今日は初めてお仕事の話を。


あくまで、あくまで個人的な考えですが、

いわゆる『天職』でご飯が食べられるって、

そうなかなか無いもんだと思っています。


天職ってカテゴリーも

解釈が難しいですけどね。


本人が思わずして、または図らずして

魂の底から喜んで出来てしまう。

これ、ポイント)

それがお金になろうと ならなかろうと、

努力ですら喜びになってしまう。

これが『天職』なのではないかと

私的に そう思うのです。



そーすると、

日頃 汗水垂らして、納得いこうが いくまいが、

生活のためにやっている仕事

そうとはいえ、得意な範疇で

まあまあ上手くやっている仕事

これは【適職】と言うのではないのかな。


なぁんてこと考えてしまうのです。

母子家庭になった数年前から

『天職』【適職】

分けて考えるようになりました。



一方の『天職』

私の命と言っていいくらいの天職。


これは15才から始めて

まんまとハマってしまった和太鼓

これは間違いなく『天職』なのです。

しかし、これでご飯を食べようとは

全くもって思いませんでした。

いや、正確には

ほんのチョットだけ思ったことはあります。

でもね、仕事にしてしまった途端に

辛いものに変化してしまうのではないかと思い、

考えるのをやめました。


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もう何年も前ですが、

父方の伯父が亡くなって本家に行った時のこと。

本家は鳥取県の ど田舎にあります。

大きな仏壇の横に 古い三味線が置いてありました。

「この お三味線、誰の?」と聞くと

「亡くなった伯父さんのだ」と言うのです。

ヘェ~、楽器なんて出来たんだねぇ

と感心していると、、、


“この家はな、昔から よう人が集まる家でな。

娯楽の無い村だけん、岡山や島根に来よる

旅の一座を観ちゃあ 真似事してな、

唄ったり踊ったり、小芝居してな、

村のみんなを楽しませておったがね。

まぁ、あんまり上手くはなかったけんどな、

アハハ 笑”


と、昔のエピソードを聞くことができました。

私はそんな話 露知らず、

父からも聞いたことは無く

長年 和太鼓に勤しんでいることを話すと

“お前、血筋だなぁ”  と。

この話は かなり嬉しかったのです。


おかげさまで

地元のお爺ちゃんお婆ちゃんが

長年のファンでいてくださり、

40超えた今でも 夏の祭りの時だけは

若さを保っていられています(≧∀≦)。


私を目標に 学生が入会してくれたり、

その若者たちが社会人になり

はたまた家族を持つようになったり

いつまで現役でいられるかなぁ~~

なんて最近は思います。


ま、努力次第ですけどね( ^ω^ )。




長くなったので、次回に続く。。。