生きづらいけど、でも… | ノラとハナウタ

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自分の最強の味方は自分じゃない?
色トリドリの自分を楽しんで行こう!

アマプラでオススメに出てきた『片思い』というドラマを観た。
 
もう…本当に…と、凹むくらい色々と考えさせられた。
 
性同一性障害だけでなく、外見と心は一致してるとしても、染色体が男性を示していたり、結婚して子供育てもしていた主婦が男性として生き始めた苦悩だったり…。
 
うーん、本当にこれって、なんとかならないのかなぁと思った。
諦めろじゃ済まないでしょって。
 
女性が男性であると主張しても力が弱くて絶望したり、そうだよね、そうなるよねと悲しんだり。
全部通して見終わって、エンドロールで思わず
『東野圭吾かぁーーーっ!!』と声が出たわ。
ほんとすごいわ、ほんとそこですよね、考えないといけないのは!と。
 
生活の中の問題なので、外出すればトイレも使いたい。見た目と心が違う。たかがトイレ。みんなが使う、行くであろうトイレから悩まないといけないのは辛い。
 
かと言って、自分がトイレにいて男性が(心が女性でも)入ってきたらびっくりもする。これは慣れなのか?
とはいえ、なりすまして犯罪を犯す人もいる、のぞきとか盗撮とかも含め。なのでつい警戒してしまう。
 
でも、心が女性の人を疑いたくもないし傷つけたくもない。
(本編にトイレ問題は一切出てこないのだけども、つい…ね)
 
ただ向き合って話していて、男性が実は自分は心は女性だとか、女性が実は男性ですと告白されても、そこは当たり前に肯定するけど、そして我が子であっても、その子の心と性が違っても、どうか楽しんで生きて欲しいし、結婚も孫も世間体もどうでもいいよと思うし、親のエゴであっても、生まれてきて良かった、あぁ楽しいと思う瞬間が多くあるといいなと願う。
 
本当に…『みんなが生きやすく』と言う言葉じゃ済まない内容だった。
 
実際こうだったらどうする?の部分で、どういう対応をしたら傷つけずに、その人の個性と共に居られるか。
同性愛と聞くと、平気で『嫌だ』と言う人がいるけども、じゃあアナタは異性なら誰でもいいんですかと思っちゃうよね。
『え、嫌だー私は違うからね!』って、『相手にも選ぶ権利あるからな?』の部分ね。
 
もちろん、分かったフリもしない。
ドラマでもね、理解したつもりでも、ここっていう時に、やっぱり異性と違う印象を受けてしまう場面もあったりで、『うぅ…』となんともいえず、私もしょんぼりした。
 
ただちゃんと聴くし、望む対応を出来たらいいなとは思う。
 
タイに住んでた時は本当にみなさん自分らしく見えた。
ドラァグクイーンもたくさんいたし、会社もレディボーイ(タイではそう呼ばれていた)も全然OKだったので同棲しているカップルも居たし、考えてみたら新しく出来たデパートなどは男女別だったけどトイレは共用が多かったかも…(実際はそんなにトイレ問題を重要視してないかもだけど)。
 
いやしかし、本当に、『生きていてね』というはエゴなんだろうけど、最後に笑えるアナタであって欲しいと言うことしか出来ないのが無力だねと思った。
 
悩みというのは、軽いも重いもなく、その時に囚われていることが、そしてその人の主観が全てなのだけど、それを聴いて肯定するだけじゃなくて、プラスアルファが添えられたらいいなと思う。
 

 

では、またね!

悩みを話せるひとが1人でも居るといいな