昨年の回顧から。


コロナで中断していたチャールストン旅を、昨年より4年ぶりに再開。

昨年は一緒に行きたい!と言うてくれたラブリーなM嬢と、初めてお友達を伴ってのSC行きとなり、せっかくなので、と、亡き夫、Pともしたことがなかった、チャールストン観光も最後の2日ほど楽しんだ。

実はアメリカ人に一番人気の観光スポットと知ったし、ブルークラブという蟹が名産というのも。ブルークラブを置いてる店には出会わず、代わりに似てるものならある、として紹介されたソフトシェルクラブは絶品で、唐揚げで確か2回頂いた。今年もありつけたらラッキーだけど。アウトレットに行ったり、Water taxiでクルージング気分を味わったり (Pの友人が働いてるので非番だけど連絡を入れてくれ、二人とも無料に💕)、と、M嬢のおかげで、おおよそSCでは無縁だった女子力がひょっこり正当化された女子旅だったな。

運転は、一応4年前と同じく、事前にペーパードライバー講習を受けて行ったが、結局全部お任せで、普通にうまいので、観光地の混雑したパーキングでの駐車も全く問題なかったのも大きい。


申し訳なかったのが、コロナ前と比べ、燃料費と円安で、圧倒的に飛行機代が高かったこと。それでも、久しく日本を出てなく、ここから出たい、というのというのと、実は英語がネックだから、という理由で、楽しみにして、わざわざ僻地まで旅友になってくれ、2人で満喫。


出発の伊丹から飛んだ羽田で、しばらく食べられないから、と思いきった、つるとんたんの、罰ゲームか、というくらい、天ぷらやきつねや何もかも入った豪勢すぎるうどんから始まり、

最後の夜、チャールストンの宿前にライブ付きの広くてオープンなバーを見つけ、バーガーとビールで祝杯をあげていたら、その奥になんと、AX throwing、ダーツ投げならぬ、斧投げ場があり、色んな付き物を投げつけて帰ってきた、という締めまで。


そして何より、毎日毎日、Pの友人達を訪ね歩くのに全部付き合ってくれ、なかなかそういうことは経験できないから、と、それぞれの家の習慣、インテリア、家族、それぞれの人生や人間性を、ちゃんと楽しんでくれたのが、ありがたく、嬉しかった。


今年はまた1人。


あまりにこの半年ほどの仕事が、某プロジェクトのおかげで、殺人的で、夜中も土日もなかったので、4月なら落ち着いてるだろうし、この時ばかりは、と、多少GWの前後も休んでも、という気で検索したら、私を待ってくれてたな、というチケットに、すっ、と出会った(笑)


トランジットが2拠点、それぞれやたら長く、泊まりもあるが、いずれもアメリカ国内!

しかも、そのうち1つは、24歳、アメリカに思いを馳せてやっと渡米が叶った21歳から3年を経て、ついに憧れのヨセミテへ行くべく滞在したサンフランシスコ。坂道を行くケーブルカー越しに臨む海、金門橋。あの町へ30有余年を経て再び。


というわけで、やたら長いトランジットのワクワク付きで、お値段、コロナ前とほぼ変わらぬ昨年より10万安。それだけは2月の頭頃に押さえ、そこからさらに土日夜中の心折れそうな圧迫は続いたが、予定通り、4/26出国。


Crazy travelerだったPの last wifeに、旅の神様が落としてくれたギフト旅、始まります。。