紅色道楽 -34ページ目

とぅーまっち

いわゆる「受け」を狙うには、どこか手抜きしないとだめだと思う

TV番組でスポットライトを浴びている女優さんなら

ばっちり足の付け根まで見えるショートパンツや、グロスたっぷりでぶりんぶりんの唇でも映えるのだが

我々は所詮一般人。

蛍光灯や太陽光の降り注ぐ生活感あふれる世界に馴染む格好をしたほうがいいのである


もちろんこのことはファッションに限らず言えることである。

隙の無い女はモテないというが、それも当然のこと。

大体の人は潜在意識の中に「相手より優位に立っている部分があって欲しい」という感情を抱いている

それが形となるとき「相手を助ける(=アドバイスする)」という行為になって現れ

心の距離がある二人の架け橋になるのである。

どうも、「優位」などという言葉を使うと性格が悪いようだが

要は「助けあい」精神である。


よってあまりにも隙がない人物は

「この人には自分はいらないだろう」と思われ、気の弱い(謙虚な)人々に去られ、

周りにいるのは同様な気が強い人間か、人にたかる人間の二種類になる。

彼(あるいは彼女)にとって、類友と言うべき気の強いタイプの人間とは

同族嫌悪で恋仲になるまでには至らない。

人にたかるタイプとだったら外見次第(めんくいの場合)で上手くいくケースもあるだろう

だがまあ、様々なタイプの人と付き合えるにこしたことはない

それでは、自分が「遠巻きにされる」と自覚している人はどうすべきか。


それは、自らセキュリティホールを作ることである


大きな失敗の無い人生を送ってきた人には難しいことだが

他人に対して弱みを晒すということはテクニックの一つなのだ。


よく、仲間内のみんなに個別に同じ内容の相談をする女性がいるが

それはたくさんのアドバイスを求めているわけではなく

親しみアピールなのである。

もっと極端な例を出すと小学生が「ぶりっこ」と呼ぶものがこのテクニックの最たるものである

小学生や中学生だといわゆる「ぶりっこ行為」は非難されるが

歳を追うにつれ責められなくなるどころか、ぶりっこ自体が増え始める。

それは、自らセキュリティホールを作ることの重要性を認識し、技術として習得する人が増えるからだ。


さて、話をファッションに戻すと

日常のメイクでやり過ぎないことが重要だということに尽きる。

目が際限なく大きくなったところで好感度が上がるわけではなく

それどころか怖がられては元も子もない。

もうちょっとこうすれば~?と言われるくらいが同性との話題にもなって、ちょうどいいのだ。