怒りを感じる背景によくあるのが、ゆとりのなさだ。
忙しいとき、時間に遅れそうなとき、期限が迫っているとき、いろいろな問題が一気に起きたとき…

そこでありがちなのは「ゆとりのなさ」を「時間のなさ」と混同してしまうことである。
(本当に時間がないことが問題のときももちろんあるが)
ゆとりがないのは自分の時間がないからだ
と、効率を追い求めたり、自分の仕事を減らそうとすることにやっきになったり、人に責任を押し付けたりするが、これは間違いだ…
私は「ゆとりのなさ」は、すなわち「心の許容範囲の狭さ」なのではないかと思う。
ゆとりのなさの解決を時間に求めるのは、問題の所在を外部にもとめていることになる。
でも、ゆとりのなさは自分の心が生んでいる。
外ではなく内にその問題の所在を認めれば
自身の鍛練にもなるし、問題解決の近道である

と、私は思うのだが、これを実践するのは本当に難しい…。
日々精進…。

特に探したいものもなく、
ふらっと立ち寄った本屋で思わぬ素敵な本と
出会うことがごくごくまれにある。

その本が見事に今の自分の悩みに答えを与えてくれるという運命的な奇跡。

こういうことがあるから嫌でも外に出たほうが何かに出会えるということを信じざるを得なくなる。

ということで、自らの心境もまた、前のように少しずつ外に出していこうと思う。
という約5年ぶりの投稿(笑)

THE INDIAN映画!!!!最高!

途中で何度か出てきた歌も良かったが、インドらしさを体験できて幸せになった。



思えばインドから帰って一年経とうとしているのか。。。早いなぁ。




舞台はイギリス統治下のインド。


クリケットの試合に村が勝てば、3年間、その村だけでなく、他の村も

年貢を払わなくて良い。しかし、もし試合に負けたら、今までの3倍の年貢を払え


という無謀な案を受けたインド人たちが、立ち上がる



アメリカの映画に白人だけでなく、様々な肌の色の人がかならず出てくるように、

インド映画では、様々な宗教の人、ヒンドゥー教だけでなくイスラム教、シク教

などの人が。そして、様々な階級の人が出てきた。



多民族国家のすごいところは、こういうところにあると思う。

日本は、単一民族ではないけれど、アイヌ人や琉球人を除いたほとんどが一応

同じ民族という括りになっている。


だから、「同じ」であることが当たり前になっている。

でも、インドやアメリカでは皆が目立つ「違い」を持っている。

そして彼らはその違いを違いと受け止め、同じ目線で互いを対等に扱う

(もちろんいつもそうではないけれど)


私たちはどちらかというと「同じ」であることを強要してしまったり、

同じに「させてあげたり」する。たしかに、こういうことも時には大切だけど、

私たちが持ってない素晴らしいものをこの映画は見せてくれた気がする。


文化を学ぶということは、こういう全く異なる環境の中で「善く」生きようとする人たちの

いいところを学ぶということなのではないか。

それが時に私たちの生活において大きなヒントをくれるのではないか。



またインドに行きたくなってしまったーーー

ナマステ