまいました。
それでもたまに連絡を取り合い、私が実家に帰った際は遊ぶ約束をして会っていました。
彼女が2人目の子どもを出産後、右胸にシコリがあると聞き早く病院へ行くよう促しました。
何ヶ月かしてSNSで彼女が落ち込んでいる様子をアップしていましたが、私は仕事で忙しく彼女に気にかけられなかったのですが、
ある日突然、彼女から電話がありこれから右胸を全摘出すると報告を受けました。
その時初めて、彼女のシコリが悪性のがんでSNSにアップしていた内容ががんの事だと気付きました。
それでも彼女明るく振る舞い、大丈夫だと言っていました。
今思えば、あれは私に向けた言葉ではなく彼女自身に言った言葉なのかと思います。
右胸の全摘出後から彼女は入退院を繰り返し、たまに元気な様子をSNSでアップしていました。
そんな中、彼女と何度か遊ぶ機会がありその度に身体の話しをしていました。
抗がん剤治療、転移がいくつかある、治療費、子どもの事など色々話す中で私自身の結婚話しもしました。
彼女はすごく喜んでくれ、相手はどんな人なのか、結婚式はいつするのかなど聞いてくれました。
彼女が元気そうな様子から、私も彼女を気遣うより自分の話しをする事も多くなり彼女が病気だという事を忘れていました。
昨年の秋、私は結婚式を挙げ彼女も体調が悪い中頑張って来てくれました。
その後、私は仕事や家の片付けなどでバタバタし年明けからしばらく彼女と連絡は取っていませんでした。
彼女の様子はSNSでアップされ安心していたのもあると思います。
それが、先月から具合が急降下。
入退院を繰り返していた病院でも彼女の身体は限界の限界にまで達しており、後は彼女の生命力次第との事。
最後の1ヶ月は残りわずかの命を家族で見守っていたようです。
息を引き取る前は、少し苦しそうでしたが最後は穏やかに眠ったように息を引き取りました。
31歳。
一般的にはやっぱり早過ぎる死です。
自宅の和室で眠る彼女の姿を見た瞬間、その部屋に入る事が出来ず廊下の壁にもたれかかりました。
彼女が亡くなった事を聞いてから、信じられないという気持ちでしたがちゃんとお別れしなくてはという気持ちもありました。
少しずつ足を進め部屋に入りました。
眠った彼女の姿は、頬がこけて白い肌は黄疸になり首筋には血が固まって赤黒くなり身体は冷たくなっていました。
初めて見る彼女の姿にショックを受けてしまい、涙が止まりませんでした。
彼女のあまりにも突然の死でしたが、正直まだ頭の中で整理が出来ず眠ってる彼女を見たにも関わらずまだどこかで生きてるのでは、電話したら出るんじゃないかなど思ってしまいます。
本当は整理もしたくありません。
自分勝手かもしれませんが、整理してしまうと忘れてしまうんじゃないか怖くなります。
人は忘れる生き物です。
その内に彼女の事も忘れ、1度も思い出さない日が来てしまいます。
お腹も空くし、眠くもなります。
これが普通なのかもしれません。
人って、なんだか残酷です。
彼女が生きた31年間、どんな人生だったのでしょうか。
お経を唱えた導師様が言っていました。
人は生まれた時から寿命が決まっている。
人は必ず死ぬのだ。
命は大切です。粗末にしてはいけないものです。
いつ死ぬか分からない、だから毎日を懸命に生きなくてはいけないのです。
分かってはいます。いや、分かってるつもりなのかもしれません。
まだ悲しみから抜け出せていないので、もう少し時間が必要です。
改めて彼女の死、彼女が生きた31年間について
自分なりに考えみようと思います。